▼ 第五章






もやもやする気持ちを忘れようと報告書作成に集中していた桜花だったが、それは待ち人の帰還によって途切れた。

「ただいまもどりましたー!」

元気の良い今剣の声がし、桜花は顔を上げるとすぐさま立ち上がり出迎えようと戸口へ急いだ。
外に出れば先頭切って今剣が走ってきており、満面の笑みの彼を桜花は受け止めてやった。

「おかえりなさい、今剣」
「ただいま、あるじさま!」

少しばかり砂埃を被っている今剣の頭を撫でていると、その後ろから和泉守と堀川が歩いてきた。

「帰ったぜ」
「戻りました」
「おかえりなさい。和泉守、堀川」

どうやら怪我もなかったようで、行ったときと同じ姿のままの三振りを桜花は笑顔で出迎えた。
和泉守は桜花の前までやってくると、その頭にぽんと手を乗せた。
軽い衝撃に桜花が目を瞑ると、彼はその目前に何かを差し出した。

「そらよ、土産だ」
「土産?」

差し出されていたのは一振りの刀だった。

「これは…」
「短刀です。顕現すれば、僕達のように姿を現すはずです。僕達は着替えに行ってきますね」

そう言って堀川は桜花に張り付く今剣を促し、中へ向かう。
桜花が両手で短刀を受け取ると、和泉守も二人に続いて中に入って行った。
一度だけ手の中に収まる短刀を見つめ、それから桜花も本丸へと戻って行った。






刀掛けに置かれた一振りの短刀を前にして桜花は考え込んでいた。
もちろん顕現すべきかどうか、についてだ。
まだ見ぬ刀剣男士達もいる中で顕現させても良いのだろうか。
その考えの結論はまだ出ていない。

(でも…)

このままこうして飾っておくのは彼らに失礼だろう。
加えて和泉守達が危険な戦いの最中で見つけてきれくれたのだ。
それに、何より自分の力で顕現された付喪神を見てみたいと強く思った。

「…よし」

桜花はそっと短刀を両手に持つと、瞳を閉じて力を注ぎ込んだ。

やがて大きな光に包まれ、それが収まった頃にそっと目を開けた。
青い髪を高い位置で縛った小さな彼が目の前に立っていた。

「僕は小夜左文字。あなたは……誰かに復讐を望むのか……?」

初めての顕現。
自分の力で彼が形取られていくのが身体を通して伝わってきた。
何とも言えない喜びが胸を押し上げてくるようだった。

「小夜左文字。きてくれて、ありがとう…」

そう呟くように告げて、桜花はそっと彼の両手を取った。
小夜の目が大きく見開かれた。

「あなたは…僕がきて嬉しいの…?」
「ええ。とても」
「…誰かに復讐するために?」

こてんと首を傾げる彼に、桜花は困ったように笑った。
恐らく彼の所以だろうその言葉は、紛れもなく彼が刀剣であることを示唆していた。

「いいえ。貴方は私が初めて顕現した刀剣。私の力でその姿を見せてくれたことを嬉しく思っているの」
「…よくわからない」

小夜は小さくそう言って視線を落としてしまった。
そんな彼の手をしっかりと握りしめた。






小夜の手を引きながら桜花は今剣達がいる部屋へと向かっていた。
茜色に染まる周囲をきょろきょろと見回す小夜を微笑ましく見つめていると、彼のまとう袈裟に目が止まった。

(袈裟か…)

思えば、先程見かけた刀剣男士も袈裟をその身にまとっていた。

こんのすけから聞き及んでいるのは、作り手が同じだったり刀の所有者が同じだったりすることがあり、それぞれ面識があることもあるのだという。
以前茶菓子をお裾分けした彼らも共に同じ洋装姿だったと思い返す。

何か縁ある間柄かもしれない、と桜花が考えていると廊下の先にその彼が佇んでいるのを見つけたのには驚いた。
こちらを見る彼の瞳は細められ、そこから感情を読み取ることはできなかった。

「小夜…」

しかし彼が小さくそう呼んだのが聞こえ、桜花は思わず小夜を見下ろした。

「兄様…」

小夜の視線も彼に向けられており、その口から漏れた言葉に桜花は確信した。

「兄弟…、なのね」

その言葉に返答はなく、しかし小夜も兄であろう彼も口を開くわけでもなく互いに歩み寄るわけでもなく。
ただその場に立ち尽くしていた。
桜花もどうしていいのか考えあぐねていると、近くの障子戸が開きそこからひょっこりと堀川が顔を出した。

