青い鳥のお話
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 青い蒼い空色のツバサの鳥。それを手に入れたら、本当に幸せになれますか?

 私は昔から自分が幸せな人間だと思ったことはありませんでした。私には他の子供たちが持っているようなものなど何一つありませんでした。可愛らしい服も、硝子玉のネックレスも、髪飾りも、愛情も、何一つ。
 だからといって、私は私のことを不幸せだと思ったこともありませんでした。不思議な話です。私は私を幸せだと、そして不幸せだと思ったことがないのですから。
『私のもの』は何一つありませんでした。いえ、私自身『私のもの』ではありませんでした。私は日々、誰かの言いなりにならざるを得なかったのですから。それが自分の運命だと、物心付いたときから言われ続けた為でしょうか? なので、私はこの、人としては余りにも無残な仕打ちの生活を当たり前のものだと思い、過ごしていました。

 話は変わりますが、私は他の子供たちより字が読めました。人として扱われているのかすら危うい生活の中でも、私は字を教わり、私はすんなりとそれを受け入れていたのです。もしかしたら、『字を知っている』為、わたしは私が不幸せだと思うことがなかったのでしょう。
 私が着てもいいと許可が降りた服の中で最も上質なものを着て、私は町の図書館へと向かいました。といっても、図書館へ行くことが出来るのは月に一度だけなのですが。
 それにしても、図書館は落ち着きます。静かですし、革と紙の独特の匂いが好きでした。なによりも、素敵な所だと感じていました。それだけは、今も変わらずにあり続けます。
 その日も、数多もの本棚の中から適当に本を抜いて読んでいました。いつもその方法で本を選んでいます。その日の本の題名は『青い鳥のおはなし』でした。
 青い鳥は幸福の鳥。それを得ることが出来れば幸せになれる空色の鳥。私の脳裏では、すぐに鮮やかな空色の鳥が羽ばたいている姿が浮かびました。
 このときです。私の中で何かが強く、強く訴えかけてくるものがあったのです。その感覚は今でも忘れられません。
 欲しい。この鳥が欲しい。
 今までの人生の中では、あまり物を欲することがありませんでした。何故なら、その『欲しいもの』がなくても、生きていけるからです。
 その中で、この青い鳥は私の心を強く惹きつけたのです。図書館が閉鎖を迎える時間まで、私はこの本を何度も読み続けました。

 夜も更け、普段以上に多い『やるべきこと』をこなした後(正直なところ、普段から慣れている作業なのであまり辛い思いはしませんでしたが)、私は外へ出ました。
 漆黒の中、頼りになるのは月明かりと小さな蝋燭だけです。それでも、私が本当の自由であるのは闇が世界を支配するこの時だけなのです。
 私は夜通し探す決意をしておりました。何故なら、その青い鳥は滅多に見ることが出来なかったからです。子供なりに、一日二日で見つかるようなものではない。と思っていたのですが、暫く町の側の森を歩いていると、ふと頭上で羽音がしました。それも多数。
 私は驚いて、頭から被っていた色褪せたショールの存在を忘れ、勢い良く頭を上げました。落ちてきたのは、鳥の羽でした。
 どれも真っ黒な羽だったので、その中で一つ、他の黒く大きな羽と違うものがあるのは、すぐに分かりました。
 私はその違う羽が落ちた所まで駆け寄り、拾い上げました。明らかに、真っ黒な羽とは違っていました。月の光に透かせてみれば、その羽は空の色をしていました。
 それをはっきりと自覚した瞬間、口から心臓が今にも飛び出しそうな気分になりました。一気に体が強張り、冷や汗が流れるのを確かに感じたのです。いる。青い鳥がいる!
 その瞬間、私の背後でどさりと何かが落ちてきたような音がしました。何分緊張していたものでしたので、体がぶるりと大きく震え、何故か急に怖くなってきました。
 けど。私は切羽詰った頭はこう考えることも出来たのです。先程落ちたものが、もしあの青い鳥だとしたら。それを、もし他の誰かが見つけて手に入れたら。もしそうなったら、それほど私にとって辛いことはありません。
 そんなの嫌だ。私は意を決して思い切って振り向きました。後ろには一本のさほど大きくはない木が。その根元に蹲る小さな塊が一つ。空色の体を所々緋色に染め、弱々しく体を震わしていました。
 私の青い鳥! 今になってもはっきりとは分かりませんでしたが、その時の私はそう思っておりました。不思議な話です。つい数日前まで何も欲しいものなどなかったというのに、いつの間にか「青い鳥は私のもの」と思い込んでいたのです。
 私は急いでそこまで駆け寄り蝋燭を足元に置き、そっと青い鳥に触れました。まだ息をしています。頭につけていた筈の、なのに頭の半分しか隠していないショールを使って、青い鳥を抱え、包みました。
 待っててね、すぐに助けるからね。片手に蝋燭、もう片手と腕で青い鳥を抱え、私は必死になって森を駆け、慣れたように足音を立てることなく、町の私が住まわされている家の裏戸へと向かいました。
 幸い、家の住人は私が外出していたことすら知らなかったようです。当たり前のように寝ている彼らを起こすことなく、私は割り当てられた空間へ、青い鳥を抱えたまま入り込みました。
 私の空間には傷薬も包帯もありませんでした。なので、私は青い鳥を包んでいたショールを引き千切って、青い鳥の傷口にしっかりと巻いてあげました。傷薬はありませんでしたが、傷口を塞いでいる分まだ良い方でしょう。

