▼ 第三十三章



青かった木々の葉がそれぞれ温かみのある色に移ろい始め、朝晩が肌寒く感じるようになってきた。
暑かった夏を終え、この本丸も殆どの刀剣達が揃い政府に与えられている任務も危なげなく熟すようになった。
さてここで、桜花は多大な問題を前にして頭を悩ませた。

「最近は悩む事ばかりだ」

そう愚痴を溢してしまう程には、大層な悩みだった。

最近になって“近侍”を固定にしてはどうかという意見が増えてきていた。
以前は一日交代制で全員の持ち回りだったが、一日で仕事が終える日が少ない上に書類仕事や部隊編成考案が苦手な刀剣もいた。

「どう思いますか、小夜」
「え…僕にそれを聞くの…?」

そんな本日の近侍は小夜で、彼はやっぱりお茶を淹れて桜花の元へとやってきた。
問いかけられた小夜は少しばかり考える素振りを見せたが、やがてうつむいて静かに口を開いた。

「確かに、僕はこんなことしかできないし…やっぱり、兄様達の方が向いているとは…思う」
「……」

桜花は彼の兄達を思い出していた。
かと言って江雪は戦を好まないせいか部隊編成の話になると途端に表情を暗くし、宗三に至っては手伝う気は皆無で座って文句を言うことの方が多い。
一つ息を吐き、桜花はおもむろに立ち上がった。

「どこに行くの?」

きちんと正座をする小夜がそう問いかければ桜花は小夜の手を取った。

「一緒に行きましょう」

小夜は促されるまま立ち上がり、二人は部屋を出て行った。



ひらひらと葉が舞う庭に面した縁側には、いつも鶯丸や三日月、時々鶴丸がそこにいる。
今日も例外ではなく鶯丸と三日月はそこに座っていて、小夜はちらりと桜花を見上げる。

(やっぱり、三日月さんに相談するのかな…)

小夜からしてみても天下五剣である三日月宗近は特別だった。
皆にも信頼され、強くて美しい。
小夜がぼんやりとそう思っていると、通りがかった桜花達に気付いた鶯丸が顔を上げた。

「主か。どうだ、一緒に茶でも」
「ありがとう鶯丸。でも先を急いでいて」

やんわりと誘いを断った桜花は、彼らの後ろを素通りしてしまった。
驚いた小夜が桜花を見上げる。

「え…?」
「え?」

何かあったかと桜花が首を傾げると、小夜も同じように首を傾げる。
近くで小鳥が鳴いていた。



桜花は再び小夜を連れて廊下を進み、やがてある部屋の前で立ち止まった。
その部屋に覚えのある小夜はまたちらりと桜花を見上げる。
今度はすぐに目が合い、桜花はふふっと笑うとまた部屋に視線を戻した。

「私です。入ってもいいですか」
「ん」

部屋から返事があると、桜花はすっと障子戸を開ける。
中に居たのは刀を手入れしていたのか、懐紙を咥え刀身を持ち座る和泉守だった。

(和泉守さん…?)

小夜の疑問を他所に、桜花はまた小夜の手を引いて中に入ると障子戸を閉めた。

「和泉守、相談があるのですが」
「何だ、呼んでくれりゃあ行ったのによ」
「私の部屋は寂しいので」

相変わらず自分の部屋が嫌いなのかよ、と和泉守は笑う。
彼に向き合うように座った桜花の横に小夜も座ると、桜花は手に持ってきた紙を開いてそこに置いていく。

「近侍のことで相談が。」
「ああ、近侍を固定にするかっつー噂のことか」

手入れ道具一式を仕舞い、和泉守も桜花に向き合って紙を覗き込む。
直後、外から物音がしてすっと障子戸が開いた。

「あれ、主さん」

両手にお盆を持って中に入ってきたのは堀川だった。
桜花は顔を上げると堀川を迎えた。

「お邪魔してます」
「いえいえ。主さんなら喜んで」

にこっと笑った堀川はそう言って和泉守の横に座る。
じっと見ていた小夜と座った堀川の目が合った。
堀川は小夜にも笑いかけると、和泉守と同じように広げられた紙に視線を落とした。

「近侍かぁ…、やっぱり第一部隊長と兼任なんですよね」
「本当は別に、と考えているんですが…やはり部隊に加わった方がより進捗も伝え易いのではという意見もあります」

うーん、と唸る堀川に桜花も頷く。

「だとすればやっぱり強いヤツがいいだろ。第一部隊長は責任が重い」

堀川の持ってきた盆を引き寄せ、和泉守はその菓子器に入った煎餅を摘まむ。

「ほらよ」

するとその菓子器を小夜の前に滑らせた。
ぱちぱちと瞬きし、小夜は和泉守を見るが彼は真剣に紙を眺めていて目は合わなかった。

「では、やはり練度の高い者から…回す人数が多いと伝達に時間がかかるので、少人数でということになりますね…」
「主の主観でいいと思うぜ。アンタが良いって思ったヤツを選べ。相性も大事だろう」
「うーん…」

やはり悩み出した桜花をちらりと見て、小夜は視線を戻す。
和泉守と目が合った。

「小夜。おまえはどう思う?」
「えっ…?」

思わぬ言葉に小夜はびくりと肩を震わせた。
しかし和泉守は首を傾げ、怪訝と小夜を見る。

「おまえはどう思う?」

再び投げかけられた言葉に小夜はぐっと身を固くする。
それからおずおずと和泉守を見上げた。

「あの…どうして僕に聞くんですか…?」
「あ? 今の近侍はおまえだろーが」

何言ってやがる、バテたか、夏は終わったぜ、と和泉守が続ける。
やはり言われている意味がわからず、小夜は桜花を見上げる。
桜花はただ微笑みながらこちらを見ていた。



桜花が部屋に戻るというので付き添うことになった小夜は、やはり先程のやり取りの意味がわからずにうつむいていた。

(どうして、僕に…)

桜花も和泉守も、なぜ自分に等しく問いかけてくるのか。
主も和泉守も自分に何を求めているのかよくわからなかった。
一生懸命考える小夜を見つめていた桜花はやがてその足を止めた。

「小夜、少し休みましょうか」

そう声をかけて、桜花は縁側に腰を下ろした。
そよそよと通り抜ける風を感じながら、桜花は横にちょこんと座った小夜を見る。
やはり何かを考えている様子の小夜を見て微笑み、視線を庭へと移した。

「聞きたいこと、ありますか?」

そう桜花が小夜に問いかける。
小夜は手元をじっと見つめ、戸惑いながらもその口を開いた。

「どうして、和泉守さんのところに行ったの…? 三日月さんじゃなくて…」
「私がこの本丸に来たばかりの頃からずっと一緒にいるから、彼なら皆のことをよく知っているでしょう」

微笑みながら桜花は丁寧に答えた。
小夜は続けた。

「どうして、和泉守さんは…僕に聞いたの、かな…?」

あの場には堀川もいた。
彼なら堀川に聞いただろうに、なぜ自分に問いかけたのか。
すると予想を反した桜花の言葉が返ってきた。

「それは、貴方を頼りにしているから」

目を見開いた小夜が、そっと横にいる桜花を見る。
風が悪戯に桜花の髪を掬い、その髪が日の光で銀色に見えた。
小夜は息を飲んだ。

「―――主」

小夜はその場に立ち上がると桜花にしっかりと向き合った。

「…僕も、主が選んだ刀に…任せていいと、思う」

小夜の口からはっきりと紡がれた言葉に、桜花は微笑みながらゆっくりと頷いて返した。






―――続


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