▼ 第二十八章

しかし時刻は夜も更けていて。
審神者の部屋はこの本丸の上の階、当然のことながら周囲に刀剣男士の部屋はない。
加えてどこか遠くで聞こえる虫の音が気味の悪さに拍車を掛けていた。

「…誰かに、一緒に行ってもらおうかな」

部屋に何かいればちょっと怖いし、と付け加えて桜花は部屋の続く廊下を歩んだ。

一番近くの灯りが見える部屋をそっと覗き込むとまず床に置かれた徳利が目に入った。
それから順に視線を辿ればそこには見慣れた姿が二つと。

「燭台切に鶴丸と…大倶利伽羅?」
「ああ、主」
「誰かと思ったら、きみだったか」
「……」

盆を手に持った燭台切と、畳の上に胡座をかくのは鶴丸と先日顕現されていた大倶利伽羅だった。

彼とは鍛刀で顔を見合わせて以降、正直きちんと顔を見たのはこれが二度目だったりする。
「慣れ合うつもりはない」と言い放ち、どこで何をしているのかその姿を中々見せてはもらえなかった。
現に、今も目が合ったかと思ったらあからさまについっと逸らされた。

(……)
「どうしたの、主。眠れないの?」
「一緒に飲むかい?」

人懐っこく笑って桜花に近寄る燭台切や、徳利を左右に振って桜花を誘う鶴丸とは正反対な性格だと思う。
しかしこうして一緒にいるのは、彼らはかの有名な伊達政宗と共にあった刀達だからだろう。
仲がいい刀剣がいてくれて良かった、と桜花はほっとしつつわざと大倶利伽羅の真横に座ってやった。
途端嫌そうに逃げる大倶利伽羅に少々傷付いたが、桜花は本来の目的を遂げるべく燭台切と鶴丸を見た。

「あの、頼みたいことがあるんですが」
「おっ。きみの頼みごとなんて珍しいな」

にっと笑って鶴丸が硝子のお猪口を口に運び、空いていたお猪口を桜花に差し出した。
桜花は片手を挙げて断った。

「実は…今から、審神者の部屋を見に行こうと思いまして」
「え?」

桜花の前に硝子の茶器を置いた燭台切が声を漏らした。

「どうしたの、急に…明日でもいいんじゃないかな」
「どうしても…今見に行きたいんです」

器からは酒とは違う甘い香りがした。

「―――怖いのかい?」

ふと鶴丸が瞳を細めてそう問うてきた。
横に居た大倶利伽羅がちらりと桜花を盗み見る。
鶴丸のその言葉がからかうつもりではないことに気付きながら、桜花は深く頷いた。

「はい。怖くて、一人では行かれないんです」

付いて来てくれますか、と桜花は続けた。

「行くよ。他でもない、主の頼みとあらば」

桜花の前に膝を付き燭台切はそう答えた。
昼間の加州の様子を知っているのだろう、彼の優しい言葉に桜花は頷いて「ありがとうございます」と返した。

「よし、俺も行こう。審神者の部屋には興味がある」

酒が入っている割にはすっと音もなく立ち上がった鶴丸は、その手に依代を掴んだ。

「伽羅坊、きみはどうする? 慣れ合うつもりはないか?」

茶化すように鶴丸にそう声をかけられた大倶利伽羅だったが、少し間を置いてから彼もまた自らの依代を掴み立ち上がった。
少しだけ鶴丸が驚いたような表情を見せた。
桜花は嬉しそうに笑った。



先程まで月明かりに照らされていた廊下は、分厚い雲に月が隠されてしまった為か薄暗くなっていた。
刀剣達も眠りに就いたのだろう、周囲は物音もしなかった。

(付いて来てもらえてよかった)

緊張からかどくどくと音を立てる胸を押さえ、桜花はゆっくりと足を進める。
先頭には足取りの軽い鶴丸が歩き、横には燭台切が、そして数歩離れて後ろから大倶利伽羅が付いてきていた。

