燻った



どうぞ、と柔らかい声を音として聞き入れつつ、いつも通り彼女の指示に従う。背中に触れるその感触に普段は心地よさを感じるが、今はその反面、複雑な感情に苛まれている。都の大通りから聞こえる人々の声が遠くに響いた。この小屋だけが妙に静かで、隔離されたようなそんな感覚。彼女と俺、2人が残されたこの空間に少しずつ、冷静さを取り戻し始めた。アイツがサナといると妙に胸が騒ついて仕方なかったり、彼女が俺の知らない調子で話すのを見るとよく、分からない感情が押し寄せることがある。そして、それに身を任せるべきではないことが今の俺にはよく分かっていた。だからこそ、こうして勢いのまま彼女に頼んだことをほんの少しだけ後悔していた。



そんなこと、露にも知らない彼女は俺の背中をしっかりと揉み込んでいる。男の背をマッサージするのにはかなりの力がいるだろうに彼女はそれを平然とやってのけ、固くなった筋肉を解していた。ローくん、最近はあんまり凝ってないね、と笑う彼女はどこか嬉しそうで、俺はそうか、としか返すことが出来ない。確かにここ暫くは大きな事件も起きず、大した戦闘も行なっていない。腕が鈍る気はするが、こうした時間を持ったのは久しぶりな気がして、俺は嫌いではなかった。

ただ、彼女に体を楽にされると気が抜けて仕方がない、それもまた事実で考えものだ、とは思う。勿論、マッサージの為というよりも、この小屋に通う理由は定期的に彼女の集めた逆三日月に関連する客たちをファイリングした資料の回収ともう一つ重要な任務として、彼女自身の護衛を行っていた。……いや、正確にいえば、見るに危なっかしい彼女を放置しておくことが出来なかった、に近いかもしれない。彼女のここでの按摩は同志を見つけるのに非常に役立つが、その分反逆者だとバレてしまう可能性も高ければ、ここから逃げ出すのも容易ではないのが難点だった。下手に目立つような場所であれば危険だからと裏通りでひっそりと行動していることも裏を返せば何かあった時助けを求め辛い事に繋がる。


そのせいもあってか、鼻屋やニコ屋、そしてロボ屋までが揃いに揃って、たまに彼女を見てやってくれと俺に頼んでいたのだ。何故俺に、と聞けば自分達は持ち場を離れていい役割ではない、と真っ当な意見を踏まえた上でお前なら、とよくわからない推奨されてしまった。船に乗っている時からそうだったが……やけにアイツらは俺に彼女のことを任せることが多い。別にそれが嫌というわけではなく、寧ろ自分でサナの無事を知ることができるという意味合いでは悪くはなかったし、頼まれずとも頻繁に確認には行っていただろう、と自己分析した。




「はい、次上向いてもらっていい?」
「……あァ」




掛けられた声に素直に俺は体制を変え、天井へと目を向ける。彼女はロロノア屋にもしていたように俺の上にも跨るように乗りかかると両手でしっかりと腹筋を押し始める。……これも、初めてされた時は多少は戸惑ったが今は随分と慣れたように思える。が、先ほどのアイツが図ったように彼女の腰を捕まえたのはあまりにも頂けない。彼が意図する意味が分からないほど子供ではないが単純に最悪だと思った。あんな光景を目の当たりすると日頃彼女が他の客にもああいった事をされてはいないか、と不安に思い「さっきのロロノア屋に掴まれたのはよくあることなのか」と尋ねると、




「え?ううん、初めてされたけど……どうしたんだろう、もしかして重かったのかな」
「……別に、重かねぇよ」




本当?と呑気に首を傾げた彼女にこんな嘘付く必要無いだろ、と呆れればローくんは優しいから、と笑い返されて、こんなことで優しさを感じられても困ると言い返した。話題の流れでこうやって乗りかかって施術をするのはどんな奴なのか、と聞くとある程度の筋肉の発達がある男性には力の加減でこうすることが多いと説明がされる。途中で思い出したように「あとサンジくんにはダメってみんなに言われちゃったんだけど……」と呟いた彼女にそれは賢明な判断だと伝えれば、彼女は更に不思議そうにしていた。確かに黒足屋には色々な意味で危ない気がする。




