▼ 第三十四章



「名だたる名刀ばかりの中で…俺に近侍をしろ、と…?」
「はい」
「……持ち回しのはずじゃあなかったのか」
「はい」
「……」

布に包まれ部屋の真ん中に座る彼、山姥切に向き合い桜花は再び「お願いします」と言った。
しかし彼は随分と前からこうして渋っており、なかなか頷いてはくれなかった。

第一部隊隊長兼近侍。
この役目は桜花の選んだ精鋭が無期限、不定期に持ち回りという形で落ち着いた。

そして桜花は自らが選んだその幾振りかの一人、山姥切にその役目を頼んでいた。
桜花の優しげな瞳と目が合うと、山姥切はすぐに顔を逸らし被っていた布を目深に被り直した。

「貴方に頼みたいんです」
「……」
「山姥切」

何度頼もうともやはり彼は頷いてはくれなかった。
桜花は一つ息を吐くと静かに立ち上がった。

「今日のところは、これで」

それだけを残し、桜花は部屋を出て行った。
山姥切はその背中を見送ることなく、ただ畳の編み目をじっと見つめていた。



桜花が選んだ近侍は誰か、と本丸の刀剣達の間はその話題で持ちきりだった。

「あーあ…俺も近侍やりたかったなぁ」

机に突っ伏しながら加州はそう漏らし、その指先の爪紅の乾き具合を確認する。
触れたら生乾きだったか少しだけ傷が入り、それがまた悔しくて加州は唇を尖らせる。
その横で本に目を通していた大和守が「そうだね」と返す。

「練度も悪くないのに…」
「おまえがわがままだから嫌なんじゃない?」
「は?」

本から一度も目を離さずにそう言った大和守を加州がじとっと睨みつけた時だった。

「あっ、ここにいた!」

戸の間からひょっこりと顔を覗かせたのは乱で、彼はそのまま部屋の中に入ってくると机に小箱を置いた。

「どうしたの、乱」
「えへ。一緒に選んでほしいなーって」
「何を」

乱は嬉しそうに小箱を開けるとその中を加州に見せてやった。

「髪飾り?」
「うん! あるじさんの、明日の髪型を考えてたんだけど」

迷っちゃってー、と乱はそう言って小箱の中身を一つずつ取り出す。
加州はそのうちの一つを摘んだ。

「あー、何だっけ。お世話係? みたいなのやるの?」
「そう。主に粟田口短刀で当番制になったんだ」

にこにこと笑う乱を前に、加州はため息を吐くと髪飾りを机に置いた。

「いいよね、短刀はさ」
「だって、ボク達短刀の中からは誰も近侍になれなかったから」

だからって諦めた訳じゃないんだけど、と乱は一つずつ髪飾りを撫でる。

「いつか、絶対誰よりも強くなって…あるじさんの近侍、なってみせるんだから!」

そう言ってぐっと拳を握る乱に、横に座る大和守が苦笑いした。

「それで、その近侍って誰になったの?」
「我らが粟田口からは、いち兄!」

手を挙げてそう答える乱に続いて、加州が指折りながらそれに続いた。

「堀川に和泉守、歌仙と後は―――」

ふわ、と障子戸の間を白い布が通った。

「山姥切」

加州がその名前を口にするのと、偶然にもそこを通りかかった山姥切の足が止まるのはほぼ同時だった。
自分が呼ばれたと山姥切はちらりと部屋の中を見た。
加州に大和守、乱の視線が自分に向けられていることに気が付き、山姥切は姿勢もそのまま口を開いた。

「…なんだ」
「ごめん。今、近侍の話をしてて―――」
「俺は近侍ではない」

機嫌を損ねたと思った大和守の言葉に重ねるようにして山姥切はそう返した。
途端言葉を詰まらせた大和守に代わって、眉を寄せた加州が首を傾げた。

「なんで? 確かに俺、アンタが声をかけられたって聞いたんだけど」
「…断った」

乱が大きな目を見開くその横で、加州は表情を険しくさせた。

「どういうこと」
「…俺では、近侍は務まらない。だからそう主に言った」

目を伏せてそう吐き捨てるように言うと、山姥切はその場を後にすべく足を進めようとする。
しかし、それは乱の声によって遮られた。

「ふざけないでよ!」

そう叫んだ乱は部屋を飛び出すと、山姥切の前に回り込み行き先を阻んだ。
その瞳は今までの愛らしさなど欠片も無く、まるで敵を目前としているかのように鋭かった。
山姥切は一瞬目を見張ったが、すぐにそれを元に戻した。

