アクアリウムバーから出て階段を上ると、妙に楽しそうな声が漏れる扉があった。その前に立ち止まってなんとなく耳を澄ませば最近耳馴染みが出てきた彼女の声と、高く少年のような声が時折盛り上がるように声を上げたかと思えば急に静けさが訪れたり、と少し情緒を疑うような会話が繰り広げられている。


この中で何が起きているんだ、と興味が惹かれるままに扉を押し開くときょとんと目を丸くしたサナとトニー屋が椅子に並んで座り、一冊の本を仲睦まじく見下ろしていた。俺がその状況を理解する前に「トラ男!」「ローくん!」と二人は俺の元まで走ってくると両側から俺の手を引いて自分たちが座っていた椅子の真ん中までそそくさと誘導を始める。おい、と思わず声をかけても、二人は顔を見合わせてニコニコと機嫌良さそうに笑うだけだ。



断り切れず、流れのままにその場に座ると丁度目の前に先程覗き込んでいた本が置かれていた。何気なくタイトルに目を落とせば、そこには見覚えのある文字列が並んでいる。俺が昔読んだことがある医学書の一冊だった。奥底にある物凄く懐かしい記憶に少し触れて懐かしい、という感情が込み上げた。指先で印字をなぞったが、どうやらこの著者のまどろっこしい書き方も未だに健在らしい。





「これは……」
「もしかしてローくん読んだことある?」
「え!そうなのか?」
「……あァ、随分昔のことだが……」





俺の言葉に今度は揃って目を爛々と輝かした二人はすごいすごい、と俺を褒め称える。……そもそもこの手の本は家にも沢山置いていたし、手に入りづらい医学書はドフラミンゴに渡された物も多かった。医者として当然だ、と答えると、ついその数秒前まで元気だったトニー屋があからさまに肩を落として小さくなる。慌てて励まそうとするサナだったが、モジモジと手を合わせて分かりやすく落ち込むトニー屋はヒトヒトの実を食べたトナカイらしいので医学書を昔から読んでいるわけではないことは容易に想像でき、失言に気がついた。彼女が慰めるのにも俯いたままのトニー屋にサナは助けを求めるような目をこちらに向ける。……俺も多少は悪いことを言った自覚があったので、軽く息を吐き出しつつゆっくりと口を開いた。






「だが……もう古い情報だ、今から知識にするなら違うものがいい」
「え、そ、そうなのか……?」
「あァ……読み終わった本ならやる。あと、お前はこの一味の生命線なんだ。自信を持て。お前がダメだと思えば治るもんも治らねぇぞ」
「そうだよな……ごめん、トラ男……」
「……この一味の奴らは無茶をするだろう、それをここまで導けているなら大した仕事だ」






俺がそう言うとトニー屋は驚いたように顔を上げる。近くの彼女も何故か同じように顔を上げ、合計四つの目が俺を捉えた。居心地の悪さを感じつつも、事実を言ったまでだと告げれば目が潤んだその生物は力強く頷いてからサナの元へと駆け寄る。彼女も自分に寄ってきたトニー屋を抱き上げるとそのまま胸元で強く抱きしめて、良かったね……と声を震わせる。まさか、と思って顔を覗けば、彼女もまた目元が揺らいでいた。……俺は別に大したことは言っていないのだが、とその光景にどう接していいか困っていると、揃って二人が勢いよく頭を下げた。





「ありがとうローくん……!」
「ありがとな、トラ男……!おれ、感動したよ!」
「……いや、別に大したことは……」
「ううん、チョッパーも私と同じでローくんに認めてもらえたから嬉しいんだよ」
「うん、うん!」





大袈裟なくらいに頷くトニー屋とニコニコと嬉しさを滲ませて笑う彼女にどうにもまた居心地が悪くなる。サナもトニー屋も大概素直なタイプだと分かっているので本心でこう言っていると理解できる。まぁ、だからこそ落ち着かないのだが。とは言え、こうして二人で楽しげにはしゃいでいる姿には、言葉の裏を無駄に考えたり、汲み取る必要も無く、そういう点では楽なのかもしれない。ふわふわとしたオーラを纏うような空間は不思議と俺の肩の力を自然と抜かせてしまうのでどうにも調子が狂った。……おい、とどちらにと言うわけでもなく声を掛けると同じタイミングで俺を見て首を傾げた小動物"二匹"にほぼ反射的に手を伸ばして両手でわしわし、と撫でてやるとカチン、と固まってから顔を見合わせ、溶けたように破顔する様子を見るのは悪い気がしなかった。




暫く時間が経ち、ドアが開く。そこに立っていたのは本を持ったニコ屋で、俺を含めた三人の光景を見ると俺に目を向けて「……トラ男くん、ずるいわ」と珍しい反応をしたので、俺も「かもな」と返した。俺の手を頭に乗せて机の上に突っ伏して眠る二匹には案外、居るだけでもセラピー効果があるのかもしれない。











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