そんなことをぼんやりと考えつつも俺の視線はいつのまにか真剣な彼女の表情へと自然に集まっていた。客観的に見ていてロロノア屋がこうして彼女を熱心に見上げていた気持ちは、分かる。普段の彼女を知っていれば知っているほどに仕事に真摯に向き合うこの表情には……惹かれるものがあった。和やかで掴み所が無いほどに柔らかな彼女と今の彼女では受け取る印象はまるで正反対だ。一般的に見ていつものサナが可愛らしい部類であるなら、こういったときの彼女は美しい、と称されるのだろうか。俺の顔を見て笑って話すその姿を潜め、一つの体をプロとしての観点で確認するその目に俺は映っていない。




じり、と奥の方で何かが焦げるような感覚にほぼ無意識に彼女の頬に手を伸ばした。そ、と触れた瞬間に体が揺れて驚いたように俺を見たその瞳にえも言えないような高揚感が生まれる。性格が悪い、自覚があった。その真剣な顔を不意に崩したときの顔が見たいなんて。ぐ、と背中を持ち上げて、彼女を自身の上に乗せたまま足を伸ばして座るような体制になれば状況が読めない、と言った顔でサナが俺を見上げている。俺の胸元に行き場を失って手を添えて、困ったように眉を下げた顔が、妙に加虐心を煽った。ローくん……?と弱々しく俺を呼ぶ声にぞわりとしたものが背中を這い上がる。







「……前から、思っていたが……客にこうされたとき、お前はどうするつもりなんだ?」







実際に、嘘ではないその言葉を口にしつつゆっくりと体重を前に掛け、あくまで痛みは無いように彼女の背を敷かれた布団へと着かせるように倒してやれば柔らかそうな髪が広がった。あ、と小さく声を漏らして俺と立場が逆転した彼女はじんわりと顔を赤く染めてぱくぱく、と口を動かして目に見えて戸惑い始める。この顔も、あまり見たことがない。




「それ、は……」
「あァ、どうするんだ?」




あくまでも、俺は彼女にこういう場合の対処方法を聞いているだけだ、と誰にとも言えない言い訳をする。彼女はこくり、と喉を上下させると奥から絞り出すように答える。





「い、つもは……その、袖のところと腰のあたりに……針を、入れてて、ナミにもそういう時は容赦なく目を狙えって、」
「……そりゃあ、頼もしいな……」





思った以上にしっかりした返答に、す、と頭が冷えた。それから俺がどれほど不毛で馬鹿らしいことをしているのかを改めて自覚する。 ただ俺は自分のしょうもない欲の為に彼女を困らせただけだ。サナ距離を取るように離れ、倒れたままの彼女の手を引き起き上がらせる。……俺が言う客なんて、それこそ俺みたいなやつのことを指すのかもしれない、と思わず自嘲した笑みが溢れた。彼女は俺の行動に目を白黒させながら、ありがとう、と俺に向けて感謝を投げかけた。俺は本当は、感謝なんてされる立場じゃない。




「……心配してくれてありがとう……私、頼りないよね」
「……そういうことを、言いたい訳じゃないが……何かあった時1人でもどうにか出来るの手段があるのは重要だ」
「分かっててちゃんと用意もしてるんだけど……ローくんだと、その、忘れちゃうんだよね」




なんでかな、と、そう言って力なく笑う彼女にまた胸の奥が騒ついた。彼女の言葉に深い意味も他意も無いことはここまでの付き合いで重々分かっている筈だ。彼女はただ、俺をそんな人間だと思っていないだけ、知らないだけだ。無知だからこそ信じているんだ。俺はそれを裏切る訳にはいかない。俺はんなことしねぇよ、と自分に誓いを立てるように告げ、直前で一度手を止めたがすぐに、髪に触れ、彼女の頭を撫でてやれば、知ってるよ、と朝日が差したような微笑みを浮かべるサナに拒まれなかったことに人知れず息を吐いた。



「……中断させて悪かった、続き、頼めるか」
「勿論!改めて耳かきから始めようか?」
「あァ……丁度、寝るにはいい時間だ」
「うん、存分にお昼寝してください」




あくまで、普通に受け答えをしながら彼女の脚に頭を載せる。この動作も慣れの域に達し始めている自分に複雑な気持ちはあれど、もうそれを変に誤魔化すようなこともしなくなっていた。実際彼女の元だと驚くほどに眠りが深い。それに助けられているのも確かだ。半ば認めている俺の声にどこか満足そうにしながらも、今度は彼女がゆっくりと俺の髪に触れる。おやすみなさい、と耳元の近くで聞こえたそれに返事をしながら目を閉じた。もう、燻るようなこの感情も感覚も全て夢の中に置き去りたかった。









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