たいめん








街の中では人々の咽び泣く声や鈴の音が響き渡る。恐らく小紫さんの移送が始まったのだろう。そんな中私は1人、肌にじっとりと嫌な汗を流していた。都の喧騒から少し離れた郊外、嫌に堂々とした立ち姿で彼は私を見据えていた。






「……会いたかった、アトラス・サナ」
「……バジル・ホーキンス ……」






感情の読めない淡々とした声にぐ、と奥歯を噛み締める。私にとってこれ以上最悪な事態が思いつかないほどにまずい状況だった。彼は相変わらず大きな刀を腰に下げじっと私を見つめている。彼の能力はまだいまいち把握しきれていない。タロットカードのようなものを用いる能力者である事に間違いはないのだが、どちらにせよこちらから不用意に近付く訳にはいかない。懐にしまっている針の短剣の柄に手を添えながら私も彼をしっかりと、出来る限り何も悟らせないように見つめ返した。




「……トラファルガーは居ないのか?」
「はい、ローくんとは別行動です……彼が目的ですか?」
「あぁ……そうだ。彼とは取引をしなければならない」
「彼の、仲間のことですね」




私の言葉にふ、と目を細めた彼は「あぁ」と動揺する素振りもなく肯定の返事を見せる。彼にとってローくんとの接触は隠すべき事ではないようだ。やはり彼の仲間を人質に取っているのはホーキンスで間違いない、何とかして助け出せれば、とも思うが私1人でどうにかなるとも思えない。歯痒さは拭えないが今この場に彼等が見えない時点で深追いは悪手……これで私まで捕まってしまったらそれこそ足手纏いになる。とにかくこの場を離れて、彼の手が及ばない人の多い場所にまで逃げる必要がある。だが、ここで私が彼と出会ったのもチャンスではあった。ローくんは今、まだ私の按摩屋で仮眠を取っている筈だ。きっと起きていたらこうして私が1人で出歩くのをきっと止められていただろう。でも既に彼はこの数日間ロクな睡眠をしていない。そんな彼を起こすなんて私にはとても出来なかった。とはいえ、ほんの少し彼の代わりに偵察でもしようかと裏道を通れば運悪く敵と遭遇してしまった訳だが……でも、だからこそ、今ここでホーキンスから何か情報を得られたなら大きな収穫になる。無理はしない、でも、無茶をしてでも彼と対話する必要があった。




「……何故彼の仲間を人質に?」
「トラファルガーはああ見えて冷酷にはなれない、必ず現れる……違うか?」
「私みたいな女が彼のことを深く理解しているとでも?」
「……少なくとも麦わらの一味とハートの海賊団には繋がりがある、無論、この国で何を企んでいるのか知る必要がある」




落ち着いた調子で続けられた彼の言葉を頭の中で慎重に咀嚼する。私たちが同盟を組んでいる時点で彼等との繋がりは知られている。しかし、このワノ国で何をしようとしているのかまではホーキンス達……いや、カイドウ一派は把握し切れていない。それを知るためにローくんの仲間を人質に取り、ローくんから聞き出そうとしている。態々ローくん自身を引き摺り出そうとするということは、つまり、彼の仲間であるベポ達は口を割っていない、ということになる。内心そっと安堵の息を吐き出した。よかった、これで彼等の疑念を晴らすことが出来る。つまりまだ、カイドウ側には詳細な情報は恐らく、漏れていない。……これは新たな収穫だ。何も知られていないという"情報"何としてでも皆に伝えなければならない。柄を握る力を少し強めた。ホーキンスはゆっくりと空を見上げると変わらない調子で口を開く。




「俺も暇ではない……この後国を挙げての大きな警備に付かなければならないんでね」
「……大きな警備?一体何が、」
「だから早くカタをつけたい」



ふ、と私に目を合わせた彼に背筋が冷たくなる。反射的に地面を蹴ってその場から離れるように転がれば先程まで私が立っていた場所に太い藁の束が幹のように伸びていく。危なかった……!少し判断が遅れていれば、と想像して首を振った。やはり彼もうちの船長と同じルーキー、手は抜けない。重い動作で刀を抜いた彼は刃先を私に向けたので、私も太い針で出来た短剣を抜き取り少し腰を落として構えた。




