おにぎり



お皿にいくつか乗せた三角形が転がり落ちないように注意しながら階段を降りていく。彼の喜んだ顔はあまり想像できないけれど、少しでも安心してくれるといいな、と期待しつつバーへの扉を開いた。





「え?おにぎりを作りたい?」
「うん、そうなの。サンジくん出来る?」
「そりゃあサナちゃんのためならお安い御用!……だけど、どうしてまた?」





30分ほど前、私はキッチンを訪れていた。いつも優しいサンジくんは私の申し出を二つ返事で了承するが、唐突なそれに理由を知りたかったのかきょとん、とした顔で私に問いかけた。

私がおにぎりを作りたかった理由は紛れもなくローくんのことだ。もうすぐ控える決戦を前にしてお腹を膨れさせよう、という目的と、少なからず慣れない環境はストレスを感じるだろうから、と彼の好物らしいおにぎりを持っていこうと決めたのだ。それを伝えればサンジくんは衝撃を受けた、と言わんばかりに目を見開き、崩れる体を支えるようにシンクへと手をついて「な、なんていじらしいんだ……ッ!」と額を押さえた。

私としてはそんなに大したことをしようとしているわけでもなかったから、こんなにも感激されてしまうとそれはそれで困ってしまう。さ、さんじくん……とタジタジとした声で呼びかければ彼はゆっくりと改めて立ち上がる。





「サナちゃん……君の優しく清らかな心は俺に十分伝わった……!やろう!俺が手取り足取りぜぇ〜んぶ!教えてあげるからね!」
「ホント!?ありがとうサンジくん!」
「おう!任せろ!……まあトラ男の為っつーのは気に食わないというか、羨ましいというかアレだけども……!」








結果、サンジくんの指導のもと出来たおにぎりは、お米の硬さから海苔の具合、勿論具の味付けもどれも素晴らしい出来栄えになった。一つ味見に魚の身を入れたものを食べさせてもらったけど本当に美味しくてサンジくんの凄さを痛感した。おにぎりは簡単にできるかな、と思っていた私が相当甘い考えでキッチンに立とうとしていたことも反省できたとてもいい機会だったと思う。彼の料理にはそれだけたくさんの愛が詰まっていた。


きっとこれならローくんも満足してくれるはずだ。あとは彼の口に合えばいいのだけれども……彼はサンジくんの料理をよく食べていたからきっとそれが再現できていれば食べてはくれると信じている。





「ローくん!」
「……お前か」





サニーのアクアリウムバー、ロビンから聞いた通り彼はそこに悠々と座っていた。確かに静かなこの部屋は彼にとっては居心地がいいのかもしれない。私の声にローくんは伏せていた顔を持ち上げると少しだけ眉を寄せる。……もしかして、ゆっくりしていたところを邪魔してしまったのだろうか?そう考えるとあまりに申し訳ない気持ちになり、つい、手に持っていたお皿を反射的に背中側へと隠した。


勿論ローくんがそれを見逃すはずもなく、私の不振な行為に更に眉間の皺を濃くすると鬼哭を地面に着きそのままソファから立ち上がりこちらへと近寄ってきた。ど、どうしよう……!と後ろ手に持つ皿に力が篭った。ずりずり、と後ろ歩きで彼からどうにか逃げようとすると、もっともっと不快そうに今度は舌打ち付きでローくんは私と距離を詰める。当たり前だけれども、そのままその場をやり過ごすことは到底かなわず、ローくんは私を見下ろして「何を隠した」と鋭く目を光らせた。うぅ、と思わず言葉を詰まらせた私に見せろ、と手を差し出した彼に恐る恐ると三角形の山……おにぎりを皿を抱えるようにして差し出した。



「……おにぎり?」
「その、ローくんがおにぎり好きだって聞いたから……」
「…………おれに?」
「うん……でも、ごめん邪魔しちゃったよね……」



そっと、伺いを立てるように彼の顔を覗き込む。思わず、えっ、と、小さく驚きの声が口元から零れ落ちた。驚いたことに彼は私が予想していたのとは違った表情をしていた。そこには不快だとか苛立ちというよりは、些か呆気にとられたような困惑の色が多く浮かんでいるように見える。ローくん、とつい彼の名前を呟くと、彼は私に視線を移し、じっ、とこちらを見つめた。どうしていいか分からず、とにかく彼を見つめ返し続けるとローくんは半ば癖のように息を吐き出すとごく自然な動作でおにぎりを一つ掴み取った。





