▼ 第七章


出来立ての苺大福を二つ皿に乗せ、桜花はある部屋の前に立った。

「入ってもいいですか?」
「はい、どうぞ」

すぐに返事が聞こえ障子を開けようとするとそれは勝手に開いた。
もちろん勝手に開くわけがなく、障子を開けてくれた堀川がこちらを見上げていて桜花はお礼を言って中に入った。

「苺大福、よかったらどうぞ」
「作ったんですか?」
「ええ。今剣と小夜と、宗三と一緒に」
「美味しそう」

きちんと正座をしてそう言ってくれる堀川の気配り上手なところはとても好ましい。

「ありがとよ」

そしてその横で寛いでいた和泉守は、すぐに苺大福に手を伸ばしてそれを掴むと口に放り込んだ。

「兼さん行儀悪いよ」

すかさず堀川が咎めに入ったのを横目に、桜花は熱い茶の用意をした。
彼らにそれを配り、それから桜花は本題に入った。

「織田信長の刀と、この本丸の初期刀のこと何か知りませんか」

片栗粉の付いた指先を咥える和泉守と、湯飲みを持つ堀川の視線が桜花に向けられる。

「織田の刀…」
「ああ…あいつか、粟田口の」
「あわたぐち…?」

また知らない名前が出てきた、と桜花が思っていると堀川が口を開いた。

「初期刀のことなら良く知ってますよ。僕達と縁ある刀なので」
「そういや、あいつ見かけなくなったな。…まぁ無理もねぇか」

どうやら初期刀についての情報が得られそうだ。
桜花が身を乗り出して話を聞こうとしたが、それより先に和泉守が難しい顔をして湯飲みを手に取った。

「あいつはかなり面倒なヤツだ。あんた一人でどうにかできるとは思えねぇな」
「え…」

まさか出端を挫かれるとは思いもせず、桜花は口を開けたまま和泉守を見た。
しかし彼は「あっちぃ!」と口走って迷惑そうに湯飲みを見ている。
どういうことかと堀川に視線を向ければ、苦笑いしながら答えてくれた。

「彼、すごく主に執着してたというか…えぇと、ちょっと面倒なところがあって…」

歯切れ悪く堀川は続けた。

「そうだな…僕達の方で探してみるので、主さんはその織田の刀の方を探してみてください」
「そ、そう…」

何だか話を逸らされたようだと桜花は思いつつ彼らを信頼しているので任せようと思い、まずは織田の刀について聞くことにした。

「おそらくその刀は薬研藤四郎だと思います。主の身体には傷一つ付けず、けれど薬研を貫いたと言われている短刀。ただ彼ら短刀は隠蔽能力が高いから、簡単には見つかってくれないかと」

堀川の言い方から察するに、その彼の居場所は知らないのだろう。
脳内で忘れないようにと名前を復唱してさてどう探そうかと考えていると、お茶が冷めたのか和泉守が湯飲みを大きく傾けて飲み干した。
彼はそれを盆の上に置くと桜花に向き合った。
その顔が楽しそうな笑みを浮かべていて、何となく嫌な予感がした。

「いい方法があるぜ!」

さすがは兼さん、と内容も聞かないうちから堀川が拍手を送った。



二人のいる部屋から外に出ると、桜花は大きくため息を吐いた。
それから空になった皿と湯飲みを片付けるべく厨に戻って行く。

やはり、と言うべきか桜花の嫌な予感は当たっていたとも言える。
先程和泉守は自信満々に『名前呼びながら本丸中を歩いてりゃ、出て来るさ!』と豪語したのだ。
どう返答すべきかと思いつつも、せっかく彼がそう言ってくれたのだからと強引に自分を納得させ実行するつもりで部屋を出た。

「薬研藤四郎…」

とりあえず忘れないようにと、小さくその名前を呼んでみた。



桜花が去った後、その姿を見送った和泉守は声を押し殺して笑っていた。

「見たか、あの主の顔…!」
「期待と複雑と後悔が入り混じった顔だったよ」

そう言う堀川も呆れ半分面白半分といった顔をしている。

「あの様子だと名前を呼んだだけじゃ出てくるわけないって思ってるよ。それなのに兼さんを落ち込ませないように『やってみる』なんて言って」
「あー、あの主は見ていて飽きない」
「なんだかんだ兼さん、主さん好きだよね」

