かれの帽子のローくん視点






ゆっくりと意識が浮上する。夢すら見ない、深く心地よい眠りからの目覚め。鼻腔を擽る柑橘のような香りに瞼を押し上げて、瞳に光が飛び込んだ。……そして、見えた景色に咄嗟に掛ける言葉が見つからない。


彼女を見上げるような形で眼が覚めるのはここ最近では珍しくなかったが、ふにゃりと楽しそうに口元を緩めて俺の帽子を被る彼女を見たのは今日が初めてだった。





「……何やってんだ」




かろうじて、浮かんだ言葉をそのまま声に乗せると、彼女の肩が震えた。ローくん、と俺の名前を呼んだ彼女膝からゆっくりと体を起こして、改めて向き直る。さっきは影になっていてわからなかったが、サナの顔は真っ赤になっており呆然とした顔で俺を見ていた。……なんというか、珍しい、と言うべきなのだろうか。俺もまだいまいち頭が回っていない、が、彼女が恥ずかしがっているのは分かった。


不意に彼女は被っている俺の帽子を引き下げて顔を隠して俯いた。もったいない、自然と浮かんだ感情に従うように手が伸びて、もう一度、彼女の顔を見るためにつばを上へと引き上げる。表れた、変わらず赤い顔に浮かぶ潤んだ瞳が伺うように俺を見つめた。ほぼ反射的に喉が上下して、美味そうだ、と漠然とした感想が頭を回る。サナは頬も首も、そして、きゅ、と閉じられた唇までもがつられたように赤く色付いていた。彼女がどんな意図を持って俺の帽子をかぶっていたのか、あんなにも幸せそうにしていたのか、そして今こうして茹で上がっているのか、それは俺には分からないが、ただ、なんとなく、本能として、キスしたい、と思った。そして、そのまま何かを奪い取ってしまいたくなるような、そんな欲求がじわりと燻ったのだ。



突然、恐々としていた彼女の目に強い意志が宿った気がした。思わず掴んでいた帽子から手を離して、す、と頭が冷静になるのを感じる。今、俺は何を、自身の考えが信じられなくて思わず口元を覆った。何を想像していた、おれは。





「……本当に……何してんだ」
「ご、ごめんなさい……」
「違う。……いや、違わない、が、」





自戒するつもりで呟いた言葉に申し訳なさそうに謝る彼女に慌てて否定するが、彼女のせいであることには違いがないので完全に言い切ることもできず歯切れの悪い返事をしてしまった。当然困惑したサナはもう一度謝るとどんどんと小さくなっていく気がした。別に、彼女を責めたいわけじゃない、このままだと不本意な誤解が重なりそうで、一度彼女の頭に軽く触れてから鬼哭を肩にかけ、その場を後にしようと扉へと向かった。あまり、今彼女と一緒にいるのは得策ではない。




「後で、返せよ」




あまり気にしなくてもいい、そういう思いを込めた言葉を残して部屋を後にする。廊下を当てもなく歩き、先ほど起きたことを整理し始めて、次第に歩く速度が遅くなりついには足を止め、頭を抱えた。向こうからたまたま歩いてきた鼻屋が俺を見て驚いたように駆け寄ってくる。





「お、おい、トラ男!どうしたんだ?」
「鼻屋……悪い、俺は、」
「はぁ?何の謝罪だよそれ」
「お前……一発俺を殴れ」
「は、はァ!?いや、何で!?お前マジでどうしちまったんだよ……」




……本当に馬鹿なことを考えた。冷静じゃなかったにしても、可笑しい。もしかするとあのまま何かしていたんじゃないかと思うと頭が痛くて仕方がない。俺の判断で彼女を部屋に呼んでいるのにこれじゃどうだ、アイツの仲間に顔向けができない。とはいえ内容を話すわけにもいかず、ただ懺悔する俺に対して困惑したまま彼は俺を励まし続けていた。

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