「なにがだ」
「あるじさんの、近侍をあなたに頼んだ気持ちがわからないの?」
「…気に障ったのなら謝る。だが、近侍はやらない」

目の前の乱を避け、山姥切はまた足を進めた。
徐々に遠ざかる山姥切の背中を見送りながら、先程よりも落ち着いた声で乱が言った。

「一番近くで…あるじさんのことを守れるのに…」

今度は足を止めず、加えて少しだけ歩調を速めた。
しかしその耳にははっきりと乱の声は届いていた。

「いらないなら…ボクにその役目、ちょうだいよ。」

彼がどんな表情をしているのか、逃げるように先を急ぐ山姥切には確かめる術はなかった。



ある日、空は分厚い雲に覆われて薄暗かった。
近侍を断って以来、桜花は何か言いたげに山姥切に視線を送ることはあったが特に何も言わなかった。
山姥切も主が納得してくれたのだとさして気にも留めていなかった。

(俺よりも、相応しい刀は多い)

ましてや、あの天下五剣の一振りである三日月宗近ですら近侍の任を頼まれなかったのだと聞いた。
山姥切はせっせと内番を熟しながら、彼女が諦めてくれたのだと内心ほっとしていた。
遠くで第一部隊が出陣したという声が聞こえてきた。



昼を過ぎれば空では真っ黒い雲が太陽を隠してしまい、肌寒ささえ感じさせた。
山姥切が畑当番の後片付けを終え、そんな空をぼんやりと眺めていた時だった。

「兄弟」

ひょこっと姿を見せたのは堀川で、彼もまた自分とお揃いの内番服でそこに立っていた。

「…何か用か」
「近侍のこと、聞いたよ。断ったんだって?」
「ああ」

そのことか、と山姥切が顔を伏せると堀川は彼を近くの縁側に促した。
二人並んでそこに座ることはあまりないせいか、少し新鮮に思えた。
だからと言って会話が弾むわけもなく、山姥切がだんまりを決め込んでいるとやはり堀川が話を振ってきた。

「あの日のこと、覚えてる? 主さんがいなくなった件の後、兄弟は僕に言ったよね」

ちらり、と山姥切は堀川に視線を向けるが、彼は真っ直ぐ前を向いていてそれが合うことはなかった。

「『主を守りたかった。それは俺も兄弟と同じだ』って。まさか、兄弟があんなこと言うなんて思っていなかったから驚いたんだ」

そう言って笑う堀川に、山姥切は恥ずかしそうに目を伏せる。

「確かに…近侍であることがすべてじゃないし、近侍でなくても主さんを守ることはできる。でも」

堀川の視線が山姥切に向けられそれを感じてちらりとそちらを見やれば、空色の瞳が真剣にこちらを見据えていた。

「僕達に与えられた、主さんを守る絶好の機会…。やっと…、僕達の主になってくれたあの人の力になることができるんだ。だから僕は…この機会を逃さない」

冷たくなった風が頬を撫でた。
ふわりと被っていた布が浮かんだ気がした。
堀川はすぐに軟らかく笑うと、静かに立ち上がった。

「僕は主さんが顕現した刀じゃない。そんな僕に信頼を寄せてくれる主さんの期待に応えたい。ずっと…僕が、折れるその日まで」

なぜ彼が笑ってそう言えるのかが、山姥切にはよくわからなかった。

「俺は…、俺では…主の期待になんか―――…」

絞り出すようにして、そう言葉にしたときだった。
本丸が騒がしいことに気が付いた。

「第一部隊が…!!」

誰かの叫ぶような声が聞こえ、堀川と山姥切は顔を見合わせるとすぐに地面を蹴った。



地面に滴るのは泥が混じった血液で。
咽返るほどの濃い鉄の臭いに思わずぐっと眉を寄せた。
第一部隊が帰還したその本丸の門前には、たくさんの刀剣達が集まっていた。
皆ただならぬ様子でその場に立ち尽くしておりすぐに何かがあったのだと察した。

「兼さん!!」

隣にいた堀川が、第一部隊の隊長だった和泉守の元へと走った。
集まった刀剣達の中、彼は手傷を負いながらもその場に立ちどこかを呆然と見つめていた。

「兼さ―――」

堀川がそんな和泉守の隣に立った直後のことだった。

「いやぁああ!!」

聞こえた誰よりも高い悲鳴は、主である桜花のものだとすぐにわかった。
堀川が、次いで山姥切が彼の横に立ってそちらを見る。
そして見えたその光景に背筋が寒くなった。

「乱!! みだれ…!!」

地面にだらりと倒れる血塗れの乱に桜花が縋りついていた。
そしてその隣には同じく重傷を負った薬研が座り込んでおり、彼がか細い呼吸を繰り返しているのが遠目でもわかった。
桜花が薬研の手をぎゅっと握りしめた。

