ゾウを出港し、ハートの海賊団の潜水艦で移動を続ける間、私は彼専門のセラピストとなりつつあった。







と、言うのも、今も私の膝の上で昏々と眠りにつくローくんは実に健やかな寝息を立てており、その表情には一点の曇りも無い。睡眠にはやっぱり環境は大きな影響を与えるようで、他の海賊の船よりもやはり自身の船の自室での眠りは深そうに見える。サニーでも彼は私の施術室で眠ることはあったが、こんなに安らかな寝顔を見たのはこの船に乗ってからが初めてだった気がする。



……こんなことを言うと彼には変に思われてしまうかもしれないけれど、普段帽子を被っている彼がこうして眠りにつく際に見せる少しだけ硬い黒髪に触れるのが私の小さな楽しみでもある。1時間はゆうに目を閉じていることが多いからこそ、彼を起こさない程度の楽しみは重要だ。正直、彼の整った顔立ちを見ているのもまたある意味、たのしい、のだけれども、あんまり視線を向けすぎると見聞色の覇気で気づいてしまう可能性もきっとゼロでは無い筈だからあまりそれはしないように心がけている。


勿論、全く見ない、なんてことはない。彼の眠りの質を判断するためにも表情は重要だ。穏やかに眠りについている時ほど私の手腕が認められたようで、それもまた嬉しい瞬間でもあった。彼がこんなにも眠ることはクルーの方々からしても珍しいらしく、部屋を覗きに来た人たちが揃って驚いて、そして揃って静かに出ていくのを何度も見たことがある。ここで騒ぎ立てるわけでも無いあたり、彼の睡眠はこの海賊団においても重要なウェイトを占めているのだろうか?詳しくは分からないけれど、食堂で一緒になったハートの彼らにはよく「どんな技を使ったんだ?」と聞かれた。……技というか、ただ耳かきをしたり、マッサージを行なっているだけだ、と説明したけれど、あまりその主張が信じられたことはなかった。





ゆるゆると彼の頭を撫でながら、ふ、と枕元に目を向けた。ふわふわとした触り心地の良さそうな、それ。彼のトレードマークでもある少し可愛らしいデザインの帽子。何度か触れたことはあるけれど、ほんの少しの興味が過った。……どんな被り心地なのだろうか?


改めてローくんに目を向ける。瞼はしっかりと閉じられており、力の抜けきった体はある程度の重さが感じられる。なんだか彼に隠しているようで少しだけ心苦しい気もするが、起きている時に頼んでもきっと変な顔をされてしまうだろう。ならば、と出来るだけ足を動かさないように、繊細な動作で彼の帽子を手元にたぐり寄せ、そっと両腕に抱いた。


指先に触れる柔らかな感覚に口元がほころぶ。デザインも質感もとても可愛らしい。もふもふ、という単語が私の頭の中でくるくると回転する。コート然り、彼は案外こういったものが好きなのだろうか。

数分その触り心地を体感し、いよいよその時がやってくる。両側を軽く持ち、程よい緊張感の中ゆっくりと自分の頭に載せた。少し大きめのそれは載せるだけでも少し沈み込み、これだけでもなんとも言えない嬉しさがふつふつと湧き上がる。しっかりと深く被るためにも軽く端を引き下げればすっぽりと私の頭を覆った。すごい、と無意識に口角が緩むのを感じる。それは不思議な安心感に包まれていて、成る程、これは気持ちいい。彼がよくするようにつばを引き下げれば視界は白に奪われて、ふふ、と声が漏れた。何より彼の帽子だ、という事実がなんて表現すべきかは分からないけれど、嬉しい気がする。ほくほくと胸が一杯になって幸せな気持ちが溢れた。





「……何やってんだ」
「へ、」




不意にかけられた低い声にびく、と肩が揺れた。恐る恐る見下ろすと眉を顰めて怪訝そうな顔で私を見つめる瞳と目があった。は、とそれを理解した途端に身体中が燃えるように熱くなる。ろー、くん、と頼りなくおちた彼の名前、訳がわからない、そんな表情の彼は瞬きをしてからゆっくり背中を起こしてベッドに座り、改めて私を見た。ついさっきまで私が見下ろしていたのに、今では見下ろされる立場に逆転し尚更居た堪れない。私に彼の能力があれば間違いなく逃げ出していた、それほどまでに恥ずかしくて、どうしようもなかった。自然と視線が下へと落ちていき、つい、思い切り帽子を引き下げる。再度白で視界が埋まり、彼の微妙な表情は見えなくなる。ど、どうしよう、どうやって彼に、なんと言えば、と咄嗟に沢山の言い訳を巡らせるもどれも説得力なんてまるで存在しない。彼に通用する訳がない、それは重々承知していた。


最早苦しいくらいの羞恥に動けないでいるとぐ、頭に振動を感じた。それと同時に、目の前に彼の顔が現れて思わず息を呑んだ。指先でつばをつかんだ彼はじ、と私を見つめており、普段のクールな色が滲むその目とは少し違って見えた気がした。光の加減か、鈍く奥で輝くような、そんな表情を見せている。ふ、と吐き出した彼の息を感じそうな近さと意思を持つ瞳に耐え切れず最早涙すら出そうな気持ちだった。半ばやけになり、彼を見つめ返せば、ローくんは驚いたように目を少し開くと掴んでいたつばから手を離して、私からも距離を取る。そして見ていられない、と言わんばかりに視線を逸らすと口元に手を置いて、ふかく、それはもう深く息を吐き出した。




「……本当に……何してんだ」
「ご、ごめんなさい……」
「違う。……いや、違わない、が、」




もう一度私に目を向けた彼は、すぐにまた目を逸らしてため息を吐く。本当に見ていられないようでふつふつと罪悪感が湧いてくる。ごめんなさい、ろーくん……と再度謝罪をするとまたなんとも言えない顔をした彼は立ち上がる。立てかけておいた鬼哭を手に取るとドアへと手をかけて「後で返せよ」と一言残すとそのまま出て行ってしまった。予想外の出来事に目を白黒させる私は思わず帽子のてっぺんへと手を伸ばした。去り際に確かにぽすり、と一度触られたその場所。頭が混乱する、彼は怒って……もしくは呆れていたのではないのだろうか?混乱する思考の中、暫く私は彼の帽子を外すことも出来なかった。







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