▼ 第十八章



桜花は横に座る今しがた顕現したばかりの乱藤四郎の髪をその指先で梳いた。
さらりと流れる美しい髪は日の光に照らされてきらきらと美しかった。

「可愛らしいから女の子かと思いましたが、やはり男の子でしたか」
「えへ、ごめんねあるじさん。期待外れだった?」
「断じてそんなこと。とても嬉しいです」

そう言ってぎゅっと抱きしめれば腕の中で乱が可愛らしく笑った。
男の子だが可愛らしい、と桜花は堪らずぎゅうぎゅう抱きしめていれば乱が笑いながら「痛いよー」と言った。

「ねぇねぇあるじさん。ボクの髪結って?」
「ふふ、いいですよ」

上目使いでそう強請る乱に桜花は笑みを湛えたまま、小物入れから櫛や結紐を取り出した。
中には可愛らしい髪飾りが幾つも入っており、それを横から見た乱もまた目を輝かせた。

「うわぁ、可愛い…! こんなにたくさんあるのに、あるじさんは使わないの?」
「私よりも乱の美しい髪の方が似合うわ」

ほら、と中から花の飾りのついた簪を取り出して乱の髪に当ててやる。
はにかんで笑う乱を縁側へと誘った。

「ここに座って、私に背を向けて下さいな」
「はーい」

縁側に腰掛け足を揺らした乱は嬉しそうに綺麗に整った庭を眺めた。
背後で桜花は笑うと、その長い髪に櫛を通す。
さらりと指の間をくすぐって落ちる髪はとても柔らかくていい香りがした。

「どう結いましょうか」
「あるじさんに任せるよ! 可愛くしてね?」
「ええ、もちろん」

妹がいたらこんな感じなのだろうか、と桜花は嬉しくなって乱の髪を梳いてやった。






「あるじさま」

ふと先を歩いていた今剣が足を止め、そう呟いた。
後ろを歩いていた前田も同じように足を止めると今剣の目線の先を辿る。
縁側に座る桜花と、その前に座っているのは自分の兄弟の姿だった。

「乱兄さん…!」

そう声を上げると、気が付いたのか桜花と乱の視線がこちらに向けられた。

「今剣、前田」

桜花は名前を呼ぶとひらひらと手招きした。
今剣はすぐさま「わーい」と手を挙げて駆け寄って行き、送れて前田はきちんと歩いて桜花の元へ向かった。

「ぼくもやってほしいです!」

そう言いながら今剣が桜花と乱の左右を行き来する。
乱は得意げに笑うと「順番だよ」と言い、それから近寄ってきた前田に視線を向けた。

「前田、よろしくね」
「…乱兄さん…」

少しだけ瞳を潤ませる前田と兄らしく笑う乱に桜花は胸が温かくなった。
乱の横に同じように座った今剣は、彼と同じように両足を揺らして桜花を見上げる。

「あるじさま、つぎはぼくもおねがいします!」
「ええ」

ぽんぽんと今剣の頭を撫で、桜花は再び乱の髪を梳き始めた。
すると今度はじっとこちらを見ていた前田が桜花の横に座った。

「主君。主君の御髪は僕が梳いてもいいですか?」

一生懸命桜花を見上げて前田がそう口にした。
普段我儘など一切言わない(これが我儘かどうかは不明だが)前田がそんなお願いをしてくるとは思わず、桜花は目を見開いて前田を見た。
それをどう受け取ったのか、前田は頬を赤くすると慌てて取り繕った。

「ああっ、すみません! 主君が…よければ、なんです…が…」

僕みたいな刀が主君の御髪に触れていいとは思ってないんですが、と小さな声で続ける前田に桜花はそっと漆の櫛を差し出した。
弾かれたように顔を上げる前田に、桜花は優しく微笑んだ。

「お願いできますか、前田」
「っはい!!」

元気よく返事をし、前田は両手で桜花から櫛を受け取るとそっとその背後に回った。
主の一番無防備な背後にこうして控えることができ、前田はここ最近で一番誇らしく感じた。
そっと桜花の長い髪を両手でまとめると、ふわりと花の香りがした。

(優しい香りです…)

それからそっとその髪に櫛を通せば、それは引っかかることもなくするりと通った。
夢中になって梳いている前田が真剣なのが櫛を通して伝わってきて、桜花は笑いながら手の動きを再開させた。



そんな彼らを本丸の廊下の角から見つめるのは、最近になって漸く外に出て来た加州だった。
柱からそっと少しだけ瞳を覗かせ、そこから見えるのは桜花や前田達の横顔だった。

「行かないんですか?」
「!?」

いつの間にか夢中になっていたのか、背後からかけられた声に思わず肩を跳ねさせてしまった。
振り返ればにっと笑う鯰尾がそこにいて決まりの悪い加州はふいっと視線を逸らす。
それから踵を返して廊下の奥に消えようとしたとき、再び鯰尾に声をかけられた。

「俺は主さんに呼ばれた刀だから前のことなんて知らないですけど、主さんは気にするような人じゃないですよ」

ふと加州の足が止まる。
すぐに顔だけ振り返った加州の赤い瞳だけが薄暗いその中で鮮明に見えて、鯰尾はその顔から笑みを消した。

「おまえに、何がわかるんだよ…!」

低く掠れた声で、加州はそう呟いた。

「主に愛されるのは…綺麗な、やつだけなんだから…っ」
「綺麗…?」

何のことかと鯰尾が疑問に思うも、加州は既にその場から姿を消してしまっていた。



乱の髪を結い上げ、そこに似合う飾りを付けてやると鏡を覗き込んだ彼は嬉しそうに笑った。

「あるじさんすごい…! かわいい…っ」
「喜んでもらえたのなら何より」

一生懸命後ろ側を鏡で見ようとする乱に笑いかけ、今度は今剣の髪を梳いてやる。
背後では前田が一生懸命髪を結紐で結んでくれているようだった。

「上手くできません…」
「こうするの」

苦戦している前田の横に乱は座り込み、二人で桜花の髪をああでもないこうでもないと結い始める。

「今剣の髪は、お日様の香りがしますね」
「ほんとうですか?」

両足をぶらぶらと揺らし今剣がそう返してくる。
金糸のような髪を丁寧に梳いていると、ふと軽い足音がして隣に何かが滑り込んできた。
見ると鯰尾がこちらに背を向けて腕に寄り掛かってきていた。

「…どうしましたか、鯰尾」

そっと覗き込んだその表情がいつもよりも暗く見え、桜花は静かにそう問いかける。
少しだけ間を置いた鯰尾は、どこかぼんやりと視線をさまよわせながら答えた。

「ねぇ主さん。俺のことも綺麗にしてくれる?」





―――続
*藤四郎兄弟の順番は妄想でお送りしております



/

---