▼ 第三十七章



心配そうな一期に戸口から見送られながら桜花は気を落ち着かせようと一度深呼吸をした。
今回の件は一期と囮となる三日月にのみ伝え、他の刀剣達から隠れるように桜花は三日月と外に出た。

「お気をつけて」

そう声をかけてくれる一期に一度だけ振り返り、頷いて返してから桜花は三日月を連れて本丸を後にした。



日は大きく傾いて、その姿を山の向こうへと沈めようとしている。
やはり町は変わらず賑わっていて審神者に刀剣男士、商いの者で溢れていた。
昨日の今日でまた現れる可能性は低いのでは、と思いつつもこの中に自分の三日月を狙う輩がいると考えると自然と表情が硬くなる。
歩くのも億劫に思っているとふと後ろを歩いていた三日月が桜花の横に並んだ。

「主、少し休まないか」

じじいだからな、足が疲れたと笑う三日月に桜花は気を遣わせてしまったかと思いながらすぐに頷いた。

「そうですね。茶屋にでも入りますか」

緊張を和らげるように笑えば、三日月も嬉しそうに笑ってくれた。
近くで目についた茶屋に足を踏み入れれば、まぁまぁこれはこれは三日月宗近様ではありませんか、天下五剣が来てくれるなんて縁起の良い、と初老の茶屋の女が捲し立てるようにそう言って桜花と三日月を店の前の、野点傘のある腰掛けへと促した。
刀剣に詳しい者が店を商っていることもあるのかと少し意外に思った。

「主、顔が強張っているぞ」

しかし三日月はそんなことなど眼中にないようで、昨日と同じく周囲を気にした様子もなく桜花に茶を勧めた。

「主は甘味も好きだったな。ぜんざいにするか? あんみつにするか?」
「いえ、今日はお茶だけにしておきます。万が一のときにお腹がいっぱいだと追うことができませんから」

冗談交じりにそう言えば、一度目を見張った三日月が声を上げて笑った。

「まさかとは思うが、主は自ら盗人を捕まえるつもりか?」
「ええ、万が一のときにはですが」
「はっはっは、それは頼もしいな」

優雅に笑う三日月を微笑みながら見上げ、桜花はまた視線を往来へと戻した。
やはり三日月を連れているのは大層目立つようで始終様々な視線を感じる。
そんな中、ふと横から視線を感じてそちらを見れば真剣な眼差しの三日月と目が合った。

「頑なに俺を共としなかったのは、此度の件のせいだったのか」

先日の一件の話しかと思い返し桜花は深く頷いた。

「…政府から、刀剣が行方不明になる事件が多発しているから注意するようにと一報が入っていました。皆を不安にさせたくはなかったので黙っていて…そしたら丁度、貴方が供を申し出てくれたのです」

だから貴方に諦めて欲しくて色々と考えた、と桜花が続けると三日月は演練のことかと口元を緩めた。

「とはいえ、三日月には随分と意地悪をしてしまいました。すみません」

くす、と笑って桜花がそう言って三日月に視線を向けたときだった。

「―――え?」

いつの間にか三日月の姿がそこから消えていた。



   ***



「三日月」

桜花に声をかけられ、三日月は我に返った。
どうやらぼんやりとしてしまっていたようで、目の前に立つ彼女は笑って三日月を見下ろしていた。

「行きますよ」
「……」

彼女に促され、三日月はゆっくりと立ち上がりその横に並んだ。
途端嬉しそうに笑った桜花に、三日月もまたそれに応えるように笑った。



   ***



隣にいたはずの三日月が消えた。
桜花は跳ねるように立ち上がると周囲を見渡したがそこには人の往来はあるものの、三日月の姿はない。

(うそ、今までずっと隣にいたのに…!?)

