▼ 第八章





立て続けに刀剣達が姿を現してくれて、尚且つ自分を主と慕ってくれるのはとても喜ばしいことだった。

「薬研」
「おう」

そっと手を差し出せば、名前を呼ばれた薬研は黒い革の手袋を外して桜花のそれと重ねた。
流れる神気にも似た清い力に薬研はほう、と息を吐く。
目の前に座る新しい主は目を伏せながらも嬉しそうな顔をしていて、少しだけくすぐったく思った。

「俺には兄弟が大勢いる。今残ってるのは僅かだが、みんな粟田口吉光が打ったやつらだ」

少々引っかかる言葉を紡いだ薬研に、桜花は先日顕現した二振り目だという小夜のことを思い返す。

(以前はいた、ということ…)

帰ってくるはずの兄弟が帰ってこなかった薬研のその気持ちを思うと心が痛んだ。

「先日、一緒にいた彼も同じ刀派ですか?」
「ああ。あいつは―――…」

突然途切れた声に桜花が視線を薬研に向けると、彼は考える素振りを見せてから首を横に振った。

「…やめておく。大将もその方がいいだろ?」

薬研の思うところはおそらく自分と同じだろう。

「ええ。彼らの名は彼らから直接聞かせていただきたいですね」

貴方のようにされては困るもの、と桜花が付け足せば思い当たる薬研は肩を竦めて笑って見せた。






六振り揃った今日、桜花は全員を広間に集めた。

「本来の目的は時間遡行軍を壊滅させることにあります。今日は、六振り皆に出陣をお願いします」

迷いなくそう口にする桜花に、すかさず反応したのは堀川だった。

「主さん、誰か残った方がいいと思います。いくらお付きの狐とこんのすけがいたとしても危険なことに変わりはないですし」

桜花の背後に控えていた九尾がぴくりと動いた。
何か言いたげな彼を後目に、桜花は堀川に向き合った。

「私よりも危険な地に赴くのは貴方達です。人数は多いに越したことはないでしょう」

どうやら考えを曲げる気のない桜花に、堀川はため息を吐いて「わかりました」と命令に応じた。

「まさか、出陣することになるとは…」
「嫌ですか」
「そんなことないですよ」

呟く様に言った宗三にすかさず桜花がそう問えば、彼は不服そうな表情だったがすぐに否定して見せた。
もちろん彼が本心で言っているわけではないことを理解している桜花は、にこりと笑って返した。

「兄として、小夜に胸を張れるようがんばって下さいね」
「…善処します」

宗三はついっと視線を桜花から外した。
本当は使ってもらえることが嬉しい、だなんて彼女に伝えることは気恥ずかしくてできなかった。



出陣部隊を見送った桜花はこんのすけが持ってきた仕事を片すべく自室へと急いだ。
毎日増え続ける書類仕事に疲弊しつつ、桜花は彼らの為だと自分に言い聞かせてその身を投じる。
今日もまた同じことをするのだと、そう思っていたのだが。

(あ…)

仕事用にと使用していたその部屋の前に誰かが立っていた。
瞬時に自分の前に立ちはだかる九尾を宥めるように横へと押しやり、そこに立つ彼を見据え口を開いた。

「貴方は?」

静かに声をかければ彼の視線が自分に向けられ、琥珀色の瞳の彼は美しい姿勢のままそっと桜花と向き合った。

「…私に、何か手伝える仕事はございますか」

思いもよらぬ言葉に、桜花は瞬きも忘れて彼を見つめていた。



部屋の障子戸の前でこちら、と言うよりも彼に睨みを利かす九尾を他所に桜花はちらりと少し離れた位置に座る彼に視線を向ける。
随分と派手な姿とは裏腹に丁寧な言葉遣いと仕草で桜花の書類仕事を手伝う彼は、この本丸の刀剣男士だった。
先程名前を聞いてみたところ、彼はゆっくりとした口調でこう言った。

「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます。」

粟田口、と聞いた瞬間に薬研と関わりのある刀剣であることはわかった。
しかしながらそれを確認する前に、再度彼は「何なりとお申し付け下さい」と続けて仕事を乞うてきた。
取りあえずは、と桜花は自室に彼を招き入れた。
だが話を切り出そうにも彼がてきぱきと書類を捌いていくのを前にしてそれは戸惑われる。
さすれば、彼が口を開くのを待とうと桜花は目の前の書類に向き合った。



