純潔



編笠を深く被りながら、必要な人物へと判じ絵を配り歩く。ここは花の都の一角ではあるが、人通りは決して多くない。麦わら屋との一件で俺も随分顔が知られてしまい、大きく身動きが取れない分、こういった道を通るようにしているが、意外にも人通りが少ない所を歩く奴等には後ろめたい事情があるらしく、逆三日月を持つ者が返って多く感じるのは中々、面白い発見だと感じた。



麦わら屋が投獄されてから2日。ひとまず救出に動くのは雷ぞうに任せ、俺を含めた他の奴らは前々からの任務を遂行し続けている。幸運と言うべきか、まだ俺たちを執拗に追っている人物は少なく、それこそホーキンス達ぐらいのものだ。……あいつは存外、しつこ過ぎるが。警戒するには越したことがない、何せほぼ間違いなくあの男が次に狙うのはサナだ。忌々しいホーキンスの言葉を思い出して軽く舌を打つ。本当に運悪く、あいつには彼女と居るところばかりを見られている。逆の立場になって考えれば能力者である俺よりも弱いであろうサナを狙うのは条理だと思っても良いだろう。……ムカつくが、俺だってそうする。



ホーキンスは彼女を俺の"弱み"だと告げ、あの日もまた俺を煽るように笑っていた。きっとその持論に彼はもう確信を覚えている筈だ。それを全て肯定する気は無いが、もし、彼女が人質に取られた場合、俺にはきっと、既に見捨てるという選択肢は残されていないのだろう、と思った。彼女に対する感情は画一化できるものではないが、少なくとも……彼女の命と引き換えに自分が助かることは、もう俺にはできない。そういった意味合いで言うなら"弱み"というのは正しいかもしれない。そうして思考を巡らせる間に無意識に左肩を軽く触れていた。彼女に抜かれた、釘。出血も酷くなければ、怪我自体も随分良くなったその傷跡。これも広い意味で見れば彼女に助けられた、とも言えるだろう。あの時、無謀ながらに俺の前に立ち塞がったサナを見て、酷く焦燥したのを覚えている。本音を言えばあんな事をせずに、俺は彼女に逃げて欲しかった。運良く彼女には怪我も無く無傷であったが、それが絶対であったかと言われれば否定するだろう。本当に、運が良かっただけなのだ。



もし、彼女が大きな被害にあっていたら、俺はどうしたのだろうか。ロクに戦えもしない状況下で、目の前で彼女が傷付くのを黙って見ていることしか出来なかったのだろうか。そう思うだけでも肝が冷え、背中が凍るのを感じる。また、近くで護るべき物を失うのは、ごめんだった。ギュ、と掌を握り込み、一度深く呼吸をした。……熱くなりすぎても、良い結果には繋がらない。後悔と反省ならあの日の夜腐る程した。自分の警戒心の薄さと瞬間的な対応力の低下を嘆き、恨み、悔やんだ。そんな俺に対して何も変わらずに暖かいお茶と綺麗な包帯を持ってきたサナの柔らかく、包み込むようなその空気感には感服させられた。いつもと変わらない笑みを携えて怪我の具合を確認した彼女は「もう気負わないで」「私も護りきれなかったから」と俺の手を握った。本人にそう言われてしまっては俺がそれ以上言っても彼女自身も気に掛けてしまうだろうと感じ、この話についてはそこで終止符を打ったのだ。ぼんやりと自分の手を見下ろして、思う。彼女の手はいつ見ても、小さい。





「まぁ、綺麗……素敵な細工ね」
「なに、これが気に入ったのか?…なら一つ貰おうか」
「……うそ、本当に……?」
「あぁ、お主の為なら」





ふと、耳に入ってきた会話に足を止める。道端にある掘っ建て小屋のような店前で着物を着た男女がやけに悦に入っていて、非常にどうでも良いと感じたが、癖になりつつある足首の確認をすれば、なんと二人ともに逆三日月が刻まれていた。アレに渡すのか、と思うと若干の面倒くささを感じるが、適当にあの店に利用するふりでもするか、と判じ絵を取り出しつつ出来る限り落ち着いて店へと近付く。歩を進めると同時に去っていくその男女を横目に見つつ、女の帯のあたりに判じ絵を挟み込むことには成功したが、ここで店を覗かずわざわざ遠ざかるのも不自然で、仕方なく配管を吹かせる店主らしき女へと声をかけた。






