取引





人の波を縫うように花の都を歩き続けた。都では上物の着物を身につけた男も貧しそうな女子供も皆が困惑していた。飛び交う言葉は小紫という花魁の名前と"丑三つ小僧"という言葉ばかりで、俺はそれを耳に通しつつも羅刹町の牢屋敷へと足を進める。そこに居るであろう俺の仲間たちと、目が覚めると部屋から消え去っていた彼女に一つや二つ、言ってやりたい事がある。……あぁ、クソ、本当に……気を抜き過ぎていた。






舌打ちが溢れるのを抑え切れず歯を噛み締める。仲間の奪還の前に彼女の按摩屋に訪れ、計画を練り直し、いつものように彼女の施術を受けたまでは良かった。まさか、彼女がこんなにも早く単独行動に出るとは予想していなかったのだ。確かに俺は自分のすべきことをすれば良いとは言ったが……一人で突っ走れと助言した訳ではない。サナもまた麦わら屋の仲間であることを失認していた自分にも先走った彼女にもどうしようもない苛立ちが募った。本来、こんな想いを仲間でもない彼女に抱くのが可笑しなことである自覚はしている。だが、それでも、理屈では説明できないモノが俺の中に渦巻いているのは分かっていた。






ああ見えて彼女が無茶をするタイプである事はここまでの同盟期間を通して十分理解していた。だからこそ、幾つかの最悪のケースが頭に浮かんでは眉を顰める。今、この国で俺を引きずり出したいと思っている奴は十中八九、"バジル・ホーキンス"に違いないだろう。ベポたちを捕まえたのも恐らく俺に対する一種の脅しの類であることに間違いは無いはずだ。……アイツに慈悲なんて言葉は似合わない。寧ろ、どこまでも必要とあれば相手の嫌がる事を選択する悪どい野郎だ。










「覚えておこう、お前の弱みとして」
「……何が言いたい」
「それはお前の方がよく分かってるんじゃないのか?トラファルガー・ロー……」










いつかのアイツの言葉を思い出して苦虫を噛み潰す。漂う暗雲の予感がいっそのこと清々しいくらいに外れることを願いつつ草履で土道を走り抜けた。通りにいる人の数も増え始め、騒めきが増し始めていた。もうすぐ羅刹町に入るのだろう。人混みを避けるように俺は裏路地へと進行方向を変えて牢屋敷へと急ぐ。気の抜けた顔で笑う彼女の顔が妙にチラついて目の奥から離れなかった。

















「現れると思っていた、トラファルガー」





その、感情の読めない表情と声色は数多の町人の足音が響きわたるこの場所でも嫌な存在感を放っていた。堂々とした立ち姿で俺を見据えるホーキンスは怒号や土煙、銃声で騒がしくなった羅刹町門前には全く興味を示していない。仮にもカイドウ一派に付いている筈だが、この男にとって今憎む相手は俺だという事らしい。少し向き合うだけで口角が上がるのを堪え切れていない姿には嫌悪感が増すばかりだ。船長!とオリの中から飛んだ声に目を向ける。木枠の奥に立つシャチとペンギンは顔に多少の傷と血が滲んではいるが、生きて俺を呼ぶ程度の気力はあるようだ。……だが、軽く見渡せど、そこには他に予想していた人物の姿は見えない。






「…………もう一人……シロクマがいた筈だ……」
「貴様の能力ならすぐ外へ逃されてしまう。"人質"全員を見える場所に置いておくのもバカな話」






悟られないように俺は残りのクルーの名前を口にする。人質を囮に俺を釣るくらいだ、この程度の行為は読めていた。グローブをはめた手で檻を指差して俺にもそこへと入るように示したホーキンスに妙な違和感を覚える。俺がそこに入ったところで能力でどうとでもなることを先ほどの言葉から考察してもこの男が把握していない筈がない。焚きつけるように驕るな、と返した言葉に不気味な笑みを浮かべた男は自身の持つ剣を自らの肌の表面へと滑らせた。その途端に檻の中からは苦しそうなシャチの声と困惑したように名前を呼んだペンギンが俺の目に映る。シャチの腕からは赤黒い血液がダラリと流れて地面を濡らした。それを理解した瞬間に俺は腹の底から湧き上がった怒りで思わず絶句する。システム的なことは分からない、だが、この男は……俺を捕らえる為にアイツらを物理的に接続された"人質"としている。





