▼ 第六章
桜花は桶に沢山の着物を入れ洗濯場に向かっていた。
昨日の出来事を気恥ずかしく思い、ちょっと顔を合わせづらいからと刀剣達にもそれぞれ内番を分担してもらい自分は一人になりたいと洗濯場を選んだ。
一人では危険だと堀川に咎められたが、そこに宗三が助け舟を出してくれたことには驚いた。
「一応女性ですからね。着物は自分で洗いたいのでしょう。一応、女性ですから」
果たして助け舟だったのかは少々疑問に思うところだが、取りあえず一人になることはできたので良としようと思う。
今剣と小夜は畑に向かい、それを宗三に任せておいた。
和泉守と堀川は道場で手合せをすると言って走って行ったのを見送っている。
堀川はそうでもないかもしれないが、十中八九和泉守は畑仕事が嫌だっただろう。
内番を振る際に嫌そうな顔をしていたのを思い出す。
本当に人と同じではないか、と桜花はくすくす笑いながら桶を置き、せっせと洗濯を始めた。
どのくらい時間が経っただろうか、日差しが幾分強くなってきたことに気付き桜花は立ち上がった。
ずっとしゃがみ込んでいたせいか腰が悲鳴を上げている。
「少し休憩しようかな」
物干し竿に掛けられた汚れの取れた洗濯物を一望し、満足げに頷いてから桜花は空になった桶を手に持った。
「この天気で畑当番は辛いだろうし、お茶とお菓子を…」
ぶつぶつと言いながら本丸へ戻ろうと歩き出せば、干された洗濯物の合間に薄汚れた布が落ちているのが見えた。
「洗濯忘れか…落としてしまったのね」
完璧に熟したつもりだったが残念だ。
そう思いながら膝を折り、そっとその薄汚れた布を掴んだ時だった。
「っ!!」
「え…?」
突然その手から布がすり抜けた、と思ったら靴とズボンの裾が見えた。
反射的に見上げると、布の合間からさらりとした金色の髪が揺れた。
見開かれたその澄んだ青い瞳が桜花の姿を捕えるが、それはすぐに布に覆い隠されてしまった。
「あの…」
「っ、構うな!」
手を伸ばしたが、それは彼に叩き払われてしまった。
薄汚れたその布を頭から被った彼は、そのまま足早にその場を去って行った。
追う事もできず、今度は青年の刀剣だったなと呑気に思っていればとたとたと前方から足音が聞こえてきた。
今剣と小夜が両手に籠を持って走ってきた。
「あるじさまー! みてください!」
「苺、見つけた…」
元気いっぱいの今剣の横では小夜がおずおずと籠を差し出してきた。
見ると瑞々しい赤く熟れた苺がたくさん入っている。
「こんなにたくさん…。ありがとう」
二人と目を合わせ、それから苺一粒を手に取ると指で軽く表面を拭った。
緑色の蔕を取るとそれを小夜の口に運んだ。
「小夜、食べてみて」
「えっ…」
「ほら」
戸惑っていた小夜だったが、やがて小さな口をほんの僅か開けた。
そこに桜花は苺を放り込んでやった。
「どう?」
「…甘い、と思う」
「それはよかった」
桜花は小夜の頭をそっと撫でてから、その隣で「ずるいですー!」と唇を尖らせる今剣にも同じように苺を口に入れてやった。
小夜がそんな桜花をじっと見つめていると、後ろから宗三がやってきて声をかけた。
「小夜」
「兄様…」
宗三は困ったように視線を彷徨わせる小夜と視線を合わせるように床に膝を付いた。
「どうかしましたか」
「……」
小夜は無言のまま、横で今剣と戯れる桜花を見た。
宗三も同じように一見してから再び小夜に向き合えば、小さな口がおそるおそる言葉を紡いだ。
「どうして、あの人は僕に笑いかけるの…?」
「…どうしてでしょうね」
「僕はどうしたらいい…?」
本当に困っている、というように僅かながら表情を曇らせた小夜に、宗三は優しく言葉をかけた。
「甘えてみなさい」
「え…?」
「主は、見返りなんて求めていませんから…だから、ただ甘えていればいいのです」
すっと立ち上がり、宗三は桜花と今剣に声をかけた。
「疲れました。休みませんか」
「ええ。この苺を使ってお菓子を作りましょう」
「わーい!! なにをつくるんですか?」
歩き出した桜花の後ろを付いて行く今剣を見送り、宗三は未だ足を止めたままの小夜の背を押して促した。
「行っておいでなさい」
「…うん」
籠を持つ手に力を入れ、小夜は二人を追って走って行った。
宗三は小さく息を吐くと、視界に広がる整った庭を眺めた。
昨日、桜花が横たわっていた近くに咲く桜の木が見えた。
「主も、案外不器用なところがあるようですからね…」
仕方ないが手伝ってやらなくては、と宗三は一人呟くと三人の後を追うようにゆっくりと歩き出した。
二人と一緒に厨に入ると、また毎日感じているほんの僅かな違和感を覚えた。
(やっぱり)
誰かが厨を出入りしているのは間違いないようだ。
だからと言って何かがなくなっていたり壊れていたりするわけではなく、ただ単に微妙に物の配置が違うのだ。
今剣と小夜はそれぞれ桶に水を張り、苺を洗おうとしている。
「お腹空かないのかな…」
ぼそりとそう口にすると、戸口から笑い声がした。
「確かにお腹は空くけど、それだけで死ぬことはないですからね。僕達は」
堀川が笑いながらこちらにやってきた。
「堀川、お疲れ様」
「はい。兼さん、喉が渇いたって」
「なら冷たいお茶でも淹れましょう」
早速準備に取り掛かるとその横に堀川が並んだ。
「主さんの力が随分とこの本丸に満ちてきてる。いるだけで気持ちが良いですよ」