「アトラス……お前もまた"餌"だ」
「……餌?」




彼の言葉に眉を顰めるとホーキンスはフ、と口元を歪めた。あくまでシラを切るか、と俯き節目がちになった彼の睫毛が揺れる。藁備手刀、その一言と共に伸ばされた刀をギリギリで避けながら必死に打開策を考える。しつこく私の後を追いかけてくる藁の刀は自在に伸ばすことが出来るようだ。このままでジリ貧、ここから逃げ出すにも分が悪い……どうすればこの場から離れられる?兎に角足を動かし続け、避け切れない場合は針で藁を切り落す。その中でもホーキンス本体はゆっくりと確実に私の方へと歩を進めていた。刀と本人どちらにも追い詰められては仕方がない、出来る限り挟まれないように広い場所へと逃げ続ける。上がっていく息に確実に体力が削られていくのがわかる。この調子じゃバテるのは私、たとえ離れられても人混みにたどり着くより先に彼に捕まる未来が見えた。それでは、意味がない。不意に触れた袂にチクリとした感覚を覚える。は、と息を呑んだ。そうだ、これで、





「……遅い」
「ッあ……!?」
「……よくここまで避け続けた。だが、これでチェックメイトだ」





ぐ、と腰に巻きつくように伸びた藁の束が瞬く間に私を拘束するとそのまま縮んでいき、彼の目の前へと引き寄せられる。咄嗟に袂に手を入れそれを掴み握り込み、目と鼻の先に迫ったホーキンスをキッと睨みつける。爛々とした瞳は海賊らしくて、その何処か高貴な雰囲気とはミスマッチだった。低い声で響くように笑った彼は加虐的に口角を上げると私の顎を指先で持ち上げ、こちらに見定めするような視線を投げかける。手首からぼんやりと香ったスパイシーや香りに私もまた思わず少し笑った。



「……ムスク、ですか?ぴったりですね」
「……ああそうか、お前はセラピストだったな……本職に褒められるのは光栄だよ……ついでにトラファルガーの匂いについても教えて貰おうか」




トラファルガー、の名前に一つの仮説に確信を得る。彼は恐らく、ローくんとの取り引きに私を使うつもりだ。ならここで殺すような真似はしないだろう。だが、理由までは、読めない。彼の仲間だけでは不十分だった?そんな筈ない、ただ……彼の仲間でもない、言わばただの同盟相手のクルーの私にホーキンスが望むほどの価値があるとはどうにも思えなかった。まだ何か裏が?と勘ぐるように漆黒の瞳を見た。彼はその意図を察したのか、少し驚いたように瞼を動かすと非常に可笑しそうに顔を歪めてまた笑った。何が可笑しいんですか、と少し攻撃的な口調で彼に問い掛ければ、随分今日は反抗的だ、とホーキンスは呟いた。




「あぁ、お前は何も分かっていないらしい……トラファルガーも不憫な男だ」
「……ローくんが?でもローくんは私なんかじゃ、」
「必ず来る」




ホーキンスの強い語気に思わず口を噤んだ。どうしてそう言い切れるのか私には分からなかったが、彼はそう信じて疑わないらしい。「トラファルガーはお前を少なからず特別に見ている」そう言って、真っ直ぐと見つめてくる彼に何とも言えない感情が湧き上がる。彼が私を特別に?確かに彼は優しい人だと思うし、何度も助けてもらっている。そういった意味で私が彼を特別だと考えるなら合点がいくが"彼"が私を特別に思う理由など、何か存在するのだろうか……?大きな恩がある訳でも、大切なものを渡した訳でもない私は、彼にとって価値となりうるのだろうか?それにローくんが不憫、とはどういう意味なのだろうか。……考えても中々答えは出なかった。ただ首を横に振ってそんなはずない、と否定することしか私には出来なかった。それでもホーキンスは私を離すつもりはなく、ただ、更に強く藁が巻きつけられただけだ。……握った拳にもう一度力を込める。まだ、その時ではない。