違う、そういう意味じゃないと顔を赤くして騒ぎ立てる和泉守を無視し、堀川は桜花が出て行った障子戸を見て呟いた。

「がんばってね、主さん」




そんな堀川の声援が送られた頃だった。

「―――呼んだか?」

背後からの聞き慣れない声に我に返った桜花は慌てて振り返った。
そこには自分より幾分背の低い少年が立っており、桜花は目を見開いた。

(いつの間に…っ)

何の気配も無く背後に立たれたことに驚いて失念していたが、彼の黒い髪と涼しげな目元には覚えがあった。

「あの時の…」

茶菓子を分けた刀剣と一緒にいた彼だ。
まさかと思いつつ、桜花は彼にきちんと向き合うとおそるおそるその名を口にした。

「薬研藤四郎は、貴方ですか…?」
「ああ」

にっと笑った彼は、やはり背格好に似合わず随分と大人びている。
まさか和泉守が言ったことが本当だったとは、とそちらにも驚きを隠せないでいたときだった。

ふっとその身に刺さるような殺気を感じ、桜花は後ろへ飛び退いた。
咄嗟のことで手を放してしまい、盆と食器が耳障りな音を立てて床に落ちる。

「っ…」

落ちたそれに目を向けることなく自分が今までいたそこを見れば、突き立てるように刃先が向けられていた。
それを操る薬研は、飛び退いた桜花を見て目を細めた。

「随分と早いな」

まさか刃を向けられるとは思ってもみなかった桜花は、冷静を取り戻そうと乱れた裾を手で払って直した。
それからすっと薬研を見据える。

『必ずしも、主さまに仇なす者がいないとは言い切れません』

こんのすけの言葉が脳裏を過った。

(私を主だと認めてはもらえないか…)

これが彼らの反応というならば、確かに間違ったことではないのだが。

(さて、どうする…)

このまま睨み合っても解決にはならないし、かといって傷の治りが悪いとわかっている以上刺されるわけにもいかない。
それに自分を主と呼んでくれる者達がいる以上、彼らを置いていくわけにもいかない。
嫌な汗が手のひらに滲む。
目の前の薬研は構えを解く様子もなく、こちらの出方を窺っているようだ。

じり、と桜花の足が床を踏みしめたときだった。
足元にふわりと何かがまとわりついてきて、思わず視線を落とした。
そこにいたのはいつだったか見かけた小さな虎で、しまったと思った瞬間には既に遅く。

「っく!」

何かが自分の身体を押し倒したこのときは、少しだけ覚悟を決めて衝撃に備えるように目を閉じた。

「……あれ?」

しかし身体に痛みなんてなく、おそるおそる目を開けると投げ出された足に小さな虎がすり寄ってくる光景が見えた。
どういうことだろうと必死に頭を働かせていると、右肩に重みを感じた。

「―――っひゃあ!」

更には生温かい、おそらく吐息が耳に吹きかけられて思わず悲鳴に似た声を上げてしまった。

「ははっ、良い反応だな」
「!?」

耳元で楽しげな声が聞こえ、慌てて桜花が顔を向ける。
そこには先程まで対峙していた薬研がおり、その距離の近さに更に飛び上がりそうになった。
あろうことか薬研は笑みを湛えたまま桜花の肩に顎を乗せていたのだ。

「な、何して…!?」

見れば自分の腹部には彼の細い腕が回されていて、どうやら後ろから抱え込まれるような体勢で座り込んでいるらしい。

「安心していいぜ。刀ならちゃーんと鞘に戻してある」

状況が理解できずに目を見開いたままじっとしていると、肩に顎を乗せたまま薬研は遠くを見つめた。

「薬研藤四郎は、薬研には刺さるが主は傷つけない。そういう刀だ」

その言葉は、先程堀川が言っていた言葉を思い出させた。

「俺は絶対に主を傷付けない」

はっきりとそう言葉にした薬研は桜花から離れると立ち上がり、やはり笑みを湛えながら手を差し出してきた。

「からかい過ぎちまって悪かった。改めて俺っち、薬研藤四郎だ。兄弟ともども、よろしく頼むぜ。」

成程からかわれていたのか、と桜花は恨めしく思いながら薬研の手を取った。
黙ったまま口を開かない桜花に、流石の薬研も焦ったのか少しだけ表情を変えた。

「その、避けるだろうなとは思ってたんだが…怒ったか?」
「……」

強い力で手を引かれ、その場に立ち上がると無言で着物の乱れを直す。
同じ短刀である今剣や小夜が随分と可愛らしかったせいか、彼もそういう感じなのだと信じて疑わなかった。
見た目通り大人びているというか、でもやっていることは子どもっぽいというか、何と言うか。