 それから、私と青い鳥のひっそりとした時が暫く続くことになりました。
 勿論、青い鳥のことは誰にも言いませんでした。誰にも教えたくなかった、という方が合っているような気がしますが、兎に角、もし誰かが青い鳥のことを知ったら、奪われることは必至です。それまでも嫌な物事は勿論ありましたが、青い鳥が誰かの手に渡ることが、その時の私にとって最も嫌なことでした。
 朝配布される硬いパンの一部をこっそりと隠し持ち、朝の間やるべきことを早めに終わらせ、なんとか暇を作って、怪我をしている青い鳥が食べやすいように水に湿らせたパンを与えていました。
 昼も同じように過ごし、夜はこっそりと朝や昼より柔らかめのパンをこっそり取って来て、青い鳥に与えていました。そして青い鳥を抱き寄せて眠りにつくのです。青い鳥は、私が今まで感じたことのないくらい暖かな柔らかさを持っていました。もし、誰かに抱きしめるときはこんな風な気分なのでしょうか。何処となく、私は落ち着きながら、安心して寝ることが出来たのです。
 そうして何日か過ぎ、青い鳥は傷付いた羽を動かすことが出来るようになりました。鳴き声は相変わらず小さいですが、誰かに鳴き声を聞かれて青い鳥の存在を知られることになると困るので、これはこれで良かったのです。

 そんなある日の、もう殆んどの人が寝静まった筈の夜のことです。なすべきことを終え、私の空間へと向かおうとしたとき、その方向からよく聞く、けれどそこで聞くことのない声が聞こえたのです。
「……あの子ったらこんな処にこんなものを隠していたなんて」
「……しかもこれはかなり珍しい。青い鳥とは」
 その言葉を聞いた瞬間、私はすっと血の気が引くのを感じました。気付けば、私は私の空間へと繋がる扉の前まで駆けていました。扉の向こうの光景を見た瞬間、私の瞳は凍りつきました。
「その子を放して!」
 治ったばかりの羽を掴まれ、相変わらず弱々しく鳴く私の青い鳥。ああ嫌だ!私の青い鳥をそんな汚い手で掴まないで!
「何を言っているの」
 冷ややかな鋭い女の声。私はこの女の声も、私の青い鳥を無造作に掴んでいる男も、どうしても好きにはなれませんでした。
 女は私を見下ろし、或いは見下しながら、突き放すかのように私に告げたのです。
「これはかなり珍しい、存在しないとも言われた『青い鳥』ですもの。もちろん売れるところは全て売り飛ばしてしまうのよ」
 言葉なんて出る筈がありませんでした。売る? 私の大切なものを、売るというの? この人々は!
「嫌よ! その子は私の青い鳥! 返してよ!」
 私は青い鳥を掴んでいる男に掴みかかりましたが、男は軽々と私を突き飛ばしました。冷たい壁に背中をぶつけ、尻餅をついた私を、汚らしい大人は思う存分に私を見下しました。
 悔しい。初めて、私の中でその言葉が出てきました。嫌だいやだ、悔しい。私は爪が食い込んで血が流れることを気にせず拳を握り締め、鉄の味がしても何も思うことなく唇を噛み締めました。
 そして。そのとき初めて、私の頭の上に、灯りの蝋燭の炎が揺らめいているのを知りました。
 これしかありませんでした。この先の私の行動は今までで一番早いものであったと自負できます。
 蝋燭をおいてあった皿を台ごと掴み取り、奴らが気付く前に私は青い鳥を持っていない女の方にそれを投げつけました。女は醜い悲鳴を上げながら、服に付いた火を何とかして払ってしまおうとしたようですが、それが仇となり、炎は女の手に移りました。
 焦ったのは男も同様です。女がそれなりの関係であると同時に、普段から大人しかった私がこんな行動をするとは、彼らは全く思ってもいなかったのでしょう。普段見ることはまずない、慌てふためいた動作をしながら、ですが男は何もせずその場で足踏みするだけにとどまりました。
 そこで、青い鳥もまた男の手を嘴で強く突き始めました。同じところに何度もするので、その痛みに耐え切れず、男はとうとう青い鳥を手放しました。
 こっちよ! 私は青い鳥に呼びかけ、炎に包まれてしまった女とあたふたするだけの男をその場に残し、なるだけ早く家の外に出ようとしました。
 青い鳥は走る私の頭上を通り抜け、長い地下の階段を上った私が家の外に出る頃には、その嘴と足に高価そうな装飾品をしっかりと絡ませて出てきました。もうこの街に居ることは出来ないと、しっかりと分かりました。
 もし、この事そのものがなかったことに出来るなら。改めて青い鳥の話を――捕まえた人を幸せにするということを、唐突に思い出しました。私は出てくる際に掴んできた色々なものの中からマッチの箱を取り出し、それを擦って小さな炎を幾つか作り出し、つい一瞬前までいた家の木の大きな柱に火を移しました。