「あー、いたいた主さん! 遅かったから心配で迎えに行こうと思ってたんですよ」

場の空気を打ち壊してくれた堀川は、そう言いながら部屋から出て来た。
桜花の前で足を止めると横にいた小夜に気が付いてそちらに目を向ける。
その後すぐに背後にいる彼へと視線を向けると、大きな瞳をより大きく見開いた。

「あ…」

何かを覚ったような声音に桜花が口を開きかけたとき、廊下の先にいた彼がくるりとこちらに背を向けてしまった。
そして音も無く静かにその場を立ち去ってしまい、桜花が声をかけようと思ったときには既にその姿も気配もどこかに消え去っていた。

「あの方は…?」

桜花が堀川に尋ねると、彼は少しだけ視線を落としてから桜花に向き合った。

「部屋で話しましょうか」

堀川に誘われるままに、二人は室内へと入って行った。
座布団に腰を下ろし、桜花は隣に座らせた小夜を皆に紹介した。
今剣は普段と変わらないように見えたが、和泉守はいつになく真剣にその眼差しを小夜に向けていた。

少し間を置いて口を開いたのは堀川だった。

「さっきの、あの人は宗三左文字。左文字派の打刀で、小夜左文字の兄にあたる人なんです」

桜花が口を挟む事無く納得していれば隣の小夜が小さく震えたのがわかった。

「実は…この本丸にも小夜左文字はいたんです」
「え…?」

やはり顕現したのはまずかったか、と桜花が思っていると顔に出ていたのか堀川はすぐに訂正した。

「正確には主さんが来る前に“いた”んだよ、主さん。だからそんなに心配しないで」

そう言って堀川は苦笑いした。

「やっぱり兄弟だったからか、僕から見てもとても仲が良さそうだった。こんなところだけど、やっぱり兄弟がいるだけで違うんだなぁって羨ましくも思ったし」

まぁ僕には兼さんがいたけど、と堀川が茶化すように和泉守を見れば、彼は照れたように頭を掻いていた。
その隙に桜花は小夜の顔を盗み見たが、何の感情もないその表情に心が痛んだ。

「偉そうに説明してるけど、実は僕もあまり詳しくはなくて…ただ一つ言えるのは、小夜左文字は時間遡行軍との戦いの末折れてしまったということだけ」
「折れた…?」
「ああ。依代が折れれば消える。それがオレ達だ」

そう付け加えた和泉守に、桜花は肩を震わせる。

(折れる、なんて…)

戦場では仕方のないことなのだろうか、と目を伏せると和泉守が苛ついた様子で壁を睨み付けていた。

「無理な進軍をさせなきゃ、折れるなんてことはありえねぇよ」

即ち、以前のここの主は無理をさせて進軍させたということか。
背中が薄ら寒くなり、桜花は思わず手で腕を擦った。

「…でも、きっと僕はそれで救われたんだね…。」

ふと横からそんな言葉が聞こえ、その内容に驚き桜花は弾かれたように顔を上げた。
小夜がじっとこちらを見上げていた。

「どうして…?」

桜花が掠れた声でそう尋ねると、何とでもないかのように小夜は続けて言った。

「だって…誰も恨まなくていいんだから…。その方がいいに決まってる…」

その小さな口から発せられた言葉に、桜花は頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されたような気がした。
まるで自分は死んでよかったとでも言うかのようなその言葉は、桜花の心を強く締め付けた。

「っ」

ぐるぐると回る脳内を振り切るように勢いよく立ち上がると、部屋を飛び出した。

「主さん!?」

堀川の自分を呼ぶ声に振り返ることなく、桜花は真っ直ぐに伸びる廊下を目的もなく走った。






いつの間にか庭に出てしまったようだ。
薄暗い中、ぼんやりと視界に映る自分の足袋が土に汚れて酷い有様になっているのが見えた。

(気持ち悪い…)

まるで世界が回っているような目眩にも似た感覚に襲われ、桜花は大きな木の根元にずるずると座り込んだ。
ひらひらと視界に桜の花びら散っては落ち、今がこんな状態でなければ美しいとも思ったのだろうか。
重力に逆らうことなくゆっくりと地面に身体を横たえた。

(私は、何を舞い上がっていたんだろう…)

着物が汚れてしまうことなど構わずに、ただ闇に飲み込まれていく空をその瞳に映した。
ふと人よりも良い耳が小さな物音を拾った。

「―――何をしているのです」

冷たい、でもどこか優しげを含んだその声に桜花はゆっくりと瞬いた。
そこには空を背にした宗三が佇んでいた。
小夜と同じく何の感情の籠らない瞳で見下ろされ、やはり彼らは兄弟なのだと感じた。