(少し反省すればいいわ…)

どうしたらいいか必死になって考えたのに、普通に姿を現した挙句からかわれるとは。
床に落ちた盆と、幸いにも割れることはなかった皿にそっと手を伸ばすと、その手に黒い革の手袋に覆われた薬研の手が重なった。
思わず顔を上げると、至近距離にあった薬研の目と目が合った。

「悪かった、“大将”」

謝る気のない微笑みに加え、桜花が一番望んでいた言葉を口にされて今度はとても悔しくなった。




「ねぇ、主さん怒らせたの誰…?」

堀川は目の前にある白米を盛られた茶碗と、そこに添えられた漬物だけという夕餉を前にして低く呟いた。
いつもならそこに最低でも三品は付いてくるであろう、おかず達がない。
その隣に座る和泉守にいたっては、現実逃避でもしたいのか畳に後ろ手を着いて天井の木目を数えている。
少し離れた席にいる宗三もまた感情の読み取れない表情をして目の前の質素な夕餉を見ていた。

「これ絶対主さん怒ってるんだよ。厨に立つ主さんの背中からそういう雰囲気が漂ってたし」

光の無い瞳でそう捲し立てる堀川は、美味しい夕餉にありつけることを当然のように想像して和泉守と手合せにのめり込んでいたのだ。
期待を大いに裏切られてしまい、その元凶は何なのか突き止めなければ気が済まない。

「僕も結構邪道でね…」

この怒りのような感情をどう発散させるべきかと考えていると、すっと障子戸が開けられた。

「悪い、俺のせいだ」

そこから姿を現したのは、随分と久しくその姿を見ていなかった薬研だった。

「薬研」

宗三がその名を呼べば、薬研は少しだけ嬉しそうな表情を見せたがすぐにそれを崩すと、近くの座布団に腰を下ろした。

「大将に会ったときに、ついからかっちまってよ。そしたらああなっちまって」

薬研もまた厨に立つ桜花を見かけていた。
その背から『怒ってます』と言わんばかりの淀んだ気が流れ出ているのも見ている。

「からかったって…もう、兼さんですらまだあんなに怒らせたことないのに」
「おい待て、まだってどういうことだよ」

険しい表情のまま薬研を咎める堀川に、身体を起こした和泉守が不服そうにそれを見やる。
宗三は再びため息を吐いた。

「これでは小夜も可哀想ですね…」

きっと彼も夕餉を楽しみにしていたのでは、と宗三が思っていると足音が聞こえた。
開けられた障子戸からひょっこり顔を出したのは今剣と小夜だった。

「あれ、いまゆうげですか?」

今剣がそう尋ねると、堀川が「そうなんです」と返してやった。
聞いた今剣と小夜が顔を見合わせる。

「二人はもう食べたんですか?」
「はい! きょうもおいしかったですよ」

嬉しそうな今剣に、彼はどんな料理でも美味しく食べているのかと感心した。
質素だと文句を言っては恥ずかしいか、と堀川が自分を省みているうちに中に入ってきた今剣は膳に並べられた白米と漬物を見て首を傾げた。

「あれー、たまごやきがありません」
「玉子焼き?」

なんだそれは、と和泉守が身を乗り出す。
すると同じく中に入ってきた小夜が、宗三の横に座ってから口を開いた。

「玉子焼きじゃないよ。たしか…おむれつ。」
「おむれつ…?」

知らない名前だ、と宗三が困った様に小夜を見る。

「小夜、それは何ですか?」
「…玉子焼きの中に野菜と肉が入ってた。それに…なんかふわふわしてた」

ほんの少しばかり嬉しそうに話す小夜に、それがいかに美味しい物なのかが食べずともよくわかった。

「…薬研さん、謝ってきて。」
「わかった」

項垂れながらそう言った堀川に、薬研は大きく頷いてすぐに立ち上がった。
向かった厨で桜花がちゃんと人数分のオムレツを作っているのを見てほっとするのはもう少し後のことだった。






―――続

*主人公って何時代の人?って思いますよね。貴方と同じ時代です


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