分からない


「トラ男くんって」
「なんだ」
「ローくん、のが嬉しかったりする?」




突拍子もない問いかけに自分でも険しい顔をしているのが分かった。


俺の目の前で小さく首を傾げて問いかけてきたこの女は麦わら屋の船にセラピストとして乗船しているアトラス・サナ。表現するなら、甘ったるく噛みごたえのないデザートのような雰囲気を醸し出す彼女とはどうにもまだ接し方に慣れない。一見して海賊なんてガラじゃないこの女。それでもここ新世界まで付いて来れているという事は並ではない筈なのだが、コイツと話していると妙に脱力してしまう。


以前、黒足屋に「アイツはいつもああなのか」と尋ねると「あァ〜…まあ、そうかな。クソ可愛いだろ?」と俺の期待していたのとは全く違う回答をされ、更には延々とアトラス屋についての偏見溢れる意見と感想を聞かされて時間の無駄だったことを思い出し、また溜息が溢れそうになるのを奥歯で制する。……今はその本人が居る、下手に考えている場合ではない。



「……最初は意味が分からなかったが、もう慣れた」
「みんな呼んでるもんね」



そっか、と1人納得したように頷く姿が歯痒く感じる。次の言葉を待つ前に何が言いたい、と思わず投げかければ丸っこい瞳が俺を捉える。……こうしてコイツの眼に見られると理由なく居心地の悪さを感じることが多かった。恐らく無意識に俺の様子を見て情報収集を行っているのだと思う。これは俺の医者という立場から見た考察だ。彼女の"セラピスト"という役割を思うに、人間の細やかな観察は施術に活かすのに欠かせない能力なのだろう。医者で言えば早期に異常を見つけるという点で似通っているとも捉えられる為、俺はそれを咎めることは出来なかった。




「初めの方はトラ男くん、こう呼ばれるとちょっと険しい顔になってたから」
「……そうか」
「うん、今はそんなに、って感じに見えるけど」
「もうどうでも良くなった」




俺の投げやりな返事にアトラス屋は少し驚いてからころころと耳馴染み良い声で笑った。そっかぁ、と何処か満足そうな雰囲気にあまり納得はいかなかった。何がそんなにおかしいのか。しかし、それを感じ取るように皆自由だから諦めちゃうよね、と答えた姿に小さく舌を打つ。実際、その通りだった。



「ねぇ、トラ男くん。私も麦わらの一味として自由に呼んでいいかな」
「……、好きにしろ」
「……!うん!好きにするね、ローくん!」




ローくん、と耳馴染みのない呼ばれ方がどうにも決まりが悪く、ぐいと帽子を引き下げる。もう一度確かめるようにローくん、と紡がれた声に仕方なく、なんだ、と返してやればなんでもない、と楽しそうに笑われた。……コイツと居ると麦わら屋とは違った意味で調子が狂う。




「私だけがローくん、って呼ぶのも変だし……ローくんも良かったら名前で呼んでくれると嬉しいなぁ」
「……気が向いたらな」
「うん、気が向いたら」



にこにこ、と効果音が付きそうなほど機嫌よく喜びを頬に浮かべた彼女は俺に対して今すぐ呼べと圧力をかけるわけでもなく、ただそこに立って微笑む。言わば本当に心からいつでもいい、と思っているようで、こういったところがセラピストたる所以なのかと思わざるを得なかった。つい先ほどまで感じていた居心地の悪さはいつのまにか消え失せており、それよりも……と、そこまで考えてから自身に気持ちが悪くなり、咄嗟に手を下に向ける。

あっ、と驚いた顔の彼女を最後にぐい、と手のひらを返す。次の瞬間俺はアクアリウムバーのソファに浅く腰掛けていた。あら、と聞こえた声に顔を上げると少し離れた場所で歴史書を片手に持ったニコ屋が俺と同じように座っていた。







「……わざわざ能力を使ってここに?」
「……あァ、別に、深い意味は無い」
「そう?」



ニコ屋は少し詮索するようにこちらを見ていたが俺が話す気が無いのを悟るとすぐにまた本へと視線を落とした。同じ性別だが先程まで顔を合わせていた奴とは全く違うタイプの女。こちらの方がまだ幾分か俺の理屈が通じる分やり易い。過度な干渉をする様子もないニコ屋を確認しゆっくりと目を閉じた。薄暗く水に囲まれたこの空間は潜水したポーラータングを思わせるので嫌いでは無かった。ぼんやりと頭に浮かんだのは屈託無く笑うあの笑顔。





「うん、気が向いたら」





「……チッ」
「サナのことで何かあったのかしら?」



頭に回っていたその名前を不意に出され、な、と少し動揺する。瞼を開ければ少し面白そうに口元を緩めているニコ屋が肘をついてこちらを見ていた。既に読んでいた本は閉じられておりしっかりと栞まで挟まれている。何のことだ、と咄嗟に誤魔化すように言葉を続けたが、その違和感に気付かないようなタイプでもないと分かっている。当たり前のようになんだかそう見えて、と返されてしまった。



「分かるわ。……私もそうだったから」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ、彼女……不思議な子でしょう?」



過去を懐かしむように細められたニコ屋の目は水槽へと向けられる。静かなこの部屋では甲板の方での騒がしい声が微かに聞こえてきた。その瞬間を噛み締めるように黙ってそれに聴き入ってからもう一度俺に向き直ると「トラ男くんも分かるでしょう?」と顔を綻ばせる。それに素直に返事が出来るほど認められていない俺は、さァな、と返事を濁らせた。その反応にすらもそうね、と楽しそうに笑い声を零されて、いよいよ俺も何も言えなかった。

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