 その後のことは、何故か断片的にしか覚えていません。私は青い鳥と共に森の中に入り込み、その中で夜を明かしました。朝になって、なるべく街より高く、そして街がすべて見るところ出来る場所があることを思い出し、私は青い鳥と共にそこまで行きました。
 つい最近まで存在していた筈の街は、跡形もなくなっていたのです。どちらかというと大きいほうのその街の大半は全焼、ですが、炎に飲まれることなく相変わらず存在していた建物も少しばかりありました。その中に、私の好きな(果たしてこの表記であっているのか疑わしいところがありますが)図書館もあり、何故かほっとしました。
 私が再び街へ降りると、私を見つけた顔見知りだった図書館の係員である女性は、私の生存を喜んでくれました。彼女はすこし興奮しながら、あれよこれよと話を始めました。
 どうやら、街の角の家で火災が起き(彼女の見解では、蝋燭の火ではないかとのことです)、その家から他の家へ、次々と炎は飛び火を起こし、軈ては街の殆んどを飲み込んでしまった。とのことです。
 そこで、彼女は火事の発生場所辺りに住んでいる筈の私が何故無事だったのかを聞きました。私は、何一つ詰まったり濁らせたりすることなく「地下深くの石畳の空間までは炎が来なかった」と彼女に告げました。それを本当のことだと信じた彼女は、火事の原因である私に復興作業の手伝いをして欲しいと言われましたが、私の口からは他の言葉が出てきました。
「私、これを機会に旅に出たいの」
 そんな言葉が出てくるとは、私自身思ってはいませんでした。もしかしたら、空の色と同化した私の青い鳥がそう言わせたのかも知れません。それを聞いた彼女は何か言おうとしていましたが、私の身の上を知っていたので、「そう」と、少し残念そうに言いました。
 彼女は別れ際に、私のことを思ってくれたのか、貴重な食料や衣服を少しずつ、そして一冊の本をくれました。その本の題名は『青い鳥のおはなし』でした。彼女は、私がその本を気に入っていたことを知っていたのです。
 少し吃驚しましたが、私は迷うことなくその本を受け取り、廃墟と化した街を出ました。勿論、私の青い鳥も一緒です。

 それから私がどうなって、青い鳥がどうなったか。ですか? それを私に言わせるなんて……。駄目ですよ。必要以上の答を求めてしまっては。事実、私も求めすぎていた節があったのかもしれません。それでも、私の青い鳥はその命が尽きるまで私の側に居ましたよ。
 それが本当のことなら、ですがね。私はもう、空を見ることは叶わないのですから。
 ……ああ、喋りすぎてしまいました。青い鳥は確かに私に幸せをもたらしてくれましたよ。私が本当に言えることは、それだけです。それが、その幸せが果たして人生の幸せに直結するかどうかは分かりませんが。
 強いて言うなら……そうですね。あの頃の私にとって、青い鳥は『鳥』ではなく『もの』だったのかもしれません。あくまであの頃なので青い鳥が死んだ今はまた別の感情が残っていますので。
 それでは、もう二度と会うことのないように――。



青い鳥のお話
 
{だって、私は青い鳥より何より自由が欲しかったもの!}






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(H23/03/15)
数年前に書いたと思われる小説を引っ張り出してみました。舞台背景は、一応中世の西洋をイメージとしてみたのですが、その点は読者に委ねてみたいかと。
誰になにがあったのか、各々で考えると楽しいかと思います。














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