▼ 第四章







本来の目的は歴史修正主義者、通称時間遡行軍を倒すこと。

その目的に全く到達する予感の無かった桜花だったが、昨夜加わった二人によってそれも現実になりつつあると思った。

「温かいご飯なんて久しぶりだね、兼さん。よく噛んで食べた方がいいよ」
「んぁ?」

今剣と二人だけだった朝食が一気に賑やかになった。
茶碗の飯を掻っ込む和泉守を堀川が笑ってそう咎める。

まるで兄弟のような、親子のような。
その場合どちらがどちらか、とくだらないことを思いながら桜花は湯飲みに茶を淹れて和泉守の前に置く。

「んぐ!!」
「ほら言わんこっちゃない」

やはり喉に詰まらせた和泉守が、桜花の入れた茶を一気に喉へと流し込む。
堀川は「主さんよくわかってる」と桜花を見て笑った。
桜花の隣にいる今剣も、その様子を見て少しだけ口元を緩める。
まだ少しばかり二人を警戒しているのか、桜花の着物の袖を掴んだままだった。

簡単に朝餉を終えると、こんのすけが姿を見せた。

「では、出陣をなさると?」
「ええ。彼らがそう望むので」

それはよかった、とこんのすけは言った。
出陣についてこんのすけからご教授してもらっている間、その桜花の背筋の伸びた背中を見て和泉守がまた茶を啜る。

「…あんな細い身体して、なんて目ぇしてやがんだか…」
「兼さん厭らしいよ」
「ばっ!! 何言ってやがる! そんなんじゃねぇ!!」

片付けをしながらそう口にした堀川に怒鳴り、和泉守は再び桜花を見る。

「あの目に宿る意思の強さには驚いたぜ。付いて行ってもいいなって思える」
「そうだね。惹かれるものがあるのは、僕も同じだよ」

盆に丁寧に食器を重ね、堀川もまた桜花に視線を送る。
だがすぐにまた視線を落とした。

「…本当なら、昨夜斬ってしまおうかとも思った」
「……」

その言葉には、和泉守も同意だった。

昨夜は確かに二人で囲んで、憂さ晴らしに斬り付けてやろうかとも思ったのは事実だった。
主に棄てられたことを恨んでいるのは確かにそうだが、それ以前にあの主は自分達を刀剣とすら扱ってはくれなかった。
関心なんてなかったし、姿を消したというのならそれでもよかった。
ただ、また同じようなことを繰り返されるのは嫌だった。

だから試してやろうと言う和泉守の言葉に堀川も素直に頷いたのだ。

「けど、あの瞳も…僕達を使ってくれるっていう言葉にも…、嘘偽りは感じなかった」

かちゃり、と重なった食器が音を立てた。

「きっと…この主ならば、僕達を―――…」

堀川は嬉しさの滲む声でそう口にした。






「部隊は六振り編成…」
「そうです。今はまだ三振りでも出陣は可能でしょうが…遡る歴史によっては、強敵が現れることもあります。少なくとも六振りいた方がいいでしょう」

こんのすけの助言に桜花は考える。
今剣と、和泉守と堀川。
その他に三振りとなれば、先日見た子どものような容姿の三振りしか思い当たらない。

「…まさか、ここにいた刀剣男士は六振りだけではなかったでしょう?」
「はい。現在顕現が確認されている刀剣の三分の一は揃っていたかと」
「……」

きっとそれなりの数だ。
一体どこに隠れているのか、と桜花はため息を吐きたくなる。
確かにこの本丸は広いが、さすがに隠れる場所となれば限られてくるのではないだろうか。