「薬研! 薬研、しっかり…!!」

桜花の白い指先が彼らの血でみるみる真っ赤に染まっていき、すぐにその手を燭台切が掴んだのが見えた。

「主、落ち着いて…! 大丈夫だから早く手入れ部屋に…!」
「放して! 乱と薬研が…っ!!」
「っ、早く運んで!!」

桜花の手を握り彼女を落ち着かせようとする燭台切が堪らずそう叫ぶと、周囲にいた刀剣達が慌しく彼らを抱きかかえ本丸内へと走って行った。
顔を上げた桜花のその頬には、幾筋もの涙が伝っていた。

「みだれ、やげん!!」

がたがた震えながらそう叫ぶ、そんな桜花を見たのは初めてだった。
刀剣達の合間からそんな桜花の姿を見た山姥切は、その目を見開いたままただそこに立っていることしかできなかった。



第一部隊の戦績は重傷二名、中傷三名、軽傷一名だった。

「―――検非違使だ」

隊長の和泉守が苦々しくそう漏らした。

何度か時間遡行軍が確認されていた時代。
そこで任務を熟していた最中、奴らは現れたという。
練度にばらつきのあった第一部隊の、中でも練度の低かった短刀の乱と薬研が重傷を負い帰還した。
桜花が審神者となって以降、刀剣男士の重傷、ましてや破壊などは起きていなかった。
重傷の彼らを見た桜花は酷く取り乱しており、今は自室で休んでいるという。

和泉守が他の刀剣達やこんのすけにそう報告しているのを聞きながら、山姥切は先程の桜花の様子を思い出していた。
いつも微笑んで穏やかに過ごす彼女の、あんな姿は重傷の仲間を見るよりもずっと辛く感じた。

「……」

山姥切はぎゅっと拳を握ると、その足を桜花の自室へと向けた。



外はいつの間にか雨が降っていた。
しとどに濡れる景色など気にも留めず、山姥切はただ真っ直ぐ桜花の部屋を目指していた。
雨の音に掻き消されたのか周囲は物音一つしなかった。
山姥切の足は桜花の自室の前で止まり、襖に向かって声をかけた。

「入るぞ」

そう声をかけつつ桜花の許可を待つが返事はない。
山姥切は静かに襖を開けた。

部屋の中、桜花は丸窓の前に座り込み静かに泣いていた。
窓から外を見上げるようにし音もなく涙する桜花は、今すぐにでもそこから消えてしまいそうなほど儚かった。

「っ」

山姥切は足音を立てながら中に入ると、気付いた桜花の視線がそちらに向けられた。
そこで我に返ったのか、桜花が慌てて涙を拭った。

「っ山姥切…」
「あんたに話がある…!」

珍しく声音の強い山姥切を前に桜花はただ彼を見上げることしかできずその様子を伺っていると、彼は一度唇を閉ざしたがすぐにそれを開いた。

「俺は、山姥切の写しとして打たれた刀だ。そんな俺でも…認めてくれたのはあんただ。だが、俺が…あんたに返せるものは何もない…と思っていた」

ぎゅっと山姥切が拳を握ると、反動で薄汚れた布の合間で金の髪が揺れた。
そしていつもは深く布で隠されていた空色の瞳がはっきりと見えたときだった。

「俺が、第一部隊を率いて…仲間を守ってやる」
「!」

彼らしくもなくまっすぐに桜花を見据えそうはっきりと言い放った。

「あんたが守りたいもの…それも、俺が守ってやる…!」

目を見開いた桜花のその瞳からまた涙が零れた。

「…俺が…あんたの近侍になる!!」

ふわ、とかぶっていた薄汚れた布が揺れた。
桜花は両手で涙を拭うと山姥切を見上げた。

「ありがとう…、山姥切…!」

それからまた顔を覆って泣き始めた桜花の前に静かに膝をつき、山姥切は慣れない手つきで桜花の肩を擦ってやった。



「隊長さん、今日はどうするの?」

後ろで手を組んでお茶目にそう尋ねてきたのは乱で、それをちらりと一見した山姥切は刀の柄を握り直した。
強敵がいると噂のこの時代に送られた第一部隊。
それを率いる山姥切は丘から見える景色を一望し、それから振り返った。

「敵を、すべて斬るだけだ」






―――続

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