「あっ」
「……中、梅干しじゃないだろうな」
「う、うん!大丈夫、ちゃんと梅干し入れてないよ!」





私の返事を確認すると彼は小さくいただきます、と口にしてからしっかりとおにぎりにかぶりついた。口を閉じるのと同時に目を瞑り、味わうように咀嚼する姿にえも言えないような緊張が走る。暫くしてから男性らしい喉仏が上下して彼が嚥下するのを視覚的に表した。頃合いを見つつ私が、どうかな、と尋ねるより先に彼は先程よりも大きく口を開けて残りを全て頬張ったので、今度呆気にとられたのは私の番だった。

ハムスターのように口元を膨れさせながら、ただひたすらにそれを受け入れるように彼の口は動いている。空いた手にすかさずもう一つ新しいおにぎりを掴み取る動作はなんだか私の知っていた彼の枠からは少し外れていて衝撃を受けた。彼は案外、こんな風に少年のような食べ方をする人だったみたいだ。二つ目のおにぎりを食べ終わるまでローくんは何も話さなかったけれども、彼の反応は火を見るより明らかだった。




「…………ごちそうさまでした」
「……お、お粗末様でした……」




ぺろ、と指先についた米粒を舐めとってから彼はそう声にした。私もつられるように言葉を返して軽く頭を下げる。まさか、全部食べてくれるなんて思いもしなかった。寧ろ無理をさせてしまったのではないか、と心配にもなるくらいだ。そう、それほどまでに彼の反応は完全に予想外だった。これからどうやって話を続ければいいのか分からないくらいには私にとって衝撃的な光景が繰り広げられていた気がする。それに、わざわざ"そういったこと"を聞くのは何となく憚られてしまった。





「美味かった、」
「……え!?」
「……うるせェな」
「ご、ごめん、でも!え、ほんと……?」




そう、私が気が引けていたその単語を彼は簡単に言い放ったのだ。人の発言を深い意味はなくても疑うように聞き返すのは良いことではない、と理解しつつも思わずその疑問は口から飛び出てしまった。そして彼はそれを否定するわけでもなく、あァ、と一言だけ私に返した。どうしよう、すごく、嬉しい。こみ上げるその気持ちが今にも飛び出てしまいそうで口元に手を置いて自分を制したけれど、本当に、嬉しくて仕方がなかった。大した料理でもないし、ほとんどがサンジくんのおかげだとしても、やっぱり、口元が緩むのが止められなかった。




「ありがとう、ローくん……」
「……そういうのは俺みたいな立場の奴が言う言葉だろ」
「ううん、そんなことないよ、私、だって今、本当に嬉しい……!」
「なんだよ、それ……」




困ったような表情の彼を見てもやっぱり私の口元はにへにへ、と緩みきっている。居心地悪そうに目を逸らしたローくんは私が未だ持っていた皿をサッと取り上げると、そのまま私の横をすり抜けて俺が食ったから俺が持っていく、と足早に歩いていく。慌ててそれを止めようとしたけれど、いい、と明確に私が運ぶのを拒否したのでその場で足踏みをする。バーのドアを開いたローくんはふ、と立ち止まると、もう一度私に伝えるように「美味かった、」と言葉にする。私も同じように感謝を返そうとありがとうの、あ、の文字までを声にした時、それを遮るように続けられた言葉に見事に固まってしまった。


建て付けが悪ければ壊れてしまうのではないか、というほどに勢いよく閉められた扉。彼が去り、アクアリウムバーにはまた静寂が戻る。ふらふらとソファへと導かれるように深く腰掛けて混乱する頭を落ち着けた。








「美味かった……サナ、」








最後に付け加えられたそれは、気が向いた時の言葉は、私の胸をいっぱいにするにはあまりにも十分すぎるほどだった。

少しして上の方が騒がしくなるのが分かった。けれどなんとなく、その言葉の余韻をもう少しここで噛み締めていたくなって、私は暫くその場を動かなかった。




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