「……ッ!貴方はこの後、警備があるんですよね…!?私に時間を割いてもいいんですか!?」
「案ずるな……これは覆る事のない仕事だ」
「覆る事のない……?」
「必ず定刻にて実行される……羅刹町の牢屋敷前での"丑三つ小僧"の処刑」





丑三つ小僧、その言葉には聞き覚えがあった。マッサージに来たお客さん達が語る花の都の英雄……大金持ちから盗みを働き貧乏人に分け与える泥棒……しかし、そんな丑三つ小僧という所詮は1人の泥棒の処刑が大きな警備の仕事、とは考え難い。恐らく他にも何かある、その仮説を立てたまま、それだけですか?と聞くと、意外にも彼は、いや、と首を振った。





「……丑三つ小僧の正体は元大名"霜月"康イエ」
「……霜月……!?」
「これで分かるだろう。確実に処刑は執行される、何があろうと止まらない」





未だ聞こえるすすり泣きの方角へと目を向けてホーキンスは次第に花魁の葬儀から注目は処刑へと移り変わるだろう、と続けた。これが本当なら早く錦えもんさんたちに伝えなければいけない。まだ都では小紫さんの悲しみが広がっており、警備に当たっているホーキンスは私の目の前。まだ、今なら間に合うかもしれない。彼らの大切な人が失われるのをどうにか食い止められるのかもしれない。これ以上の情報とこの事実を天秤にかけ、すぐさま判断を下した。きっと、今しかない。




「……貴方は、そんなに私に情報を流しても良かったんですか?」
「ほォ……面白い事を言うな……お前がここから逃げ延びる可能性は5%にも満たない」 
「なら、今がその5%です、ねッ!!!」
「ッ!?な、ッこれは……!?」




私が掌を開くと体を拘束していた藁が逃げるように彼の手元へと収まっていく。そしてホーキンスが動揺したその瞬間に思い切り"彼"と同じ左肩に小さな凶器を押し込んだ。そして、ふらりとバランスを崩した目の前の男に迷い無く短剣を深く突き刺しては逃げるように距離を取った。ホーキンスは自分の左肩に触れると苦く顔を歪め吐き捨てるように舌を打った。





「海楼石の、釘……!」
「ソレ、お返し、しておきますね……!神経の走行に合わせて埋めたんで、多分痛いですけど……!」
「アトラス・サナ……!!!」






酷く憎らしそうに私の名前を叫んだ彼の声を背中に私は街の中へと走り出す。細い路地を通り、とにかく喧騒へと足を進める。時代に人々の声は大きくなり、私がよく見た花の都へと姿を変えていく。茶屋の隣の角で足を止めてやっと振り返ったが、そこにホーキンスはおらず、深く深く息を吐き出した。どくどく、と煩い心臓を落ち着かせるために背中を壁に付け、ゆっくりとへたり込んだ。上手くいって良かった……!運が良かっただけだ、そうは分かりつつも安心と達成感で胸が苦しくなる。二年前にCPと戦った時のような緊張感に似ていたけれど、今回はそれなりに軽傷で済んだのでほんの少しだけ自身の成長を感じた。


とはいえここで立ち止まるわけにはいかない。処刑が何時からなのかは分からないが、今からナミ達の元に戻る時間があるとも限らない。騒ぎはすぐに伝わるはずだ、それなら羅刹町に先に入り、状況を調べておく方が良いのかもしれない。きっとみんなも一度こっちにまで来る、信じよう。そうと決めれば私が向かうべきこと、すべきことはもう固まっている。一心不乱に逃げてはだけた着物を軽く整えてから、もう一度深呼吸して表通りへと足を進め始める。




 




「……ついでにトラファルガーの匂いについても教えて貰おうか」








……不意に脳裏に先程のホーキンスの言葉が頭を過った。何となく勘に触ったそれについ口を尖らせて誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。





「……私のよく使うアロマと、医療用の薬品ですよ」





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