▼ 第九章





「あ、あの…主様…、馬のお世話終わりました…!」
「主君、文が届いておりました」

各々が与えられた仕事を熟し、褒めてもらおうと桜花の部屋を訪れる。
それが可愛い桜花は喜んで彼らを招き入れた。

先日一期一振が連れてきた弟達は、その姿こそ人に例えるならば子どものような身なりをしていた。
五虎退に前田藤四郎。
どちらもこの本丸にやってきて見かけたことのある姿だ。

「ありがとう。五虎退、前田。こちらに」

二人を横に誘えば顔を見合わせた彼らはそれぞれが桜花の左右を陣取った。
桜花の手元にはくすんだ色をした洋菓子が正方形の仕切りの付いた箱に綺麗に陳列されている。

「二人はどれがいいですか?」

宝石のように美しいチョコレートを前に、嬉しそうな顔をする二人を甘やかしてしまうのは仕方のないことだと桜花は日頃からそう口にしていた。
加えここに今剣や小夜が混じれば敵無しだ。

「どれがいいかな…」
「これが一番綺麗ですね」

桜花を挟んで論議をする二人に笑みは止まらない。

(可愛らしい)

最初の頃は警戒していたものの、今となっては我先にと主である自分の元へと来てくれる二人が可愛くないはずがない。
しかしながら確かに可愛い兄弟だが、彼らの真ん中は少々厄介だと思うこともある。

「主さーん!」
(ほらきた)

必ず短刀達と一緒にいるとやってくるのは、彼らの兄であり一期一振の弟でもある少々悪戯っ子の彼だ。
開け放たれた障子戸の先、庭へと駆け込んできた彼はその手に持つ桶にいっぱいのそれを掲げて見せた。

「見て下さいよ、これ。たくさん集めたでしょう!?」

きらきらとした笑顔だが、その手に持つのは馬の糞で。

「…鯰尾。」

痛む頭を抑えるように手を当てて名前を呼べば「えへ」とでも言いそうな笑顔を見せる彼、鯰尾藤四郎。
先日出陣した際に小夜が拾ってきた脇差だった。
何故彼がそのような物に興味を示したのかは桜花をとても悩ませた。

跳ねる一房の髪を揺らし、鯰尾は桜花の言いたいことがわかりませんと小首を傾げる。
そして次の瞬間には桜花の手元にある物に気付き、そんなことなど忘れたように声を上げた。

「あー! 主さん何それ俺にも下さいよ!」
「それをあるべき所に戻して、手を洗ってきて下さい。鯰尾」
「はーい」

しかしやはり一期一振の弟だけあるのか素直なのは美徳だ。
すぐにその姿を庭から消した鯰尾に、桜花は再びため息を吐きながらも顔を綻ばせた。






随分と賑やかになった本丸は、先日加わった藤四郎兄弟を含め十を数えた。
出陣と内番を熟せる人数になりつつあり、桜花もまた自分を主と慕う彼らを愛おしく思うようになっていた。
しかし、まだこの本丸には隠れている刀剣男士が幾振りかいるのは当然桜花もわかっていた。

「和泉守」

縁側に腰掛けて外を眺める和泉守を発見した桜花は、その横に腰を下ろした。
いつも一緒にいる堀川の姿がなく、それについても尋ねようと思った矢先にどちらも和泉守が教えてくれた。

「国広なら、あいつんとこだ。出てはこねぇけどな」
「…そうですか」

あいつとは、未だ姿を見せてくれないこの本丸の初期刀のことだ。
あれから堀川や和泉守が“彼”を見つけてくれ、幾度となく彼の元へと赴いてくれているようだが桜花がその姿を見えることはなかった。
理由は一目瞭然で当然といえばそうなのだが、このまま時間ばかり過ぎていくのは桜花にとっても彼にとっても良い事ではないだろう。
焦る気持ちが伝わったのか和泉守の視線が桜花に向けられた。

「会ってみるか?」
「え?」

思わぬ言葉に桜炉が間抜けた声を上げる。
しかし茶化すこともなく和泉守は真剣な眼差しで桜花を見据える。

「…アンタには辛い思いさせちまうぜ。それでも会いたいってんなら、連れてってやる」

桜花はこくりと固唾を飲み込むと、ゆっくりと頷いた。
にっと笑った和泉守は立ち上がると廊下を進んで行く。
再度決意を固めた桜花は、すぐにその後を追った。



やがて足を止めた和泉守の前にある部屋。
何の変哲もないただの和室だが、桜花は来るまでにここが隠された部屋だというのを感じ取っていた。
いくら自分や九尾が歩いても辿り着くことのなかったこの部屋に、この本丸の初期刀がいる。

初期刀についてはこんのすけから話は聞いていた。
審神者になったときに最初に与えられる刀剣男士。
彼らのことを一番に信用している審神者も少なくはないだろう。

(きっと、この本丸でも同じだったでしょうに)

ならば初期刀だった彼もまた、主として審神者を慕っていたはずだ。
そう思うと自分がここにいてもいいのだろうかと少しだけ迷った。

「国広、入るぜ」

部屋に向かって声をかけた和泉守がその襖をすっと横に引いた。

「兼さん」

聞き慣れた堀川の声がし、中へと入っていく和泉守に続いて桜花も襖の前に立つ。
随分と近くに座っていた堀川が視界に入り、彼もまた驚いた表情で桜花を見上げた。

「主さん!?」

ここに居るはずの無い桜花の姿に堀川の声が上ずる。
そんな彼に優しく微笑みかけ、桜花は口を開いた。

「和泉守にお願いして連れてきてもらいました」

ゆっくりと畳に膝を付き、薄暗い室内へと視線を向ける。
斜め前にどかりと座った和泉守のずっと奥にその姿はあった。
黒のコートを筆頭に全身黒一色のその首元には赤い襟巻が巻かれている。
膝を立ててそこに肘を付き、埋めるように顔を乗せた彼の赤い瞳は鋭くこちらを睨んでいた。

