▼ 第十章






人数が増えるということは、当然必要な物品も増えるということになる。
そして与えられる仕事の量も然りだ。

一人でせっせと書類を片していた桜花に、こんのすけがこう助言した。

「近侍を付けてはどうでしょう」

近侍とは主の傍で主を支える役目を担う。
聞けばその仕事は本丸によって、つまりは審神者によって違うのだという。

「先日一期がしてくれたように、仕事を手伝ってもらっても良いと?」
「はい。おそらくその経験があったのでしょう」

確かに言われてみれば、一期の書類捌きは見よう見まねでしていたものではなかった。
大きな尾を揺らしてこんのすけは続けた。

「主さまがお出かけになられる際にも付き添うことができます」

お出かけ、という言葉に桜花は瞳を輝かせた。

「出かけることができるのですか」
「はい。ご入り用の物は万屋で揃えることができます。ご案内致しますが、如何なされますか」

それは是非行ってみたいものだ。
桜花が素早く頷くと、こんのすけがまたその尾を振って見せた。



審神者が利用できる小さな町がありそこに万屋があるのだという。
他にもいろいろな店が立ち並んでおり、その風景は一昔前の江戸にあったそれさながらだ。

「凄い賑わい…!」

周囲を見れば、恐らく審神者であろう人や人ならざる者。
そして彼らに付き従うのは桜花も知る刀剣男士だ。

「端から見て回ろう」

やはり桜花も鬼とはいえ若い女性だ。
買い物も勿論嫌いではない。
普段よりも少しばかり上質な着物をまとい、薄化粧を施した桜花はそっとその町並みに足を踏み入れた。



『あの、主さま。近侍をお連れになった方がよろしいかと…』
『今日は下見です。危険が無いと判断できたら彼らも連れて行きます』
『その危険があった時の為の刀剣男士なのですが…』

本丸を出る前、こんのすけに言われたその言葉は気分が高揚している桜花の耳には届いていなかった。



見る物すべてが物珍しい。
鬼である桜花が人の世の町並みに足を踏み入れることすら少なく、こういった人込みもまた初めての経験だ。
確か購入すべき物はあったように思えるが、浮かれている桜花の頭からはそんなこと抜け落ちてしまっていた。

「何かお土産を買って行こう…。ああ、でもどれにしよう…!」

本丸に残してきた刀剣達一人一人を思い出しては、顔が綻んだ。
露店のように路地からも店の中が見え、それだけでも桜花を楽しませてくれる。
漏れる笑みをそのままに、桜花が足を進めていた時だった。

「あの」

横から声をかけられそちらに視線を向ける。
そこにいたのは自分と変わらない歳の頃の青年で、彼は少しだけ戸惑ったように桜花を見ていた。

「何か?」
「突然失礼しました。あの、つかぬ事をお聞きしますが…近侍はお連れになっていないのですか?」

人の良さそうな笑みを浮かべ、青年は桜花に尋ねる。
青年を見上げていれば、彼の後ろに刀剣男士であろう美丈夫が静かに佇んでいることに気が付き、刀剣男士のことかと我に返った。

「はい、今日は一人で」

にっこりと笑ってそう答えれば、目の前の青年が苦笑いした。

「初対面の女性に言うことではないのかもしれませんが、審神者の一人歩きは大変危険ですよ。次は必ず近侍をお連れになった方がいい」

そう言えばこんのすけがそんなことを言っていたような、と思い出し桜花は困ったように笑って肩を竦めた。

「ご忠告ありがとうございます。何分、審神者になってまだ日が浅く…よく知らずにこうして着の身着のまま出て来てしまいました」
「そうでしたか。それは、尚更お声掛けしてよかったです」

今時にしては随分と殊勝な青年だ、と桜花は思った。
すると名案を思い付いたように青年は表情を明るくし、桜花にこう申し出た。

「よろしければ、用がお済みになるまでお付き合い致しましょう」
「え…、でもそれでは申し訳なく…」
「いえ。斯様な女性を一人にしておくなんて、男の風上にも置けません」

