きづかい







瞼に当たる熱と光にぼんやりと意識が覚醒する。ゆっくりと呼吸を開始するように目を開け、見えたのは木の棒が張り巡らされた天井だ。少し首を動かすとウソップとフランキーが床に倒れるようにして眠っているのが分かった。それに私も昨日、いつの間にか寝てしまっていたようだ、と自覚した。反対側にも同じように顔を向け、気づく。私の右手には布のような物が掴まれている。何度か瞬きをしてその事実を自身へと飲み込もうとするがなかなか頭が働いてくれない。小豆色をベースとしてその上に鈍い黄色で模様が入っているそれに何となく、見覚えがある。




数秒思考し、一つの可能性に思い当たった。まさか、と視線を彷徨かせてから寝かせていた首を少しだけ持ち上げる。そこには黒の着物だけを身に纏ったローくんが胡座をかいて眉間に皺を寄せて両手に持つ紙を睨みつけていた。彼の肩や周りにはワノ国に来てから羽織っていた上着が見当たらない。もう一度、自分の右側に目を向け、今度こそ確信を得た。……間違いなく、彼のものだ。そう意識するとじんわりと顔にまで熱が登ってくるような気がする。何も覚えていないが私はきっと、何か迷惑をかけてしまったのだろう。こっそり盗み見る彼の横顔に申し訳なさが募った。






「……サナ?起きたのか」





まさに、都合悪く。と言うべきか、私の視線に彼は本当に、いち早く気付くとこちらに顔を動かした。それがまたどうにも恥ずかしくて、一応彼に投げかけたおはよう、の言葉は自分が思うよりも小さなものとなったが「あァ、」と彼はそれはもう至極落ち着いた様子で声を返した。変に考えてしまっているのは私だけなのだろうか?それでもこれをずっと掴んだままでいるわけにもいかず、軽く喉を上下させてから腕で支持し、体を布団から起こして改めて彼に向き直った。そして上着をそっと畳み、ぺこり、と一思いに頭を下げる。床に向けた目線のせいで彼がどんな顔をしているかは見えなかったがなんとなく、驚いているのは伝わってきた気がした。






「ご、ごめんなさい!私、ローくんの上着……そのせいで皺も出来て、」
「……そういうことか。別に気にしてねェ、顔上げろ」






彼の慈悲ある言葉に恐る恐る頭を上げると、もはや呆れた表情でローくんはこちらを見ていた。それにバツの悪さがどんどんと増していくが彼はそれに気付いたのか、気付いていないのか、畳んだそれを手に取りすぐに広げると前までのように背中に羽織り、少し収まり良さそうな顔をする。そして「着れば別に皺なんて気にならねェ」とひどく優しい言葉がかけられるのに思わず目を大きく開いた。ありがとう……と自然と溢れた感謝の言葉にローくんは怪訝そうな顔をしたがすぐにまた紙へと目を落とした。



……パンクハザードから同じ船に乗っていた時も、彼の潜水艦に乗せてもらった時も思ったが、彼の朝は早い。医者だからなのだろうか、とつい何の根拠もない偏見を持ってしまうが、彼本来の性格にも関係しているんだと思う。彼は出会った時からそうだが、海賊にしては真摯な人だと感じる。彼も私のことを海賊らしくないというが、私はローくんも同じく、らしくない、タイプだと思っている。根本的に彼は考え方も医者に重きを置いているし、同盟相手の私たちにも良くしてくれていた。彼は認めないかもしれないが、優しくて、案外素直な人で、だからこそ私は彼のことを信じているし、尊敬している。




まだぼんやりとした頭で精悍な彼の横顔を見つめた。……変なことを言うようだけれども、彼は純粋にかっこいい人だと思う。それは彼の隣に立つと幾度となくそう感じるが、何せ目元の濃い隈が彼の印象を悪くしている気がする。最早アイデンティティの一環なのかもしれないけれど、あまりに勿体無い。彼の隈を改善しようとこの期間私もいろいろなマッサージを試したけれど中々根深い問題だ、とほんの少しの使命感を抱えつつ、じっとそのまま観察をしていると、流石に気になったのか、億劫そうにため息をついてローくんは私に目を向けた。






「……何だ、言いたいことでもあるのか?」
「ええと……うん……?」
「何でそこで曖昧になるんだ、居心地が悪い、言え」






一度開いていた紙……新聞を閉じてこちらに向き直ったローくんはやっぱり律儀だとひっそりと心の中で頷く。正直大した用事でもないので申し訳なさが強いのだが、ここで何でもない、と引く方が折角対応してくれようとしている彼に失礼な気がして、私も彼の方へと体を向け、改めて膝を組んだ。それに少し眉間に皺を寄せた彼だったがまだ何かを言うつもりは無いらしい。軽く息を吐き出してしつれいします、と一言声をかけるのと同時にゆっくりと腕を上げ、彼の目元に触れた。