どの位経っただろうか、桜花が息を吐きながら筆を置いたその時横から視線を感じた。
紙の束を文机に重ねその前には彼、一期一振がこちらをじっと見つめて座している。
どうやら話をしてくれるようだ、と桜花は障子戸の前にいる九尾に声をかけた。

「九尾、お茶を淹れてもらえるかしら」
「…畏まりました」

暗に二人きりにしてほしいと言ったのは伝わったようで、九尾は音も無く部屋を出て行く。
一瞬の静寂の後、先に口を開いたのは彼だった。

「主は、なぜこちらに?」

問われた内容に桜花は彼が何を聞き出そうとしているのかわからず、一期の琥珀色の瞳を見据える。

「申し訳ございません、言葉足らずでしたな」

伝わったのか彼は小さく笑ってそう言ってから続けた。

「何故、こちらの本丸にいらしたのですか? 私は…いえ、私どもは消える身であった筈なのに今も主の刀としてここにいる」

座る彼の膝に置かれた拳に力が入ったのがわかった。
白い手袋越しのその手を視界に入れ、桜花は彼が言わんとすることが何となくわかったような気がした。

『棄てられた』。

きっと彼もまたそう思っている。
それが本当なのかは桜花にとっても定かではないが、彼らからしてみれば相違ないのだろう。

「弟が…薬研が、貴方を主と呼びました。それを見た私は確かめたかった。貴方という人を」

遠くからも近くからも主として振る舞う桜花を前にして惹かれるものがあったのは、彼もまた薬研と同じだった。
しかしそれだけでは駄目だった。

「でもわからないのです。もし…もしもまた、主が私どもを棄てるというのであれば…弟達も、私も…きっと人を許せなくなる」

怒りと悲しみの感情で震える己を律し、一期はそっと頭を下げた。

「だから、お願い申し上げる。…傷付いていく弟達を、見ていることは耐えられない」

今ならまだ傷は浅くて済むから、と彼が言いたいことが桜花には手に取る様にわかった。
辛い苦しい、棄てるのなら早いうちにそうしてくれ、とそういうことなのだろう。
だが、理解はしても納得はしていない。

「一期一振」

その名を強く呼べば、彼は弾かれたように顔を上げる。

「いつ、誰が貴方達を棄てると言いましたか」
「は…」
「私が貴方達を棄てるなど、それこそ私が耐えられない」

すっと座ったまま一期との距離を詰め、桜花は彼の膝に置かれた拳にそっと手を伸ばすと手袋越しの手をゆっくりと両手で包む。

「私は、貴方達を棄てなどしない」

飾らぬ率直なその言葉はすとんと自分の中へと落ちてくる。
一期は目を見開いて目の前の桜花を見た。
桜花の指先に力が籠り、その瞳がふと伏せられた。

「神に、貴方に誓って」

それからそっと一期の手を持ち上げるとその手の甲に唇を寄せた。

「!?」

その場で飛び上がる勢いで驚いた一期は慌ててその手を引っ込める。
しかし桜花は微笑んだまま一期を見ていて、少しの間動揺を見せていた一期も深く息を吐くときちんと桜花に向き合った。

「…それは、主のすることではございません」

そう言いながら一期は己の手袋を外し、それから桜花の白い手をその手に取った。
桜花の視線を感じつつ一期はその手の甲に、同じように唇を寄せた。

「この一期一振、貴方に忠誠を誓います」

触れる仕草を見せた一期に、桜花は微笑みながらゆっくりと頷いた。

「よろしくお願いします、一期」
「…は」

照れたように短く返す一期に桜花は可笑しくなって声に出して笑った。

「刀であっても、兄とはいつでも弟を想っている…。人と同じですね」

そう言って尚もくすくす笑う桜花に、顔を赤くした一期は何も返せずにただその場に座っていた。



本日の隊長を担っていた薬研が報告の為桜花の部屋を訪れると、そこには顔を赤くしたまま文机に向かう兄と嬉しそうに笑う主が居て思わず首を傾げた。

「何してんだ、いち兄」
「聞かないでくれ、薬研…」






―――続

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