▼ 第十七章






「私の刀剣になって下さい。加州清光」

そう伝えたときの加州の表情は一生忘れることはできないだろう。
ほんの一瞬のことだったと思うが、彼が少しだけ顔を赤らめたのだ。
それには桜花も驚いて目を見開くと、加州は慌てて頭を左右に振り視線を落とした。
いつもと違うその反応に胸が温かくなった。

「少しでいいです。少しでいいから外に出て、この本丸を…私を見て下さい」

黙って聞いていた加州が僅かに顔を上げた。

「私は貴方の主になりたいと思っています」

彼からの返答はなかったが、きっと彼は心動かしてくれると信じて桜花は部屋を後にしたのだった。



その結果彼は外に出て来てくれたようで、それを見た前田を始めとする刀剣達が驚いて騒ぎになっているのだろう。
想像するとやはりおかしくて、桜花は声を漏らして笑っていた。

「あ、主様…?」

五虎退もどういうことなのかわからないようで、おろおろとしながら桜花の横に並んだ。

「大丈夫です、五虎退。さぁ続けましょうか」
「え、よろしいのですか? 主君…」
「ありがとう、前田。貴方も自分の仕事に戻って下さい。ああ、できたら一期を手伝ってやって下さいね」

きっと洗濯のし直しでしょうから、と桜花が笑う。
桜花なら喜んで真っ先に加州の元へと向かうと思ったのか、前田が視線を彷徨わせる。
しかし桜花は静かに前田を促しただけだった。

「大丈夫です。さぁ、戻って」
「…はい」

桜花にも何か考えがあるのだろうと前田は覚って、丁寧に一礼するとその場を去った。
賢い前田のその背中を見送り、桜花は仕事へと戻った。



日は山々の間に落ち、空が薄暗くなった頃。
障子戸の前に誰かが立った。

「あの、主…晩御飯なんだけど…」
「ああ…燭台切でしたか、ありがとう」

月末は何かと忙しいだろうから、と今日の夕食は燭台切が作ると申し出てくれていた。
しかしながら聞こえてのは幾らか戸惑ったような彼の声で、何となく理由を察しながらも桜花は手元の書類を丁寧に綴じた。

「五虎退、行きましょうか」

筆記具を片していた五虎退にそう声をかけて立ち上がると、五虎退も慌てて立ち上がる。
障子戸を開ければやはり何とも表現し難い表情の燭台切が立っており、桜花は零れる笑みが抑えられなかった。

「あのね、話には聞いていたんだけどね…?」
「どうかしましたか」
「いや僕ここに来て初めて見たんだけど…、その、えぇと」
「ふふ…そうですか」

言いたいことはよくわかっているからそう返せば、やはり納得していないのか燭台切が困った顔をする。
ともあれ行ってみよう、と桜花はやはり落ち着かない様子の五虎退の手を引いて広間へと向かった。



近付くにつれて漂ってくる味噌汁の香りが食欲をそそる。

「いい香り」
「いや、あの主。それどころじゃないんじゃないかな…」

鼻を鳴らす桜花の後ろで燭台切がそう呟く。
すぐに広間に到着すれば気を利かせて五虎退が障子戸を開けてくれた。

「主様、どうぞ」
「ありがとう」

中に入れば丁寧に膳に並べられた夕餉と各々席に着く刀剣達が見えた。
蕪の煮物だ、と桜花が考えているとその場にいた全員の視線が桜花に注がれる。
それぞれが何か言いたげにしており、中でも真っ先に口を開いたのはやはり堀川だった。

「あの、主さん…!」
「はい」
「あの…、その…」

身を乗り出した堀川だったが、部屋の隅の方をちらりと見ると口籠ってしまった。
桜花がそちらに視線を向けると今まで見た事の無い光景がそこにあった。
並ぶ刀剣達の一番奥、目線が合うことはなかったが確かに加州がそこに座していたのだ。
それを見て口元を緩めながら、桜花は静かに自分に用意された席に着いた。

「いただきましょうか」

そう声をかければ、いつもならそれぞれが真っ先に膳に手を伸ばすはずなのだが。
桜花が箸を持って小鉢を手にしたところで、漸く我に返ったのか数人が箸を手に取った。
最後まで戸惑った様子を見せていたのは堀川だったが、桜花と加州を交互に見た後すぐに座り直すと箸を手に取った。
人数も多くない為、普段からそう騒がしくはない方だが今晩は格別静かな夕餉の席になった。



