▼ 第三十六章



万屋の中に入ると桜花はほっと息を吐いた。
周囲の視線から漸く逃れることができ、やっと落ち着ける。
しかし、流石と言うべきか三日月はそんなもの物ともせず散策を楽しんでおり、やはり彼は大物なのだと感心した。
今だって早速棚に並べられた商品を吟味しており、隣に立つどこかの本丸の愛染がぎょっと彼を見上げていることにも気が付いていないのだろう。
桜花は買う予定の物を頭の中で反芻しながら、手前にあった目的の物を手に取った。



大量の購入品を前にした万屋の者が嬉々としながら本丸に荷物を送ってくれると言ったので、桜花はそれに甘えることにした。
これは随分と楽になった、と思ってふと三日月を見ると彼は何かを熱心に見つめていた。

「三日月?」

おもむろに桜花がその横に並ぶと、彼はこちらを見てふっと笑い、それから手に持っていたそれを桜花の髪へと挿した。

「よし、これがいい」
「は…」

しゃら、と音の鳴るそれに桜花は近くにあった鏡を覗き込むとそこには三日月の飾りがあしらわれた簪が挿してあった。
これはどうしたことかと桜花が三日月に振り返れば、いつもののんびりはどこへやら、いつの間にか会計を済ませていた。

「三日月!」
「どうした、主。それでは気にくわんか」

優雅な仕草で戻ってきた三日月は、簪の並ぶ棚を眺めた。

「まぁ、確かに鼈甲の簪も捨てがたいとは思うが、主はまだ若いだろう? そのくらい華美でも―――」
「そういうことではなくて…!」

桜花が少し声を張ると、三日月は笑ってその指先で桜花の唇を押さえた。
瞬時に桜花が黙れば三日月はそっと首を傾げて桜花と視線を合わせた。

「これで誰がどう見ても、俺の主とわかるな」
「!」

何の含みもないように聞こえる言葉だったが、桜花からしてみれば彼に隠していることを見抜かれた様な気がした。
固まった桜花とは反対に三日月は笑みを深めると、いつものようにゆっくりとした足取りで万屋を出て行った。



しゃらしゃらと聞き慣れない小さな音が耳の後ろから聞こえ、桜花は気恥ずかしくなり視線を落として歩いていた。
刀剣とはいえ男性に簪を贈られたというのが衝撃で、最早三日月という珍しい刀剣を連れていることも、それによって周囲から注目されていることも忘れてしまっていた。

(三日月は平安刀だし、まさか…深い意味はないとは思うのだけれど…)

だとしたら本当に天然なたらしだ、と悶々と考えているとぴたりと三日月の足が止まった。
どうしたのだろうかと桜花もまた足を止めたその瞬間、近くの通りから声が聞こえた。

「―――主、ここにいてくれ」

聞こえた声がただの会話でないことに気が付く頃には、三日月にそう声をかけられ彼の足はその細い路地へと向けられていた。
桜花の脳内に政府からの一報が過り、思わずその着物の袖を掴んだ。

「待って下さい、三日月。私も行きます…!」
「!」

桜花の様子に三日月は一度目を見張ったが、すぐに瞳を細めると桜花に向き合った。

「俺の後ろから出てはならんぞ」

そう一言だけ掛けると、すぐにまた路地へと視線を戻した。
音を立てないようにそっと路地へと入れば、すぐにその光景が視界に飛び込んできた。

「放して下さい!」

そう叫ぶのは見知らぬ少年で、彼はおそらく刀剣男士だ。
そしてその彼の腕を掴むのは顔を紙で隠した男だった。
桜花がその光景に目を見開くと同時に、三日月が口を開いた。

「何をしている」

低い三日月の声音にびくりと肩を震わせた男がこちらに顔を向ける。

「三日月、宗近…!!」

男の口からそう声が漏れた時、掴んでいた手が緩んだのか男の手から刀剣男士が逃げ出した。

(まさか、近頃の行方不明の犯人…!?)

こうも簡単に見つかるとは、と桜花が身構えると男はその場から姿を消してしまった。
深追いするつもりはなく、桜花は地面にへたり込んだ刀剣男士の元へと急いだ。

「大丈夫ですか」

自分と同じくらいの身長である彼は、少し困ったように笑いながら桜花を見上げた。

「た、助かりました。ありがとうございます」

戸惑いの残る声でそう桜花にお礼を言った彼は、ゆっくりと立ち上がった。

「何があったのですか」

すかさず桜花が尋ねるが、彼は何かを思い出したかのように目を見開くと桜花に詰め寄った。

「あの、主様を探さないと…!」



主を探したいと言う彼の話を聞いてみれば、彼は先程まで自分の主と共にいたという。
しかしふと気が付くと自分の主は横におらず、見知らぬ男が自分の横に立っていた。

「驚いて逃げ出そうとしたら…腕を掴まれてしまって」

時の政府に彼を引き渡す際、彼はそう話してくれた。
もう少し話を、と思っていたが首を突っ込むなと言わんばかりに時の政府に遮られてしまい、彼を見送るだけとなってしまった。