「…小夜が、ここで折れたという“小夜左文字”を…救われたのだと言いました…」
「……」
「何も知らぬとはいえ、私は小夜を顕現させてしまった。…まさか、彼がそんなにも現世を恨んでいるとは思わなくて…」

悩んで考えて、そして彼が来てくれたときは本当に嬉しかった。
自らの力で顕現した小夜は、自分の刀剣だ。
それが何にも代えがたいほどに嬉しいと感じたのだ。
けれども、その時自分を見た小夜は何を思ったのだろうか。

「顕現された小夜は…また復讐に囚われるのだと、私を見て思ったのでしょう」

桜花は袖が落ちるのも気にせず、乱暴に腕で目を覆った。

「私は…嬉しかったのに…、小夜にとっては辛いことになるだなんて…!」

その事実がとてつもなく心を滅茶苦茶にするのだ。
込み上げる涙を腕で隠し、桜花は嗚咽が漏れそうになる唇を噛んだ。

「…貴方は、今まで見てきたどの人間よりも…奇妙です」

吹き抜ける風が涙に濡れた目尻を僅かに乾かした。

「以前の主はそんなこと、考えたこともないでしょうに。」

ざり、と音がして宗三が近付いてきたのがわかった。

「折れた小夜は『消えてよかった』と…そう思っていたのでしょうか」
「…違うと、言うのですか」
「僕にもわかりませんよ。…ただ、一つ言えることがあるとすれば」

そっと腕を退かして見えたのは、どこか遠くを見据える宗三の顔だった。

「僕は、小夜がいなくなって『よかった』なんて微塵も思っておりません」

その表情は大切なものを失った人の顔だった。
きっと、この本丸にいた小夜は復讐に囚われただけの小夜ではなかったのかもしれない。

桜花は深く息を吐き出すと、ゆっくりと起き上がった。

「貴方は、新たに小夜が来ても辛いとは思いませんか」
「小夜は小夜です。僕の弟に変わりはありません」

ならば、自分の大切な小夜にもそう教えることだってできるはず。
ぐいっと目元を拭っていると、その場に膝を付いた宗三と目が合った。

「女性がはしたない真似をするのはおよしなさい。ほら、袖も裾も乱れている」
「…はい」

口ではそう咎めつつも、桜花の背中の土を払ってやる宗三に桜花は小さく笑った。

「僕も一つ、聞いてもいいですか」

桜花の着物の土を叩きつつ、宗三は静かに口を開いた。

「貴方も…、天下人の象徴を侍らせたいのですか?」

その問いかけに、桜花は着物を直しながら答えた。

「いえ、結構です。ですが、小夜の兄様にはこちらにいていただかないと困ります」
「……何を言うかと思えば…」
「小夜の為です」

今度は真っ直ぐに宗三の色の違う瞳を見据えた時だった。

「主さん!」

堀川の声がしそちらを見れば、焦った表情でこちらに駆け寄ってくる彼の姿が目に入った。
その後ろには和泉守もいて、今剣も堀川の背を追うようにして駆けてきていた。

「あぁもう、こんなにして…!」
「あるじさま! あしもどろだらけです!!」

駆け付けた堀川に引っ張り上げられ立ち上がると、彼もまた宗三がした様に着物を叩いてくれた。

「あーあー、美人が台無しだぜ」

笑いながら柱に身体を預ける和泉守は、そう言いながら視線を横へと向ける。
そこには小夜がじっとこちらを見ている姿があった。

「小夜」

そっと名を呼べばびくり、と小さな身体が震えた。

「小夜。貴方の兄様と、皆と一緒に夕餉をいただきましょう」
「え…」
「それから、温泉に入って温まって柔らかい布団で休みましょう」

言っていることがわからない、とでも言うように戸惑う小夜に桜花は笑いかけた。

「一緒に、たくさん覚えていきましょう」

彼の人としての生が、復讐で終わる事のないように。
桜花は横に立つ宗三を見上げた。

「そうでしょう、宗三左文字」
「…主がそう言うのであれば」

素っ気なくため息交じりにそう答えた宗三に、桜花は笑みを深めた。

「夕餉もいいけど、主さん。まずは着替えようね」

面倒見の良い堀川にそう咎められ、桜花は苦笑いを浮かべ土まみれの着物を着替えることにした。





―――続

私が話を書くとどうしてこうもシリアスな展開になるのか…


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