「そうなの? よくわからないのだけど」
「だってみんなが姿を隠すのが大変になってきてるから」
わかりやすいですよね、と堀川は笑って言った。
そういえばと先程の洗濯場での出来事を思い出す。
「前の主の力が薄れてきているから、かな」
「私もさっき姿を見かけたわ」
「僕もです。まぁ遠巻きにだったんですけどね」
そう言って笑った堀川だったが、ふとその顔に影を落とした。
「みんな、いろいろと思うところがあるんです。だから…もう少し待ってあげてください」
「…ええ」
人が厄介な生き物なのは、桜花も良く知っている。
「人としての感情を得ているんだもの。一人で考えたいこともあるのでしょうね」
「はは、まるで今日の主さんのようにですか」
「堀川」
からかわないで、と桜花が咎めると堀川は大げさに肩を竦めて「怒られちゃった」とおどけつつ、きちんと桜花の淹れた茶を持って出て行った。
「もう…」
腰に手を当ててその姿を見送ってから、桜花は戸棚から必要な物を取り出していった。
手早く生地を作り、まだ温かいそれを程よい大きさに千切ってから二人の片栗粉で真っ白な手に一つずつ乗せた。
「少しずつ伸ばして、そうしたら苺の入った餡子を乗せて包むの」
「こうですか?」
「そう、ゆっくりね」
真剣な眼差しで生地を伸ばす今剣の横で、それをじっと見てから小夜もまた同じように生地を両手で伸ばし始めた。
そんな可愛らしい二人を見て微笑んで、桜花もまた生地を手にした。
その様子を横から興味深く覗くのは遅れてやってきた宗三だ。
「何を作っているのですか?」
「苺大福です。宗三もやりますか」
「……」
返事は無かったが嫌そうだったので桜花はそれ以上勧めなかった。
「今日のおやつにしましょう」
「…出陣はしなくてもいいのですか」
「宗三は質問ばかりですね」
そう返すと宗三は少しだけむ、とした表情になった。
可笑しくて声に出して笑い、それから質問に答えてやった。
「もちろん出陣も考えています。ただ、今はまだ五振り。出陣するなら六振り揃えてから」
「五振りでも大丈夫ですよ」
「あら、心配なら出陣させなければいいと言ったのは宗三ではないですか」
「……」
初めて彼に会ったときにそう言われたのは、桜花も良く覚えている。
一つ目の苺大福を皿に置き、桜花は隣の宗三を見る。
何か言いたげな左右で色の違う瞳と目が合った。
「…変な主ですね」
「ふふ、ありがとう」
「褒めていません」
そう返しつつも声音は優しげな宗三は、おもむろに桜花の手元にあった片栗粉の袋から粉を出し、手に塗してから生地を取った。
どうやら手伝ってくれるようだ。
「でもどうやって六振り揃えるというのです? 貴方がこちらに来てから姿を見せない刀剣もおりますでしょうに」
「やっぱりそうですか。宗三は他の刀剣達と面識は?」
二つ目の苺大福を皿に置くと、隣の短刀達が苦戦しているのが見えて笑みを零した。
そして宗三に目を向けると思いの外器用だったようで、細い指が綺麗な丸い大福を拵えていた。
「そうですね…強いて言うなれば、織田の刀と…この本丸の初期刀ぐらいでしょうか」
「織田の刀…?」
桜花が反復すれば、宗三は小さく頷いた。
「僕は、今川義元を討ち取った織田信長が戦利品として得た打刀。その織田信長が他に所有していた刀がここにいます。久しくその姿は見ておりませんので、どこにいるのかは僕にも分かりかねます。」
人との関わりが薄いとはいえ、桜花も人の世の出来事は把握しているつもりだ。
織田信長という人物のこともまた然りだ。
「ここにはあとどのくらい刀剣が残っているのかも知りません。…ですが、この本丸の初期刀ならば把握しているかもしれませんね」
「初期刀…」
「審神者と一番長く一緒にいましたから、きっと彼ならよく知っているのではないでしょうか」
宗三が二つ目の苺大福を皿に置いた時、桜花の小さな笑い声がして宗三はそちらに視線を向けた。
ここで笑う桜花に疑問を覚えつつ、その上品な仕草が綺麗だと心の片隅で思った。
「宗三は、本当に面倒見が良いですね。さすがは小夜の兄様だわ」
「…貴方は本当に理解ができません」
なぜその話になる、と宗三が付け加えようとしたとき桜花が先に口を開いた。
「私を助けてくれて、ありがとう」
思わぬ台詞に、宗三は唖然と桜花を見下ろした。
「織田の刀と初期刀を、探してみます。貴方が教えてくれてよかった」
そう言って小さくお辞儀をする桜花を前にして、我に返った宗三は慌てて両手に付いていた片栗粉を払った。
それから逃げる様にして厨を出て行った。
「兄様…?」
少しだけ歪な苺大福を持った小夜が、出て行った兄の背中を見て呟いた。
彼らしくも無くずんずんと廊下を歩き、やがて途中で足を止めると横の柱に背中を預けた。
こちらを見て微笑む桜花の顔が脳裏に焼き付いている。
相手を不快にさせることばかり口にするのは、自覚はあっても治そうなんて塵ほども思っていない。
だからこそ、そんな自分に対してあんなこと言われたのは初めてだった。
「はぁ…」
額に指先を置き、宗三はため息を吐いた。
そして、自分の両手が片栗粉だらけだということに気が付いて更に別の意味でもため息を吐くはめになった。
―――続
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