どういうことか、と桜花は焦りを隠せずにその場を駆け出した。

「どこにいるの、三日月…!!」



   ***



ゆっくりと隣を歩く桜花をちらりと見下ろし、やがて三日月が口を開いた。

「帰るのか?」
「はい」

今度は桜花と目が合わず、三日月もまたその視線を道の先へと向けた。

「俺の主は、随分と優しい」
「え?」

ぽつりと漏らした言葉に桜花が視線を三日月に向けた。

「急に、どうしたんですか」
「俺達は付喪神ではあるが、つまりは物だ。物に心が宿っただけの…人ではないモノだ」

ざり、と草履が小石を踏んだ音がした。

「確かに貴重ではあるが…幾らでも代えはある。だが、それでも主は皆に言った。『私の刀剣になってほしい』と。俺達が欲しいと」
「それは…そうでしょう、審神者であれば当然―――」
「いや、主は他人の所有物だった…万が一にも自分を裏切るかもしれん俺達がほしいと言ったのだ。それも、戦力として…つまりは刀としての俺達が」

はは、と三日月は笑った。

「ならば、俺達もそれに応えなくてはならん」

三日月は鋭く光らせたその瞳を、隣に立つ桜花へと向けた。

「この俺を謀ろうなど―――浅ましい。」

すらり、と三日月はその刀身を引き抜いた。



   ***



焦る気持ちを抑えるように桜花は足を止めてその場で一度深呼吸した。

(無暗に探したところで意味はない…)

先程時の政府と名乗る者達に声をかけられたが、そんなことなど構っていられず振り切るように町の外れまでやってきた。
幾ら彼の主が自分だとはいえ、彼らと自分を繋ぐものがあるわけではない。
あるのだとすれば、彼の中に流れるのは自らの審神者としての力だけ。

「…っ、なら」

桜花は髪に挿していた簪を引き抜く。
しゃらりと揺れるそれは三日月からもらったものだ。

「やられっぱなしの私ではないですよ」

ぎゅっと簪を握りしめた桜花のその瞳が、黄金色に輝いた。



   ***



「審神者に刃を向けるとは、何事ですか」

桜花が真っ直ぐにこちらに視線を向けるその首先に、三日月は己の切っ先を突きつける。

「どこの審神者であろうと、俺の主でないことに違いはない。そうであろう」

しかし三日月は落ち着いた様子のままそう口にした。
桜花の姿をしたその者が桜花本人でないことは当然三日月も気が付いていた。
途端、目の前の桜花に似せたその顔が怒りに歪んだ。

「術が効いていないのか…!!」

曝け出された本性に三日月が目を細めた。
あの主は絶対にこんな表情はしないだろう、と心の隅でそう思いながら三日月は刀を握る手に力を込める。
横に大きく薙いでしまえばこの者の首は呆気なく落ちるだろう。

(できるものなら、そうしてしまいたいが…)

自分の主ではないものの、審神者を手にかけることは刀剣男士である自分にはできない。
そして、主を悲しませるのも本望ではない。

(さて、どうするか…)

あまり悠長に構えていられないな、と三日月が思っていたそのときだった。

「私の三日月から離れて下さい」

その声が聞こえたのと感じた事のある力が周囲に満ちたのはほぼ同時だった。
ざり、と土を踏みしめる音に三日月は口元を緩めた。

「主」

嬉しさの滲む声で三日月がそう呼べば、桜花がその隣に立った。
しかし視界に見えた桜花の姿は見慣れたそれとは大きく違っていて、三日月は目を見張った。
こちらに背を向ける彼女のその風になびく髪は見慣れた黒髪ではなく、眩いばかりの銀色に輝いていた。

(これは…)

