暗雲






狛犬に乗り、おでん城跡へと急ぐ。おこぼれ町の住民に麦わら屋達と居た事でついでに感謝されてしまった事はどうもきまりが悪いが、本人達はさほど気にしていないらしい。海賊をなんだと思ってやがるんだ。俺の隣に座るサナもどこか嬉しそうにしていて、こちらに至っては今まで以上に更に海賊らしさを失っている。本当に、気楽なやつだ。狛犬の毛に触れつつ、過ぎていく景色を見渡す顔は明るく、年端のいかない少女のようにも感じ、その表情を見ると何故か、まあいいか、と他人を思わせてしまうのが彼女の恐ろしいところだと思う。









「……だが、そうか。お前達はただの"同盟"そう思っていたが…………」
「覚えておこう、お前の弱みとして」
「それはお前の方がよく分かってるんじゃないのか?トラファルガー・ロー……」







不意に思い出した言葉に無意識に舌を鳴らした。ホーキンスは何を考えているんだ。考えられる可能性がどれも最悪なもので想像したくもないが、今こうして笑っている彼女が脅かされる、そう思うと胸の奥が騒つく。そんなこと、あっていいはずがない。あいつの言う通り俺たちはただの同盟相手だった。そして腹立たしい事だがこれもまたアイツの言う通り、俺にとって彼女が弱みになりつつあることも否定は出来ない。アイツは底知れない男だ、能力も完全に把握できているわけじゃない。少なくともこの国ではもう、彼女を1人にはさせられない。




そうやって考えているうちにも狛犬は山を登り切る。サナを支えつつ飛び降り、地面に足をつけて麦わら屋を呼べば俺たちと同じように降りるとこちらへと走ってきた。麦わら屋はいくつも存在する墓に驚いていたが、便所から戻った錦えもんに安心したように息を吐き出し、バッと俺を見て不満そうに口を開く。





「生きてんじゃねェかトラ男!」
「?……いつ死んだと言った、夜には便所から出て来んじゃねェかと」
「ややこしい言い方すんな!!!」





俺に向かって怒鳴る麦わら屋に思わず顔を顰め、訴えるようにサナを見ると彼女は渇いた笑みをこぼして、ローくんそういうとこたまにあるよね、と返答する。……どういうとこだよ、と聞き返そうかと思ったが、彼女が俺よりも奥の方を見て目を開いたのを見て言葉を止める。その視線を辿れば何人かの影が見え、それを俺が認知した時には彼女は既に走り出していた。おい、と落とした俺の声は吹き抜けた風に攫われて、消えた。





「おーい!!ルフィじゃねェかー!!!」
「ルフィ〜!」
「よかったご無事でー!!!」





緩やかに手を振り、ビッグマムの元へ麦わらと向かった奴等がこちらに近づいてくる。案外気楽そうな雰囲気に側から見ている俺の方が力が抜けたが、既に彼女は駆け出している。その勢いのまま半裸の黒足屋の元へと向かい、そして、飛び込んだ。黒足屋は何かを考えるより先に自分へと向かう物体をしっかりと受け止め、彼女の顔を見て状況を理解すると、みるみるうちに目が開かれていく。





「〜〜ッ!!さんじ、くん!!!」
「え!?サナちゅぁん!?な、え、ど、どうしたんだ!!?」
「サンジくん、よかった、わたし……」
「……!ごめんよ、心配させて……レディを泣かせるなんて俺は男として失格だな」
「さんじ、くん……」
「こらこら、サナ!私たちには何もなし?」
「なみぃ……ちょっぱ、ぶるっく……きゃろちゃんも……」






えぐえぐ、と喉の奥を鳴らして黒足屋の腕の中で涙を流す彼女に改めて、思う。彼女は、麦わらの一味なのだ。それは変わらないし、これから先もきっと変えられない事実だ。彼女にとっても、アイツらにとっても、そこにある絆は大きなウエイトを占めている。ナミ屋は呆れた顔で「ほら、私の言った通りでしょ?」と黒足屋を見上げ、黒足屋は少し苦笑いをしてから「流石ナミさん」と答えた。縋り付いて離れようとしない彼女を撫でる手つきは優しいものだ。ふと自分の手に視線を落として、そこに刻んだ文字につい、自嘲した。



いつか、彼女が不安を吐き出した朝があった。それは漠然としたイメージばかりであったが、主に仲間の安否が心配だという彼女の想いが中心となっていた。俺はその日以来殆ど彼女と毎日顔を合わせていた、いや、合わせるようにしていた、の方が正しいのかもしれない。それは単純に、1人店で任務をこなす彼女を見守る為や、危険からの回避という意図もあったが、その他にも彼女の心理状態の確認と寄り添いを兼ねていたつもりだ。……医者という立場として、あの日の彼女の本心を無下には出来なかったのだ。この数日、彼女はいつも気兼ねなく笑って俺を受け入れ、持ち前の柔らかさを滲ませてきっちりと仕事をこなしていた。そう思っていた、が、……もしかすると俺が知らないところで、俺の見ていないところで、彼女は不安に苛まれていたのかもしれない、1人で泣いた日があったのかもしれない。そして少なからずきっと、我慢していたんだと思う。俺は彼女にとっての"何か"になれていたのだろうか。





「トラ男!私達錦えもんの話を聞かないとダメだから、お願いね」
「……お願い、って……」
「勿論、サナのことよ。ほら、サナ……後で話しましょう、とりあえずトラ男とここに居て?」
「……うん……」