「貴方の名前は?」

最後にそう問いかけると彼は小さく笑った。

「物吉貞宗と言います。ありがとうございました」

そう名乗ると彼は深々と頭を下げた。



「物吉貞宗…」

彼は桜花の本丸には顕現しない刀剣だった。
彼もまた俗に言う貴重な刀剣なのだとすれば、自ずと理由は見えてきていた。

(やはり、貴重な刀剣ばかりを狙っているのでは…)

貴重な刀を求めている何者かの仕業なのだとして、敵ならばともかくなぜ貴重とはいえ刀剣が必要なのだろうか。
桜花にはわからずにただじっとうつむいていると、ふと静かに横に寄り添っていた三日月が小さく動いた。

「如何なる場合でも…俺達は審神者に刃を向けることはできんからなぁ…」

ぽつりと三日月は何かを思い出すかのように言った。
どういう意味だろうか、と桜花が顔を上げると三日月と目が合った。
じっとこちらを見る三日月が何かを伝えようとしている気がして、桜花も黙ってその三日月を見つめ返しているとふとある考えが脳裏を過った。

「審神者…」

桜花のように、別の審神者が顕現した刀剣でも自らが顕現したと同じように扱うことができるのだとすれば。

「まさか…っ」

桜花は今まで歩んできた道のりを振り返った。



本丸に戻った桜花は慌ててこんのすけに先程の話を伝え、且つ自分の考えも伝えた。
始終静かに聞いていたこんのすけだったが、やがてその内容を上に報告すると言いすぐに姿を消した。
後ろに座していた共をしていた三日月や近侍の一期は話の内容から近頃の事件の内容を覚った様子で、ただ黙ってそこにいた。

(恐らく、今回の犯人は―――審神者)

膝に置いていた手をぎゅっと握りしめた。
審神者であれば如何なる刀剣男士をも扱うことができ、先ほど三日月が言ったように刀剣男士は審神者に刃を向けることはできない。
つまり、余所の貴重な刀剣を何らかの形で奪い取り自分の刀剣として手元に置く。
刀剣男士はそれに抗うことはできない。
なんと罪深いことか、と桜花は怒りに震えた。



戻ってきたこんのすけの口から飛び出したのは思いもよらぬ言葉だった。

「時の政府より新たな指令です。…三日月宗近と共に、今回の犯人を捕らえて下さい」

こんのすけはいつもより控え目にそう告げた。
恐らく桜花が返す言葉を察しているのだろう。

「なぜ、私なのか聞いても良いですか」
「主さまが適任だと判断されたのです。三日月宗近を狙い、必ず罪人は姿を現すでしょう」

そこを政府が捕らえるのだという。

(成程…)

時の政府はまだ桜花が完全な審神者だとは思っていないのだろう。
他の三日月を含む貴重な刀剣を所持する審神者は貴重な人材。
今回の危険を伴う任務を命ずることはできないと判断したのだ。
ぼんやりとそう感じた。

「―――わかりました、受けましょう」

背後で一期が息を飲んだのがわかった。



明日、同じ時間に町へ。
こんのすけを通して伝えられた命を反芻しながら桜花は自室へ戻ろうとしていた。
すっかりと夜も更けてしまっており、桜花は長かった今日一日を思い返すと早く休みたいとも思った。
部屋まで送る、と名乗り出た三日月がその後ろを静かに歩いていた。
ふとその足が人気のない廊下に出た時だった。

「天下五剣を失うのは惜しいか」

ぴたりと桜花の動きが止まった。

「…次に、また同じ事を言ったら怒りますよ」

低い声でそう返せば、わかっていたかのように三日月が笑ったのが空気を通して伝わってきた。
悔しくなって振り返れば、やはり彼は口元を袖で隠しながら静かに笑っていた。

「私の刀剣が、危険に晒されるのです。快く思わないのは当然です」
「はは、それは嬉しいなぁ」

緊張感のない彼に何かを返す気にもなれず、桜花が再び足を進めようとした時だった。

「主」

くいっと身体が後ろに引かれた。
後ろから肩を三日月に掴まれ、そっと引き寄せられた。
彼の香りが一層強くなったと思ったとき、その耳元で彼は言った。

「俺の主は、主ただ一人だ。明日、何が起きても…それだけは変わらないだろう」

しゃら、と簪の飾りを撫でた三日月は背後から桜花を抱きしめた。

「っ」

力強いその腕の中で抵抗もせずただじっと過ごしていると、また三日月が笑った気がした。






―――続

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