「俺は今……四つの命を持っている……お前が俺を斬れる時は……3人の部下を殺した後だ」





暗い目元は真っ直ぐに俺を見据えている。勝ちを確信したようなその顔はいつかのドフラミンゴを思わせるようで虫唾が走った。ホーキンスは多くを語るつもりはないらしく、俺の言葉を待っているように思えた。……これは、交換条件だ。それも向こうに圧倒的に有利でこちらにとっては酷く分が悪い取引。考えろ、どう動くのが最善だ?無駄に抵抗すればきっとコイツは躊躇いなく少なくとも1人は殺すつもりだろう。無駄な犠牲を出す訳にはいかない、なら下手な実力行使はすべきじゃない。まずは何より相手に弱みを握られているこの状況を打開するのが最優先となる。じっ、と思考する俺に、あぁ、そうだ、とふと思いついたようにホーキンスが口を開いた。








「……トラファルガー、アトラス・サナは息災か?」
「………あァ?」








告げられた名前にほぼ無意識のうちに地を這うような声が口から溢れた。俺の視線にホーキンスは少し眉を動かしたが、すぐにまた嗤い、ただ息災かどうかを尋ねた、それだけだろう、と肩を竦めた。が、








…………テメェ、そんな筈ねェだろ……!




そうやって、蒸し返るような不快感に唾を飲み込んだ。今、この男はサナを使って俺を脅している。正確に言えば彼女が本当に脅しの材料になるような状況に陥っているのかは分からないが、言葉ではどうとでも言える。そもそも本当にホーキンスが彼女を既に捕らえているならば此処で条件として明確に提示しない時点でハッタリだと言える。この男は少なからず俺にとって……彼女が簡単に捨てられるものではないことを理解している筈だ。それならば今の条件にそれを加えない筈がないのだ。加えないことでのメリットなど今考えうる限りでは思いつかない。この男が俺を従えさせ、情報を聞き出したいのなら牙を折って鎖にでも繋ぐのが1番だろう。その状況に大人しく導きたいのなら……俺がもし、逆の立場なら、ソイツの捨てられないモノの心臓を抉り取り、いつでも握り潰せるようにする。海賊の取引なんて、そんなものだ。




特別精神医学に詳しい訳ではないが、経験則、今の発言はただ俺の動揺を誘いたいだけに過ぎない。根拠も無い、不透明な脅し文句に過ぎない。その程度のことだ。確率としても可能性としても限りなくゼロに近いだろう。…………そう、あくまでも、限りなく、なのだ。俺は今彼女の動向を把握できていない、彼女は俺が目覚めた時から忽然と姿を消している。もしかすると門の近くにいるのかもしれないし、この檻ではない違う場所に監禁されているのかもしれない。それを断定できるだけの証拠はこの場に存在していない。






「船長!サナさんは俺等の檻には居ません!!!」
「そ、そうです!だから俺たちのことは気にしないで下さい!」






ペンギンとシャチが庇うように声を上げる。チラリと一瞬それに目を向けたホーキンスはすぐにまた俺に向き直った。その目は決断しろ、と投げかけているように見えた。……ふ、と軽く息を吸い込む。もう既に、俺がすべきことは決まっていた。ゆっくりと肩から鬼哭を下ろしてそのまま地面に投げ捨てる。少し警戒したように剣を構えようとしていたホーキンスだったが、鈍い音がして落下したそれにゆっくりと臨戦態勢を解除した。船長……と狼狽し、俺を見つめる仲間達に一度だけ視線を送ってから、目の前の男へと口を動かした。








「取引だ、ホーキンス」
「……聞こうじゃないか、トラファルガー」








掛かった、と言わんばかりに笑みを深めたのに若干の苛立ちが募ったが一々構っていてはキリがない。俺はホーキンスに彼が有している俺に関係する人間の命を解放するように、と条件を提示した。それに対してふむ、と顎に手を置いて何やら考えを巡らせ「お前は俺に何を差し出す?」とじっとりと値踏みするようにこちらを見つめた。向こうにとっても一種の賭けのつもりはあるらしく、慎重な出方をしているのが見て取れた。当たり前だが、今後の俺たちや麦わら屋たちの動きについてコイツは必ず押さえておきたい筈だ。なら下手な選択をするのは考え難いだろう。俺が最初に感じたよりも、この取引は案外フラットなのかもしれない。