「……ここは何の店だ?」
「品揃えとあの二人を見て分からないかい?"簪"だよ」






鼻に付く物言いと深々とした煙に眉を顰めたが、そこに置かれた"簪"と呼ばれた装飾品らしきものに目が奪われた。細長く伸びた胴体につくのは鮮やかな椿や枝垂れた藤の花。繊細な色味と透明感を持つそれらには思わず見惚れてしまう美しさがあった。派手すぎず、落ち着いた印象の多い作品が赤い布の上に鎮座して、光沢を増している。よく見れば、店主も似たようなものを髪に刺しており、これが主に女が髪をまとめる時に使うものだと理解できた。成る程、先ほどの男はこれを女に渡していたらしい。確かにこの出来栄えには喜ぶのも分からなくはない。


どれも、それぞれ違った顔を覗かせる出来栄えで優劣が付けづらい。主張するような真紅は目を惹くだろうし、淑やかな雰囲気を作り出す青紫も悪くない。つい瞬きもせずに真剣に陳列された商品に目を通し、一つ、何故かは分からないが俺の目を止めたそれに自然と右手を伸ばした。透き通った花弁とそこに絵の具を落としたように広がる柔らかな桃と白。しかし、小さな花がいくつか寄せられて全体としての見た目は華やかで品のある美しさを持っている。ぽつぽつ、と入る黄色も温かな雰囲気を醸し出している。他の商品よりは今ひとつ、これだけではインパクトには欠けるが、でも、






「桜のにするかい、お客さん」
「……何も言ってねェだろ」
「目が言ってるんだよ……こういうのを選ぶ男は、すぐ目に渡す相手を映すんだ」





じ、と俺を見る女が面白そうに喉を鳴らすのが不愉快だった。笠を被った俺は今、顔すら分からないはずなのに、この女は真っ直ぐに俺に顔を向ける。勿論、目すら外からは見えないように出来ているのだが、そんなこと気にも留めないように値段を告げ、手を差し出した。……面白くねェ、半ば八つ当たりのような感情を抱きつつも懐から金貨を差し出し、適当に握らせて足早にその場を後にした。持ち帰った桜を模した簪の透明な花の奥に、彼女が笑った気がして、つい目を逸らした。










陽が傾く頃に焼け落ちたおでん城の後に今一時的に拠点としている編笠村へと辿り着いた。少し辺りを見渡して、ナミ屋の隣に腰掛けて笑うサナの姿を見つけ、そちらへと向かう。途中ぼんやりと今朝の店主の言葉を思い出して湧いた不快感は中々拭えないが、確かに俺がこれに見た相手は彼女だったことは否定出来ない事実だ。





「サナ、」
「あ、お帰りローくん!今日は遅かったね、今サンジくんがご飯を…………へ?」
「……?なにそれ、トラ男」





彼女の言葉を聞く前に押しつけるように渡した包みにきょとん、とサナは不思議そうに首を傾げる。隣でそれを見ていたナミ屋も同じように反応し、俺を見上げた。私に?と尋ねてきた彼女にこの間の礼だ、と適当に言葉を付け足すと、少し困ったような顔をしてからゆっくりとそれを取り出し始める。困らせたのは悪いとは思うが、何の理由もなくこんなものを渡す方がおかしいのは明白だ。お前を思い出したから買ってきた、なんて言える奴は居るのだろうか、と些か疑問が残る。そう考える間に丁寧に梱包を解いた彼女は簪を目にすると、徐々に目を見開いて、咲いた桜を食い入るように見つめた。……こうして彼女の手に載ると思った以上に主張があるそれは陽が落ちた今でも美しく繊細な色づきは健在だ。





「桜……の、髪留め?めちゃくちゃ綺麗じゃない!?」
「ローくん……これ……私に?」
「……お前にじゃなかったら、渡してないだろ」





俺の言葉に彼女はそれこそ目を輝かせ、花が咲いたような笑顔を見せるとありがとう……!と俺に告げてから勢いよく立ち上がりパタパタと何処かへ忙しなく走っていく。それを止める間も無く見送れば、やけにニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべたナミ屋がいつのまにか現れたしのぶと共に肘をついて俺を見上げていたので意識せずに眉間に皺が寄るのが分かった。