「末端とはいえ、刀剣男士は付喪神。きっと一角を隠すことくらいは可能でしょう」

意味深なこんのすけの発言に、桜花はちらっと後ろに視線を向けた。
せっせと働く堀川と寛ぐ和泉守が視界に入る。

「…和泉守。聞いてもいいでしょうか」
「なんだ?」
「貴方達は、私がここに来てからどこにいたのですか? 一応この本丸を一通り歩いたつもりだったのだけれど」

誰にも会わなかった、と続けると和泉守は一度視線を外しそれから身体を起こすと桜花と向き合った。
その口許が笑みを湛えていた。

「あんたの力が働いてるのは、この本丸を結界で守ってるってとこだけでそれ以外には何にも使われちゃいねぇ」

食器を片した堀川が戻ってきて、和泉守の横に座った。

「審神者ってのは、もっと他にも力を使うべき時がある。…顕現が主にだ、そうだろ?」

彼の視線がちらりとこんのすけに向く。

「だが、ここにいる刀剣はあいつが顕現した。つまり、オレ達はあんたの刀剣じゃねぇ、ってワケだ」
「成程…」
「だから、あんたの目を欺くことなんざ簡単だって話だ」

つまりは、彼らは以前の主から賜った彼ら自身の力で隠れているというのだろう。
それなら自分に見付けることは困難か、と残念に思った。

「でもぼくには、それができません」

すとんと桜花の横に今剣が座った。
聞こえた内容に桜花は首を傾げた。

「なぜですか? 今剣も以前の主が顕現したのでは…」
「そうです。でもいまはちがいます。…あるじさまの、つよいちからがぼくのなかにながれたから」

どういうことか、と桜花が黙って考え込んでいるとこんのすけが尾を揺らしながら答えた。

「主さま。それが先日お話しした『特別な力』によるものかと」
「特別な…」

今剣の傷を癒したという力、つまり桜花の持つ鬼の力ということなのか。

「加えて、主さまのお力による“手入れ”により主さまが顕現した状態とより近いものになったのでしょう」

その説明に漸く合点がいった、と桜花が思っていると今剣が桜花の手を握った。

「あるじさまは、とてもあたたかいです。ぼくはだいすきです」
「ふふ、ありがとう」

桜花が笑えば、今剣もまた嬉しそうに笑った。

「…僕も主さんに顕現されたかったな」

ぼそりと堀川がそう言えば、全員の視線がそちらに向いた。

「僕も、主さんの刀剣になりたい」

真っ直ぐに空色の瞳が桜花を見据える。
彼の意思が揺るぎないものだと確信し、桜花は静かに右手を堀川に差し出した。

「堀川」

静かに名を呼べば、堀川の大きな瞳が更に大きく見開かれた。

「今剣は私に触れたその時に、私の力が流れたのかもしれない。だから、堀川」

堀川が桜花の瞳とその白く細い手を交互に見る。
やがておずおずと手を差し出した。
ふ、とその指先が触れたとき堀川の表情が変わった。

「―――あたたかい」

戸惑いがちだった指先が、桜花の手を握った。
嬉しそうに笑った堀川がそっと横にいた和泉守を見る。

「兼さんも」
「あ!? お、女に触れってか!?」
「昨夜だって勝手に触ってたじゃない。…まさかそういう邪なこと考えてるの?」
「違っ!」

途端に真っ赤になってあたふたする和泉守に、桜花は笑いながら左手を彼に差し出した。

「ちょっと触れるだけで大丈夫ですよ」
「〜〜〜っ」

視線を横に向けたまま、和泉守はそっと手を出した。
その武骨な指先が桜花の指先と少しだけ触れたとき、和泉守も目を見張った。

「こりゃあ…」
「うん。すごい…何ていうか、清らかな感じ」

うっとりと堀川が目を閉じるその横で、和泉守は押し黙るとそっぽを向く様に顔を背けた。



「これで僕達は主さんから姿を隠すことはできなくなったっちゃったね」

先程よりも随分元気に明るくそう言った堀川に、桜花は苦笑いした。

(やっぱり故意に避けられていたのね…)

わかってはいたが面と向かって言われると少しだけ落ち込むような。
肩を落とす桜花の前で、和泉守は桜花に触れた手を握ったり開いたりしていた。
その動作をにこにこと笑顔で見守る堀川は、上機嫌この上ない。