「俺の身柄だ。……単純で分かりやすい」
「つまり……お前を捕まえ、牢で拘束するまで、という訳か」
「あァ、そうだ。そこまでは大人しく従ってやる、が、ホーキンス ……」





目の前に男の驚いたように開いた瞳が広がる。地面から引き寄せた鬼哭はホーキンスの喉元のすぐ隣で彼の剣によってほぼ反射的に防がれていたが、突然の行為にホーキンスは少なからず顔を歪めていた。なんの真似だ、と力を込めて俺の一太刀を受け止めながら問いかけた彼に俺もまた退くことなく言い返した。






「……俺は医者だが聖人じゃねェ……今すぐこの取引を捨てて俺の部下達諸共お前を切り捨てる事も出来る」
「……なに?」
「お前は俺の優位に立ったつもりなんだろうが……俺もアイツらも海賊だ、他人に支配される命なんざとっくに捨てた。この腐り落ちた国なんざどうでもいい……お前を"殺したいから殺す"選択ぐらい、簡単だ」
「…………」
「だが、……腐っても医者だ。無益に誰彼構わず殺すのは俺の趣味じゃねェ」
「……随分矛盾しているように聞こえるが?」
「かもな……だが両方、本気だ」







俺の真意を探るようなホーキンスは不可解そうな顔をしていたが直ぐに考えるのをやめたように目を閉じると腕の力をすとん、と抜いた。それに比例するように俺も力を抜きそのまま鬼哭から手を離す。鬼哭はホーキンス の手元に収まり、この行動から俺の意思を汲み取ったホーキンスはゆっくりと牢を開くと看守を一人呼び、ペンギンとシャチ、そして奥の方からベポを連れて来させた。唯一状況が分かっていなかったベポもまた、白い毛が少し赤く染まってはいたが自らの足で歩けているのを見る限り酷い怪我をしているわけではないと分かった。自らの腕から三つの藁人形を生み出し、それを床へとぼたぼたと無頓着に落としたホーキンスはこれで3人を解放した、と続ける。コイツの能力にはこの人形が深く関係しているようだ。




「……いいかお前ら、俺が捕まった事は"麦わら屋"達には絶対に話すな!!」
「え!!?」




不安そうに様子を伺っていた3人に改めて釘を刺す。麦わら屋達は何かと脳天気で、感情が先に立つ奴等ばかりだ。俺が取引をしたとなれば恐らく多くのリスクを深く考えるよりも先に"助けに"くるであろうことは簡単に推測できた。そうなれば下手な騒ぎになり、カイドウ達に感知され侍達の計画がバレるのも時間の問題だ。今のワノ国においてボロが出る芽は摘んでおくに越したことはない。何で!?と騒ぐコイツらを尻目にホーキンスは俺を奥へと連れて行こうとする。その悠々とした背中に一つ、確信を持った言葉を投げかけた。









「……サナは、どうした?」
「……俺がいつ、あの女がここに居ると言った?」
「テメェ……!船長を騙したな!?」
「人聞きの悪い事を……俺はただ、アトラス・サナが息災かどうか尋ねただけに過ぎない、違うか?トラファルガー……」
「……いや、違いない」









だろう、とフンと鼻を鳴らしたホーキンスは今度こそ足を進めた。後ろからの痛みを感じるほどのクルー達の視線には気づいていたが、振り返らなかった。アイツ等を少なからず信頼してる、あそこまで言ったからにはわざわざ麦わら屋達に伝えるような真似はしないだろう。勿論その中には彼女も含まれている。きっと俺が捕まっている事をしればすぐにでも走り出す……サナがそういった人物であることは分かっていた。だからこそ、何も言うなと口止めをしたのだ。サナはホーキンスに捕らえられてはいない、その事実を知れただけでも肩の荷が降り幾分か動きやすくなった。もし彼女が捕らえられ、何かしらの怪我を負っていた場合、俺は麦わら屋に顔向けできなかっただろう。……そう、ただ俺は、同盟相手の仲間が俺の不手際で窮地に立たされるのはポリシーに反する、ということだけだ。それ以上でも、以下でもない。そうやって、真意をゆっくりと沈めていく。余計な感情も考えも作戦の邪魔になるだけだ。そうやって、ふ、と無意識に零れた安堵の息に気付かないフリをして、目蓋を閉じる。彼女の白い頸と柔らかく揺れる桜の簪がそこに映った気がした。
