意外にも空気を読んでいたのか、始終静かだった鯰尾が食事を終えて厨に立って後片付けをする桜花の背に声をかけてきた。

「加州さんが出て来ましたね」
「そうですね」
「主さんは驚かないんですか?」

桜花の隣に立ちそう尋ねてくる鯰尾に、桜花は笑いかけた。

「驚くと言うよりは、とても嬉しいですよ」
「そっか」

にっと笑った鯰尾は桜花が洗う食器を手に取って布巾で拭き始めた。
またもや意外な行動に桜花が目を丸くする。

「あら、手伝ってくれるんですか」
「…あのね主さん。馬糞投げたら本丸の柱に当たっちゃってね?」
「そういうことですか…」

彼なりの反省の仕方だと察した桜花はため息を吐いた。

「投げるものではないですよ」
「ごめんなさーい」

恐らく一期辺りが怒ってくれているだろう、桜花はそれ以上咎めなかった。



片付けを終えて部屋に戻る途中、山姥切が廊下の隅からこちらを見ていることに気が付いた。

「山姥切?」

彼が少しばかり距離を取ってこちらを見ている時は何かあるときだ。
それを理解している桜花は彼が不快に思わない程度に近寄った。
直後に桜花から視線を外し山姥切は宵闇に似合う静かな声で言った。

「俺は、この中でも比較的早くにこの本丸に来た」
「はい」
「…加州清光は審神者の初期刀だった」

脳裏を過るのは、審神者のことを「主」と呼んで慕う加州の姿だった。
ほぼ毎日見てきたその光景は、もう二度と見ることはないのだろう。

「だからこそ…審神者に棄てられたのを一番辛く感じているんだろう」

山姥切の言いたいことを探るように桜花は静かに見据えながら頷く。

「けど、今はあんたが主だ。…あの加州が部屋から出て来たのがその証拠だ」

少しだけ声音を強めてそう言った山姥切はそっと被っていた布で顔を覆った。

「あんたが…主なんだ…」

その言葉を聞いて、桜花は口元を綻ばせた。

「ありがとう、山姥切。加州の主が私であるように、貴方の主も私ですからね」
「…わかっている」

彼なりに桜花をはげましに来てくれたのだろう、彼の優しさに胸の内が暖かくなった。
彼のように加州とも歩み寄れる日がくると信じて、桜花はすっかり暗くなった空を見上げた。



翌日も同様、刀剣達が何とも言えない表情で本丸内を動き回っていた。
その中でも比較的落ち着きを見せているのは宗三だった。

「主、短刀を拾ってきました」

そう言ってそれを手渡してきた宗三は本日の第一部隊だった。
彼の報告に桜花は嬉しそうに微笑む。

「新しい仲間ですね」

笑う桜花の表情がいつもと一切変わりなく、それをじっと見つめた宗三は考えても無駄かと息を吐く。
勘付いた桜花が宗三に視線を送った。

「何か言いたそうですね。尋ねた方が?」
「いいえ。動揺する貴方を見るのが存外楽しかったもので、それを期待していただけですよ。無駄でしたが」
「相変わらずですね、宗三は」

残念でしたね、と桜花はころころと笑う。
宗三としては、やはり加州が姿を見せて桜花が何かしらの反応を見せてくれるものだと思っていた。
しかしそんな気配を一切見せない主に宗三は疑問を抱いていたのだが、どうせわかることはないだろうとすぐに考えるのを止めた。

「…加州は、考えているんですよ」

ぽつりと桜花はそう溢した。

「それを私が邪魔をしてはいけません」
「…どうしてそう思うんですか」

宗三が静かに尋ね返すと、桜花はその姿勢を正したまま視線だけを畳に落とした。

「加州は、私が出て来なさいと命令したのではありません。…自分の意思で、自分の目で見極める為に出て来たのですよ」

そして宗三を見ると、再び嬉しそうに笑って見せた。

「彼も貴方達と同じですよ、宗三」

あの日、あの廊下で桜花を見極めに来ていた自分と同じだと言っているのだろう。

憎たらしい彼女から宗三はついっと視線を逸らす。
そんな彼に小さく笑い、桜花は手に持った短刀に力を送った。
眩い光と共にその可愛らしい姿は現れた。

「乱藤四郎だよ。……ねぇ、ボクと乱れたいの?」

まるで女の子のようなその容姿に、桜花は目を見開いた。

「まぁ…」

そして思わず宗三にきらきらとした目を向けた。

「刀剣男士と聞いていたのですが、斯様な女の子もいるんですか?」
「…はぁ」

宗三はため息を吐くと、痛む頭を押さえるように指先で額を撫でた。






―――続

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