「聞いてはいたが、本当に入ったことがないのか?」

ふと振り返った鶴丸がそう尋ねてきた。

「はい。この本丸に来た最初の日に、一度開けようと思ったんですが…」

あの時は、背後から物音がして入る機会を逃した。
それ以来はここの刀剣達に審神者と認められるまではこの部屋を使うまいと考えていたし、何より上の階に用事など無かったのだ。

「他人の部屋と思うと気が乗らなくて、そのまますっかり忘れていました」
「きみらしい」

そう言って鶴丸は視線を前へと戻した。

「あの部屋に…何が、あるのかな…」

虫の音に混じって燭台切が呟いた。

先日、山姥切が言っていた「部屋に閉じこもり、出て来なくなった」原因があそこにはある。
「あの部屋には行かないで」と訴えかけてきた加州の、あの辛そうな表情の原因が。

彼らの顔を思い出し、ぐっと桜花が拳を握った。

「行けばわかるんだろう」

静かに後ろから声が聞こえた。
桜花が振り返ると、自分と良く似た色の目と目が合った。

「早くしろ」

しかしそれも少しの間で、大倶利伽羅はそう吐き出すように言って桜花を先へと促した。

「…はい」

桜花は真っ直ぐに前を見据えた。
その先には上の階へと続く階段が見えてきていた。



木製の階段が軋む音が静かな廊下に響き渡る。

「おお、月が出れば絶景だろうな」

窓から見えるのは果てしない暗い空と闇でも分かる青々とした草原で、鶴丸はそれを一見してから視線を目の前に立つ桜花へ移した。
桜花はそれに頷いて返すと、目の前の部屋へと繋がる襖を見上げた。

「ここです」

豪奢な襖はこの本丸に足を踏み入れた、あの時に見たそのままの姿でそこにあった。

「主、大丈夫?」

緊張が伝わったのか、後ろから静かにかけられた燭台切の声に頷いて返し桜花は一度深く息を吸った。
それを吐き終えてから静かに襖の引手に手を掛ける。
同時に後ろにいる三人がそれぞれ刀の柄に手を掛けた音がした。

「…開けます」

桜花は誰に言うわけでもなくそう告げてから、その両手に力を込めて左右へと払った。



まず目に入ったのは丸窓障子だった。
障子の桟の三つ組手により均等で美しい模様が薄暗い中でも浮き出て見えた。
思ったよりも埃っぽさはない。

その視線がゆっくりと室内を巡る。
箪笥には繊細な飾り金具、綺麗に並べられた書物。
文机には書きかけの書物だろうか、和紙が散らばっていた。

(硯の墨は固まってしまっているだろうに)

そんなどうでもいいことを思ったときだった。
闇の中にぼんやりと、対の目が浮かんだ。

「!!」

分厚い雲に隠されていた月が、そこから姿を現した。
薄い障子を通した白いその明かりが室内を照らし始める。
繊細な飾り金具は花の模様で、並んだ書物は少し傷んでいて。
文机は思ったよりも艶があって、和紙には墨が飛び散っていて。
やはり硯の墨は固まっていて。

「っ…!?」

背後で誰かが息を飲んだ。
畳の上に見えたのは濃紺色の着物。
それとは対照的な白い肌、着物と似た紺色の流れる髪。
ふわ、と髪を飾る金色の房が揺れた。

その姿は、いつだったか町に繰り出したときに見たそれと寸分の違いもない。
審神者達が喉から手が出るほどに欲しているという、天下五剣の中で最も美しいとされる一振り。
長い睫毛が揺れて、それに縁取られた瞳の奥に三日月が光った。
その瞳と目が合い、桜花は思わずその名を口走っていた。

「―――三日月、宗近…」

紺色に浮かぶ紗綾形の柄がくっきりと浮かんで見えた。





 ―――続

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