一瞬、反射的に瞬きをした彼はその行為に目を開き、驚いた様子を見せたが、数秒経つと少し視線を逸らして口から息を吐き出した。好きにしろ、とでも言うようなその態度に甘えて、親指で傷をつけないようにそっと、濃く存在する隈をなぞった。拭って取れるインクでもないのに、なんとなく、そうしてしまいたくなる存在感。いくら朝が早いのが習慣だったり、癖だとしても不健康そうなその現れには少なからず心配になってしまう。






「……なかなか、消えないね」
「もう何年もこのままだ……簡単には消えない」





半ば諦めているその発言にここ何年かで見つけた疲労回復の為のマッサージを脳内に思い起こし、彼に施して効果がなかったものを削除していく。もしかしたら私がまだ知らない隈に直接効くような、血流を良くするマッサージやリンパマッサージも存在するかもしれない。ある意味彼とこうして出会ったことも私の中での試練と加算しようか、そう思えるほどにたくさんのプランを考えた。でもこれはセラピストとしては正に"腕が鳴る"案件とも言えるし、どれくらいの時間がかかるのかは分からないけれど、いつか綺麗にしたい、とこっそりと誓いの旗を掲げてしっかりと彼に向き直る。





「ローくん、私頑張るから……どれだけかかっても、やり遂げるよ……!」
「何の話だ。それに、どれだけっていつまで俺と……」





そこで不意に言葉を止めたローくんはそのグレーの瞳で私を捉える。理由があるわけではないけれど、何となく、それから逃れることが出来なくて、口を閉ざした。小屋の中にはまだ寝ている2人の寝息だけが響いている。彼は私が触れている手を掴むとゆっくりと膝の上に降ろし、そのままの動作で今度は私の目元を私がしたように、そっと、撫でた。それはでも、私がしたのよりも何倍にも繊細な仕草のように感じた。実際には変わらなかったのかもしれないけれど、それでも、そんな気がした。少し喉を上下させて緊張を沈下させ、見つめ返しても彼の意図は読めない。ただその手つきがあまりにも柔らかいものだということだけは、私にも理解ができていた。




彼がどんな想いでこうしているのかは分からないけれど、ローくんはたまに壊れ物を扱うかのように私に手を伸ばすときがある。それは長い時間ではないし、寧ろほんの数秒の時も多くて、もしかすると私を何かと重ね合わせていたりするのかもしれない、そう思ったこともあった。彼の過去について詳しいことは何も知らないし、知りたいとも思っていない。彼が語らないということは誰かに話したいわけでもないだろうから、それをわざわざ聞くのは私のエゴでしかない、そう感じる。でも、少なくとも私は、彼が何かに未だ苦しんでいるのなら、それを癒したい、そうも、思っている。これもまた他者から見れば"エゴ"なのかもしれない。例えそうであっても、彼がそれを望んだなら、そうしたい。







「……ローくん、」
「…………サナ……悪い、」



「なァにが悪いだ、この変態トラ男ォ!!!!!」








突如投げかけられた震えた声に私たちは揃って顔を上げる。誰が変態だ!と怒鳴った彼の目線の先には玄関の辺りで壁に背を預け、非常に機嫌悪そうにタバコを噛むサンジくんが立っていた。つい彼の名前を呟くと一瞬でころり、と綺麗な笑顔を見せたサンジくんは「サナちゅわぁん〜!おはよう、よく眠れた?」と人懐っこく私の元へと歩き、ごく自然な動作で目線を合わせるようにしゃがみ込む。起きた時の様子を踏まえてきっと彼らが譲ってくれたのだと考えて、おかげさまで、と返答すれば、そりゃあ良かった、と彼は当然の事のように小さく頭を下げた。そんな優しい表情は私の隣に座る彼の前では一変してしまうのだから思わず苦笑してしまう。ローくんを掴みかかりそうな勢いで詰め寄り、恨みのこもった声でサンジくんは、






「テメェ……あんな距離で、サナちゃんに何をするつもりだった!?き、キスか!?!?」
「お前の頭はどこまで幸せなんだ黒足屋!そんな訳ないだろ!!」
「……うるせぇなぁ……朝から、なんだよお前ら……」
「まァ……予想はつくが」
「ウソップ、フランキー……おはよう」






眠そうにあくびを噛み殺しながら体を起こしたウソップといつのまにか目を開けて腕を組んでいたフランキーに挨拶をすると、2人とも軽く手を挙げておはよう、と告げ、固まった体を伸ばすようにストレッチをしていた。一気に騒がしくなってしまった小屋が、少し懐かしい気がする。ここしばらくは一人で起きて過ごす事が多かったから、寂しさを感じる間もない慌ただしさが心地いい。先程からローくんと起きてはいたが、なんだかやっと、朝の訪れを感じた気がした。



