思案する俺を指す言葉を使ったナミ屋に伏せていた顔を上げる。その横暴な物言いに何か文句でも言おうかと思ったが、小さく肯定するようにそっと頷いた彼女を見るとその気は見事に削がれた。……そんな彼女を熱を篭った目で見つめる黒足屋に少し苛立つ自分がいることには理解ができないが。……おい、と彼女を呼ぶつもりで声をかけると、黒足屋に物凄い剣幕で睨まれたが、俺だってこんな光景を見ているのは願い下げだ。


さっさと渡せ、と手を差し出せば深々とため息を吐いてから「ごめんね、すぐ戻るからね」と俺に先程まであんな顔を向けていたとは思えないほどの柔らかな声で彼女を撫でるまではいい。そこからも中々離そうとしないこの男に加速度的に腹立たしさが増していく自覚があった。ナミ屋も流石にしつこいと感じたのかほぼ無理やりサナを引き剥がし、俺に押し付けるように渡すと後よろしくね、と告げておでん城の中へと向かって行った。







「うぅ……」
「……いつまでそうしてるつもりだ」







隣で鼻をすすり目元を擦る彼女に声をかけると、ごめん……と弱々しい声が返される。俺は別に謝られたいわけじゃ無かったが、それを正す気も今はあまり持ち合わせていなかった。ただ、あれだけ彼女の元を訪れていた俺でも、彼女の心象を測りきれていなかった、それがどうにも引っかかった。





「……ローくん、ありがとう……」
「……何の話だ」
「心配、してくれてたから」





その言葉に顔をあげて彼女に目を向ける。まさか、と思い、いつの話だと尋ねれば「さっき、」と呟かれたことに少し安心した。彼女の、今の俺の思考を汲んだようなその感謝に少なからず動揺した。なんてタイミングだ、と彼女の持ち合わせる運や因果に思わず唸りそうになる。妙な勘だけ鋭いのはどういう事なんだ。





「……俺は、別に、」
「ううん、ローくん分かりやすいから……本当にありがとう」
「……そんなこと言うの、お前くらいだぞ」
「ほんと?」





くすり、と笑うサナに少しだけ肩の力が抜けた。ローくん結構顔に出てるよ、と茶目っ気を含んだように目を細めた彼女はもう随分落ち着いた様子だ。顔に出ている、と指摘された手前居心地が悪いが、彼女が気を楽にしているのを見ると俺も少し安心した。ローくん、と呼ばれた名前にもう一度サナの方を向くと、目元や鼻の頭を赤くした彼女は改まった様子でありがとうございます、と眉を下げてどこか申し訳なさそうな笑みで俺に再度感謝を述べた。今度は何に対してだ、と聞けば、一瞬きょとん、とした顔を見せた後首を傾げ「色々かなぁ」と答えた。





「その"色々"を聞いたつもりだったんだが」
「……だって、本当に色々ローくんには助けてもらったから」
「そうか?」
「そうだよ!」





こうして素直に向けられた言葉が擽ったくて適当にはぐらかすつもりだったのだが、それを彼女は許さないらしい。サナは指折るように俺への感謝を数え、説明し始めた。……見返りを求めたわけじゃない、ただ、ワノ国についてすぐ、ああやって表出した彼女を見たこと、それを見ていたのが俺だけだったことが大きな原因ではあると思う。何もしなければある種、彼女からの信頼を裏切ることになるようなそんな気がして、それを放っておく事が出来ない性分であった、それだけだ。


気恥ずかしさもあり、大方の彼女の言葉を聞き流して相槌を打ったが流石に気付いたらしいサナはもう、と軽く口元を尖らせた、それでも俺の態度を咎める事なく笑うと軽く息を吐き出してから柔らかな視線で俺を捉えた。






「私、本当にローくんにはお世話になってるなぁ」
「世話したつもりはねェ」
「でも、いつも危ない事は無いかって聞いてくれたし、野菜も持ってきてくれて、その後一緒にご飯食べたり……」
「あれは……」
「……私、1人でご飯食べることあんまりなかったから寂しくて……だからすごく嬉しかったよ。多分気付いてたんだよね」
「…………」
「ありがとう、私すごく恵まれてるね」






そう言う彼女は俺にとって痛いくらいに眩しく見えた。太陽のような鋭さとは違う、暖かな木漏れ日のような彼女の輝きに自然と目が細まった。これだけ真っ直ぐで曇りのない感情を向けられるといっそ、清々しい。彼女に意図があったのかは分からないが、俺のぼんやりとした気掛かりすらも彼女は掬い上げてしまうのだ。……人間とは不思議なもので、触ることすら戸惑うような感情を抱えているものに、敢えて、触れたいという欲求を持つ生き物らしい。俺は彼女に触れていいような男ではないと誰よりも自覚していたつもりだが、それでもこの腕は赤く擦れた目元へと伸ばされて、






「キャプテン!空が急に……!」






首根っこを掴まれて引き戻されるような、冷や水を頭の上から被せられた感覚と共にその声が耳に届いた。重力に逆らうことなく落ちた腕に彼女は少し当惑するような表情を見せたが、俺と同じように空へと目を向ける。先程まで穏やかだった気候から一変し、中央のあたりに濃い雲がかかり始める。それは瞬く間に大きくなり、空を暗くする。シルエットのように見えたその姿に俺は心当たりがあった。彼女の横をすり抜けるように走り、おでん城の襖を思い切り引いて麦わら屋を呼んだ。次に外に出ると空一面を覆う暗黒の中から現れた青い鱗が毛羽立ったすがた。俺たちが討つべき相手、カイドウ、その"生物"だった。







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