「人聞きの悪い事を……俺はただ、アトラス・サナが息災かどうか尋ねただけに過ぎない、違うか?トラファルガー……」
「……いや、違いない」







ホーキンスの言葉を肯定した船長には言いようもない違和感を感じたが、そこに浮かんでいた表情に思わず息を飲んだ。それは多分隣に立つシャチやベポもきっと、同じような事を感じ取っていたんだと思う。だから俺を含めて3人とも、何も言えなかった。ホーキンスの部下に檻の外へ放り出された俺達はどうすべきか直ぐに答えが出せずにいて、妙にゆっくりとした動作で羅刹町を歩いた。麦わら達には何も言うな、という船長の選択を覆すつもりはない。彼の決定を尊重できない奴はこの船にはきっと居ないだろう。だが、それと船長が捕まった事はまた別の話だ。船長に何かあったら俺たちはどう責任を取ればいい?部下である俺たちが彼を守れないなどあってはならない事なのだ。船長がアイツ等に"言うな"と伝えたのにはきっと、これ以上借りを作るつもりは無い事、今後の作戦に影響するかも知れない行動は控えるべきという事、そして、何より……サナさんを危険に晒すな、ということだと思う。ちらりと盗み見たシャチやベポも眉を寄せて真剣な面持ちで悩んでいた。少なくともまず、康イエが俺たちのように牢にいる奴らに見せたこの判じ絵は麦わら達にも共有する必要がある。





「……えびす町の方まで、行こう。これをアイツ等にも見せないと……」
「……あァ……くそ、ホーキンスの野郎……!」
「船長大丈夫かなぁ……」





方針を固め怪しまれない程度のスピードで羅刹町を抜けて花の都の外れへと歩を進め始める。ふと途中でポツリ、とシャチが「船長、俺達もだけどサナさんの事も、心配してたな」と呟いた言葉にベポと俺は顔を見合わせてから強く頷いた。そう、最後に俺たちが見た船長は確かに、笑っていたのだ。それは何かを企んでいる時の含みのある笑顔ではない、自然と口元が緩められたような、そんな笑みだった。何かに納得したような、安堵したような、あの状況においてとてもじゃないけど適していると言えない表情。船長は多分、サナさんがあそこにいない事は殆ど予想できていたんだろう。でも、確固たるものでは無かったはずだ。それがあの瞬間、ホーキンスが俺たちや船長を煽る為に言ったであろうあの言葉で確信に変わった。あそこにサナさんは居ない。だから、何処か清々しさすら覚えるあの横顔はきっと、そういうことだ。きっと、船長は、安心したんだ。


ぐっと拳を握り込む。だからこそ、俺たちも麦わら達やサナさんには絶対に言えない。船長の考えや感情を無下には出来ない。してはいけない。でも彼を助けないなんて選択肢も無い。体制を立て直してからどうにかまた牢の方に向かおう。他の船員達にも話して作戦を練ろう。





「……なぁ、ペンギン……」
「なんだよ、」
「船長助けに行く前に、サナさんが無事かどうか確認しよう」
「そうだね……船長に教えてあげたらきっと、もっとホッとするよね」
「……シャチ、ベポ…………そうだな、サナさんも探そう、俺等で」





おう、と頷いた二人に俺も頷き返した。判じ絵を渡して、サナさんを探して、仲間と合流して、そして、俺たちの船長を取り返しに行く。もちろん侍達の作戦も大事だが、最優先は船長だ。俺たちにとって、あの人の他について行きたい人なんていやしないんだから。決意を掲げた俺達は未だ町人の足音や話し声で騒がしい通りを必死で走り抜ける。まず目指すのはえびす町だ。











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