「……何だよ」
「サナにプレゼントねぇ……あんなに可愛いのをアンタが買うなんて」
「それに"簪"はその先端が尖っていることで咄嗟の武器にもなるから貴方を護るって意味が込められているのよ」
「なッ……!?」
「あら、そういう事?」





店主にすら一度も聞かされていない意味に体を固める。だからあの男女はあんなに喜んでいたのか?と色々な考えを巡らせた。嵌められたような感覚に陥りつつ、弁解のつもりで俺はただあいつに似合うから……とそこまで音にしてから更に墓穴を掘った事に気づき二人を見れば更に口元を歪めて意地悪そうに笑い続けた。





「へぇ〜……?サナに似合うから、ねぇ……」
「他にも一生を添い遂げるつもりの伴侶に渡したり……婚約の契りだったり……その髪を乱したい、なんて意味もあったりするんだけど……アンタはどの意味であの娘に贈ったのかしら」
「やだ、しのぶちゃん、そんなの全部に決まってるでしょう?」
「ッ……お前ら……人が黙れば……!!!」





明らかに俺を面白がり、楽しんでいるコイツらに青筋が浮かぶ。何が契りに添い遂げるだ……!挙句は乱してやりたいなんてこの国じゃ髪留め秘湯にどんな価値が盛り込まれてやがる、と悪態を吐きたくなるのも仕方ないだろう。俺は全くそんな事知らなかったし、貰った本人も分かってはいないだろうが……後にこいつらにくだらない入れ知恵をされても困る。これ以上馬鹿なことを言うな、と口止めしようとした時「ローくん!」と俺を呼ぶ声がして振り返り、駆け寄ってくるその姿に目を見張り、意識せず、息を呑んだ。






「どうかな……!鏡で付けてきたんだけど……」
「あらら、こりゃぁまた……」
「……なんかムカつくけど……センスいいじゃないトラ男」






……一言で言えば、俺は、この桜の簪は彼女の為に作られたのだと感じた。綺麗にまとめられた髪にしっかりと刺された簪は彼女の髪色や雰囲気に後押しされ、単体で見ると物足りなさを感じていたことが嘘のように完成されていた。華やかさに暖かな色合い、そして彼女が動くのに対応して震える飾りがなんとも染み入るように、美しい。照れ臭そうに笑いぼんやりと染まった頬にまた、良く映えたデザインに軽く目眩がしそうだった。俺の前に立ち、その場でゆっくりと回ってみせる彼女に輝きふわふわと揺れた花弁と、白く日焼けを知らないようなうなじから目が離せなかった。





「これすごく可愛くて、ローくん、ありがとう……!」
「…………い、や……」
「私あんまり結ぶの得意じゃないんだけど、練習するね……!折角だからこれ、付けてたい!」
「……そうか…………」





この女は、なんて眩しいんだろうか。思わず目を細めてしまいそうになるほどに輝いて、見えなくなりそうだと思った。馬鹿げた感想だが、本当にそう感じてしまった。疼くような心音は外部まで漏れ出しそうで、指先がじんわりと熱くなった気がした。太陽のようにも、満開を迎えた花のようにも、またどちらでもない蕩けそうにも見えるその微笑みは全てのしがらみを絡め取って何処かへ放り投げてしまう錯覚を覚える。いつの間に俺はこんなにも、彼女の笑顔に愛おしさを感じるようになってしまったのだろうか。





俺の気なんて知らない彼女は皆にも見せてくる!と俺の真横をすり抜けていく。反射的に動きそうになった手を理性で制御した。他の奴には勿体ない、なんて感覚、抱くな。自戒するように頭の中で危険信号を鳴らした。同じように彼女の背を見送ったナミ屋が一つ息を吐いて「もう、可愛いんだから」と呟いたその言葉に同意してしまいそうになる程に、おれの脳細胞は、やられていた。彼女が努力して結った髪を乱したいとは思わなかったが、彼女をずっと見ていたい、あの笑顔を護りたい、それは、あながち間違ってはいないかもしれない。俺を煽るように左右に揺れた花飾りが憎らしかった。







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