(彼が、初期刀の…)

その名前を呼ぶ事はできないが、堀川から聞いてはいた。

加州清光。
かの新選組に名を連ねていた沖田総司の愛刀だという。
鋭い眼差しを一身に受け、桜花は姿勢を正して彼に向き合った。

「初めまして。紅華と申します」
「……」

当然返事など期待はしていなかったが、それ以上に顔を逸らされたことには悲しくなった。
今まで敵意は向けられようとも無関心という対応は初めてだ。
微妙な沈黙に耐え切れなくなったのは堀川と和泉守の双方だったようで、桜花と加州を交互に見ては困った様に息を吐いていた。

「…外に出ませんか」

やがて口を開いたのは桜花の方だった。
その視線は真っ直ぐに加州へと向けられている。
しかし、当の加州の視線は最初に睨みを利かせて以来桜花に向けられることはなかった。

「こんな薄暗い部屋にいては、身体に良くないでしょう。外に行きませんか」

再度桜花が静かな口調でそう誘った。
焦る堀川や意外にも落ち着いた表情でいる和泉守の間から、桜花は加州へと声をかけ続ける。

やがて加州の赤い瞳が桜花の方へと向けられた。

「―――うるさいなぁ…」

小さなその声に、桜花が口を閉ざした。
うっとおしげに桜花を見据えたまま、加州はゆっくりと立ち上がる。

「出て行って」

今度ははっきりとそう口にした加州は冷たく桜花を見下ろす。
桜花は彼を見上げたまま、小さく口を開いた。

「…否、と申しましたら」
「斬るよ。当然でしょ」

加州の右手が自身の柄に添えられる。
彼から殺気が放たれたのが空気を通して鋭く伝わってきた。
瞬時に堀川が前のめりになったのに気付き、桜花はすぐにその肩に手を置いて制した。

「大丈夫ですよ」
「っでも主さん…!」
「おまえもおまえだよ。新しい審神者に尻尾振って何が楽しいの?」

添えた手をそのままに加州の標的が堀川に移る。
堀川は怒るどころか悲しげに加州を見上げており、桜花はぐっと口を噤んだ。

(このままでは堀川まで…)

何度もこの部屋に足を運んでくれている堀川までもを、彼の敵にはしたくない。
桜花はすぐに立ち上がった。

「今日はお暇致します」

ゆっくりと加州に向かって頭を下げ、それから堀川と和泉守に礼を言って部屋を後にした。



滅入ってしまった気分を振り払うように素早く廊下を進んで縁側に出れば、庭では今剣と小夜が掃き掃除をしていた。
その姿を前にして、漸く詰めていた息を吐き出した桜花はその二人を縁側から眺める宗三を見付けた。
長い脚を組んで座る彼に、桜花はつい笑みが零れた。

「何ですか」

自分が笑われたと思ってか、不快そうに振り返った宗三がそう言った。
気付かれていたかと桜花はその背中に近付いた。

「着物の裾が乱れていますよ」
「地面に寝転がる主に言われる日が来ようとは」
「本当に宗三は私に意地悪ですね」

今は少しばかり落ち込みそう、と呟けば宗三が焦った様な表情を見せて逆に驚くはめになった。

「…気を悪くしましたか」

優しげな声に桜花は可笑しそうに声を漏らし、首を横に振ってうつむいた。

「ごめんなさい、そんなつもりで言ったんじゃないんです…」

徐々に鼻の奥が痛んで語尾が小さくなってしまった。
わかってはいたものの、いざ面と向かってああ言われるのはやはり慣れない。
鋭く赤い瞳が脳裏を過り、脚の前で指先を遊ばせながら桜花は目を閉じた。

「今までが順調過ぎだのですね…。皆が私を受け入れてくれていたから…それに甘えて忘れてしまっていた。私は余所から来ただけの、審神者にすらなれていない鬼なのだと」
「……」

加州のことだと察した宗三が口を閉ざした。
桜花は唇を噛んで涙を堪えながら少し間を空けて宗三の横に腰を下ろした。
誤魔化すようにぼんやりと今剣と小夜を眺めていると、ふと宗三の声が聞こえた。

「人の身を得るということは、本当に厄介ですね…。人ではないのに、人と同じ感情を持ってしまう」

ゆっくりと足を組み換え、宗三は続けた。

「ですが…主が、僕に“人らしいその姿”を見せてくれるのは…僕にとっては嬉しいことですよ」
「え…!?」

思いもしなかった言葉に思わず上ずった声を出してしまった。
気付いた今剣と小夜の視線が桜花に向けられた。

「あー! あるじさまー!!」

嬉しそうな声をあげて箒片手に駆けてくる今剣とその後ろからゆっくりと小夜も歩んできた。
そんな彼らを迎えてやりたかったが、今の桜花にはそれができないでいた。
気付いた宗三が口の端を上げて庭を眺めながら言った。

「引っ込んだようで何より」
「っ…、はい…」

また宗三の言葉に救われるとは、と桜花は熱くなった頬を隠すように膝に顔を埋めた。





―――続

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