いつだったかの鶴丸の言葉が脳裏を過った。
三日月をかばうようにして前に出た桜花は、此度の主犯であろう者を睨み見た。

「何の術を使っているのかはわかりませんが…それで私の三日月を奪おうなどと、考えが甘い」

ぶわっと底知れぬ大きな力が周囲に満ちた気がした。
桜花が怒っているのが空気を通して伝わってきた。

「化け物…!」

桜花の姿を模していた者が、そう口走ったのが聞こえた。



時の政府に主犯であった元審神者を引き渡し、桜花は三日月の横に並んだ。

「どうやら、あの元審神者は審神者だった頃の能力を活かし、珍しい刀剣を奪っては…審神者に売りつけていたようですね」

三日月はそう冷静に告げる桜花をじっと見下ろした。

(あれが、主の本来の姿か…)

人ではないことは重々に分かっていたが、まさかあのような姿を目の当たりにするとは思っておらずいささか驚いた。
それを敏感に察したのか桜花が笑って三日月を見上げた。

「…驚かせてしまいましたね」

すみません、と桜花は静かに笑う。
その落ち着いた様子に三日月は何とも複雑な思いを抱いた。



その夜、早々に私室に戻って行った桜花を追い三日月は階段を上がっていた。
遠くから聞こえる仲間達の賑やかな声とは反対に三日月は静かに足を進めた。

『化け物…!』

あの時桜花がどんな表情をしていたのか、後ろにいた三日月に見ることはできなかったが。

(一瞬、ほんの僅かな間だったが)

桜花の放つ強い力がぴたりと止まった気がした。

依代を持つ手に力を込めた直後、その者は時の政府によって捕えられようとしていた。
そうでなければ、二度と口が利けぬようにとこの手でその喉を切り裂いていただろう。

三日月の足が階段を上がりきると、桜花の私室の襖が開いているのが見えた。
足を進めて部屋の前に立てば室内に灯火はなく、僅かな明かりが差す綺麗に障子が張られた丸窓の前で、桜花はぼんやりと物思いに耽っているようだった。

(俺の気配に気付かないとは…)

少しばかり目を見張ったが、三日月はすぐに口元に笑みを作った。
それを空気で感じ取ったか、我に返った桜花が三日月の存在に気が付いた。

「三日月…、いつからそこに…」
「今来たところだ。して主、窓まで開けては寒いだろう」

三日月は室内に足を踏み入れると、近くに掛けてあった桜花の上着を手に取った。
それを広げながら桜花の横に膝を付くとそれを肩にかけてやった。

「貴方はよくここに来ますね。嫌ではないのですか?」
「はは、主は可笑しなことを言うな。主の元が、嫌なはずがないだろう」

桜花が部屋のことを指して言っているのはわかっていたが、敢えてそれには答えずに茶化してやれば、気付いた桜花は短くため息を吐いた。
そしてまたぼんやりと丸窓に視線を向けた。
それを見届けながら三日月は桜花の横に座した。

「今日は、月が見えないですね…」

小さな声でそう言った桜花は、手に持っていた三日月の簪を目の前に掲げた。
今度は僅かな明かりでも輝くその美しい簪に目を奪われていれば、それを横からするりと攫われてしまった。
何を、と桜花が三日月に視線を戻せば思ったよりも彼の顔が近くにあって驚いた。

「っ…」
「月なら、ここにあるぞ」

そう言って笑う三日月の瞳に、三日月が輝いた。

「誰が、何と言おうと…主が何者であろうと―――」

する、と三日月の指先が桜花の黒い髪を掠めた。
ぐっと距離を詰めてきた三日月に徐々に桜花が目を見開けば。

「主は、ずっと俺の主だ」

そうだろう、と三日月が耳元で囁いた。



今回の件の報酬に、とまたもや政府から資源を大量に受け取った桜花は呆れたようにため息を吐いた。

「もう二度とこんな思いは勘弁ですね」

資源を与えれば済むと思っているんですかね、とぶつぶつ文句を垂れていたら姿勢よく茶を飲んでいた鶯丸と目が合った。

「これで大包平を鍛刀するか?」
「……」

桜花は控えている連隊戦のことを思い出し、額に手を当てた。






―――続


/

---