「ぼくもぼくもー!」

大人しく様子を見ていた今剣だったが、どうやら羨ましくなったようで再び桜花にすり寄っていた。

「では、主さま。先程のお話しの続きですが」

気を取り直してこんのすけがそう話を振った。

「三振りで参るのでしたら、まずは函館がよろしいかと」
「函館…」
「主さまも初めての出陣。慣れるためには比較的敵の少ないこの地が望ましいでしょう」

こんのすけにそう勧められ、桜花は確認の意味も込めて三振りに視線を向ける。
まず目が合った和泉守が「函館か…」と呟いた。

「行きます」
「ぼくもです」

堀川ははっきりと答え、今剣もそれに続いた。
次いで和泉守も息を吐くとゆっくりと立ち上がった。

「準備してくる」

了承した旨の返事があり、桜花はゆっくりと頷いた。






三振りがそれぞれ戦装束に身を包み、桜花はそれを戸口から見送った。
刀装に加えてお守りも一人一人に手渡した。

「気を付けて」
「はい、行ってきます」
「いってきます! あるじさま、かえったらたくさんほめてください!!」

一生懸命手を振る今剣に手を振り返し、桜花はその姿が見えなくなるまでその場で見送っていた。
桜花の背後に控えていた九尾は、その姿を見送ると小さくため息を吐いた。

「良いのですか、三振りとも出陣させてしまって…」

その言葉に反応したのは桜花の足元にいたこんのすけだった。

「はっ、確かにこれでは手元に一振りも残りません…!」

しまった、というように焦るこんのすけに桜花は笑いかけた。

「九尾がいるから大丈夫でしょう。さて、掃除の続きでも」
「主さま。審神者には書類作成など他にも山のように仕事がございます。そちらもご説明しましょう」

まずは審神者の部屋に、と桜花を促すこんのすけに桜花は困ったような視線を向けた。

「あの部屋でなくてもいいかしら」
「と、おっしゃいますと?」
「以前の主がいた部屋だから、少し憚られるというか…。それに確かに私はもうここの主だけれど…私は、ここにいる刀剣達にきちんと主として認められたい。あの部屋に入るのは、それからにしたくて」

駄目でしょうか、と続けるとこんのすけは否と答えた。

「主さまのお心のままに。」
「ありがとう」






必要な道具を別室に揃えてくれたこんのすけに感謝し、桜花は黙々と書類作成に勤しんでいた。
特殊な本丸だから、としなくてはいけない報告は書いて字の如く山のようにあり、思わずため息が漏れてしまったのは仕方がないだろう。
開け放った障子戸の先の縁側でのんびりしている九尾を羨ましく思いつつ、桜花は手元に視線を落とした。



どのくらい時間が経っただろうか。
手が痺れてきたような気がして、桜花は一旦手を止めるとぐっと伸びをした。
身体がきしきしと音を立てている気がする。

「お茶をお持ちしましょう」

気を利かせた九尾がそう言って立ち上がると返事を待たずに姿を消した。
お願いね、と声をかけ桜花は正していた足を崩した。
心地良い風が部屋に入ってきて、下ろしていた髪をふわりと揺らす。
誘われるように徐に立ち上がると縁側に出た。

「…今剣達は、大丈夫かしら…」

心配からぽつりとそう口に出してしまった時だった。

「でしたら出陣などさせなければよかったでしょう」

突然横から声がし、桜花は飛び上がる思いでそちらを見た。
見知らぬ青年が佇んでおり、その姿から刀剣男士だというのはすぐにわかった。
桜花が答えあぐねていると彼は静々と桜花の前を通り抜けて行った。

「…え?」

思わず間抜けたような声が漏れ、慌てて口を閉ざす。
すると彼は足を止めて顔だけ振り返った。
彼の桃色の髪が揺れた。

「…僕はここを通りたかっただけですよ」

それだけを残し、彼はまた音もなく歩いて行く。
何と返せばよかったのか、正直どうしていいかわからなかった桜花が呆然と立ち尽くしていると、やがて九尾が戻ってきた。

「紅華様? どうされましたか」
「……いえ、何も」

確かに何もなかったといえば、そうだろう。
誰かに言い訳するかのように桜花は内心そう呟いた。





―――続

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