「小紫ちゅわ〜〜〜〜〜ぅんぬ……!!!」
「なぜ泣ける!」
「一度見かけただけだろ!!」





サンジくんの頼りない声を聞きながら、ローくんの隣に座った私は新聞の記事を横から覗き見つつ、つい眉を顰めた。そこに書かれていたのはサンジくんが泣いている原因でもある、ワノ国一番の花魁、小紫さんの死亡記事だった。どうにも昨日あったオロチの宴での事だったようだが……私もサンジくんほどまでとはいかないが、何とも言えない喪失感を感じていた。昨日まであんなに輝かしく、凛々しく歩いていた美しい彼女がたった一晩で命を落としてしまうなんて、実感が湧かなかった。フランキーが同じく現場にいたおロビ……こと、ロビン達の心配をするのに私も同意して頷いた。皆には怪我はないのだろうか?少なくとも捕まったりはしていないようだが……不安なことには変わりない。事実、この国での有名人の彼女でさえ殺されてしまう現場だ。何があってもおかしくない。





「……大丈夫か、」
「!うん……ありがとう」





小さな、私にしか聞こえないであろう声で問いかけてきたのはローくんだ。彼は新聞から目を離しこそはしないが、その声からは私を案じる思いが伝わってきた。こくりと頷いて意思表示をすれば彼も納得したように、そうか、とそれだけ呟いて、また紙面へと意識を集中させていた。彼はこうして細やかに人を見ている節がある。……ふと、サンジくんがルフィの記事は無いか、と尋ねるのに私も一緒に目を滑らせたがその名前は記載されていなかった。ローくんの言う通り、代わりに……とはまた違うが、ルフィや彼と同じ最悪の世代のルーキー"ユースタス・キャプテン・キッド"の兎丼からの脱獄記事がある程度の大きさで取り上げられていた。ルフィのことだから彼が脱獄したのを見たなら黙ってはいない気がするけど……一体兎丼で何が起きているのか、最早私達には想像できない範疇だった。





ルフィの状況を考えることにも頭を回していると、不意に、小紫さんの死に嘆き悲しんでいたサンジくんがすくりと立ち上がる。そして、しっかりとした足取りで小屋の出入り口の所まで歩いていくのでどこに行くのかと慌てて尋ねると、しなくてはいけないことがある、と神妙そうな表情で彼は呟く。もしかして復讐でもしてしまうのではないか、と不安に思ったけれど、彼のその顔を見てしまうと、もう私には止められなかった。行ってきます、と力強く私を見つめた彼に慌てて頷いて気をつけて、と労いの言葉をかけると一瞬破顔したが、すぐに眉を吊り上げて頭を下げてから本当に出て行ってしまった。……見送ったのはいいものの、どうすればいいのか全く分からなくて残された3人の方に振り返ったけれど、こちらもこちらで真剣に新聞を眺めており、中々言い出せる雰囲気ではない。サンジくんの事だから無茶はしないとは思うけれど……あんな事件の後だからこそ、不安は中々消えない。






今ここにいて、私ができることはあまり存在しない。それなら、と、そこまで思い至ってから彼に続くように私も立ち上がろうとしたのを隣に座るローくんが私の腕を掴むようにして素早く引き止める。つっかかったように動けなくなった私に、何をするつもりだ、と言いたげな視線を向けてくる彼にどう弁明しようか、と迷った。彼は間違いなく、私に行かせるつもりはないだろう。これが彼の気遣いであることはしっかりと理解している。でも、私もみんなが心配で、








「アハハハ!只今帰りなすったよ!……おや!?お客さんですかな!?」
「ッひ、!?」







突如背後から聞こえた大きな笑い声と、ヌッと横から飛び出した大きな顔に反射的に体が飛び上がり、たまたま繋がれていた"導線"へと導かれるように何かを考えるより早く、足が動いて、収まった。そしてこちらもまた反射的に、と言うべきか。私のお腹のあたりに力強く回された刺青の入った左腕、目の前に伸びた右腕には大きな刀……鬼哭が構えられている。黒い着物と何度か経験したことのあるその落ち着いた香りに混乱した頭が更にこんがらがった。私、今、何を、









「……!!ろ、ろーくん、ごめ、」
「大丈夫だから静かにしてろ!……お前、何者だ?」
「そ、そうだぞ!ナニモンだテメー!」
「こっちだって攻撃したいわけじゃぁねェんだ、抵抗するなよ、お互い怪我は避けたい」










私に光景を見せないようにと気遣うようにローくんに抱き込まれ、視界が彼の胸元に埋もれる。くぐもって聞こえる問答に必死に耳を傾けて、空気感を伺った。







「一応ここらに住んでるモノなんでねぇ、空き家が何やら騒がしくて見に来た次第でしてね!」







突然現れたその男は私達を見回すようにしてから、また高らかに笑うと手を叩いて快活そうにそう告げる。その言葉に体を硬くしたのは私達で、そろりとお互いに顔を見合わせてからいの一番にウソップが直角になるように綺麗に頭を下げて一言「ごめんなさい」と謝ったのに私とフランキーも続けた。まさかここの住人だったなんて……あまりに失礼な反応をしてしまった、と落ち込む私を他所に、ローくんは未だに私を抱き込みながらそれはもう盛大に溜息をついて力を抜き、鬼哭を地面へと下ろした。「あらら、えらく心配させてしまったみたいですみませんね〜!」と、こんな私達すらも笑い飛ばしてしまいそうな男の人の笑い方に、つい一度、苦笑した。







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