お気になさらず、と青年は微笑みを崩さずに言った。
刀剣男士以外の、それも別の本丸の審神者と交流の機会もなかった桜花としては心惹かれる提案だった。

「お手を煩わせて申し訳ございません。お願いしてもよろしいでしょうか」
「ええ、喜んで」

青年は照れたように笑いながら桜花を先へと促した。



審神者になってからまだ日の浅い桜花よりも幾分早くに就任したという彼の話は、とても有意義な内容だった。

「成程、演練ですか」
「ええ。そこでも他の本丸の審神者と交流が望めますし、何より刀剣男士達が負傷しても疑似ですから手入れの必要もありません」

そんな便利な機能があったのかと桜花は自分の勉強不足を恥じた。
誤魔化すように視線を店へと巡らせていると、ふと別の本丸の今剣が目に留まった。
ぴょんぴょん跳ねる彼は満面の笑みで審神者に何かを強請っているようだった。
随分と可愛らしいその姿につい足を止めると、青年も足を止めて桜花の視線の先を辿った。

「ああ、今剣ですか」
「はい。私の本丸にもいるのですが…あんなにころころと笑ってわがままを言うこともなくて…」

環境がああだったが故なのかもしれないが、まさかあのような姿を見せてくれるとはと少し驚いた。
自分のところの今剣は随分と聞き分けが良く何に関しても手伝いを申し出てくれており、またほとんどの時間を一緒に過ごしたがる。
青年は少しだけ足を戻し、桜花の横に並んだ。

「根本は同じ今剣。でも、育った環境も…主である我々もまた良くも悪くも彼らに影響を与えているのでしょう」
「影響…」
「我々の接し方で、きっと変わるでしょう。彼もまた人の身を得た…我々と同じく感情を持つモノだから」

どこかで聞いたことのある言葉だった。
桜花はぼんやりと今剣を眺め、それから青年に視線を向けた。

「あの、貴方のところに加州清光はいますか」
「加州清光ですか?」
「はい。あの…実は、訳あって彼とは少々折り合いが悪く…どんな刀剣なんでしょうか…」

言葉を濁していると、察してくれたのか彼は追求せずに「うーん」と悩みながらも答えてくれた。

「彼は…そうだな、分かりやすく申し上げれば“愛されたがり”なところがありますね」
「“愛されたがり”…?」

どういうことか、と桜花が首を傾げる。
すると青年は近くにあった緋毛氈の敷かれた腰かけを指した。

「長くなりそうですし、少し休みませんか」

ここの団子は美味いですよ、と青年は優雅に桜花をそこへと誘った。



彼と隣り合って座り、彼の近侍だという刀剣にも席を勧めたが彼は至極丁寧に断ってきた。
「彼はそういう男ですから」とからりと笑った青年は、対して気にも留めていない様子だった。

茶と団子を注文し、少ししてから青年が口を開いた。

「加州清光。彼はその生まれの為か、自分が綺麗にしていれば主に愛されると思っている節があるようです」

また随分と変わった刀剣だと桜花は思った。

「うちの加州清光はどちらかと言えばあっさりとしており、あまりそういう傾向にはないのですが…ああ、ほら」

青年が指した反対側の店にいる審神者の横には、件の加州清光がいた。
主の横で両手の指を伸ばし、どうやら爪紅の塗られ具合を確認している様だ。
その表情は甘く、桜花の見たこともない加州の顔でやはり驚かされた。

「女の子のようですね…」
「はは、語弊はありますがまぁそういう感じですね」

先に茶が運ばれてきた。
青年がそれを手に取る。

「ああやって、着飾って…主に褒めてもらって、愛してもらいたい。それが加州清光なんでしょうね」

審神者が何かを言ったのか、加州が嬉しそうに笑った。
その照れた様な表情は同じ刀剣のはずなのに、自分の本丸の加州とは似ても似つかない気がした。

「愛して、もらいたい…」

ならば自分も加州を愛すことができたなら、彼もそれに応えてくれるのだろうか。

(主従関係とは違って…また難しい)

青年や宗三の言うように人の身を持ち感情を抱くことは本当に厄介だ。
だが人として感情を抱くことができる加州にも、こうして自分と同じように楽しいことも嬉しいことも経験してほしい。
以前の主との思い出だけでなく、今の自分とも。

(まさか、命じられた審神者という職にこうも自分が魅了されるなんて)

正直そちらにも驚きだ、と思いながら熱い湯のみを手に取った。






―――続

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