▼ 第三章







今剣とこんのすけと、時々九尾と。
本丸の掃除を少しずつ始めていくと、やがてそれに感化されたように庭も少しずつ美しい姿になった。
手を付けていないのに、と驚いていた桜花はこんのすけから「主さまのお力でしょう」と結局よくわからない言葉をもらった。
しかし、これだけあちこち動いているつもりでもあれ以来刀剣男士を見かけることはなかった。

「これは、あからさまに避けられているということね…」

縁側に座りその膝に頭を乗せる今剣を撫でながら、桜花は蕾を付けた花を眺めてそう呟いた。

少し休まれては、とこんのすけの提案でお茶と茶菓子を用意し寛いでいたら戻った今剣がその膝に頭を乗せてきた。
猫のように丸まりながら寝転がって庭を見ている今剣は少しばかり疲れているようだった。

(無理させてしまっている…)

彼しか頼れないから、と少し甘えてしまったか。
だとすれば、少しでも手を増やすべきかとも思う。

(でも鍛刀は…今はしたくない…)

自分が顕現した刀剣がいれば、今この本丸にいる彼らの居場所を奪ってしまうようで憚られる。
さてどうしたものか、と縁側に置いた湯飲みを眺めたとき遠くで人の気配を感じた。
顔を上げれば庭の片隅に、これまた子どものような出で立ちの刀剣男士が立っていた。
桜花と目が合うと綺麗に切り揃えられた髪が小さく動いたが、その場から離れようとはしなかった。

(様子を窺っているのかしら)

姿を見せてくれるとは、と少しばかり喜んでいると顔に出ていたのか、彼は困った様に視線を彷徨わせた。
随分と可愛らしい仕草に口元が緩むと、彼の更に後ろからまた一人姿を見せた。
黒髪に涼しい目元が印象的な彼は、先にいた彼よりも少し大人びて見える。
二人が何か話しているのが遠目でもわかったが、流石に内容までは聞こえなかった。

「さて…」

せっかく姿が見えたのだから、少しでもお近付きになりたい。
桜花は今剣を撫でる手を止め顎に手を当てた。

呼んでみようにも名前は知らないし、今大きな声を出せばどこかしらにいるであろう九尾がすっ飛んでくるはず。
そうすればあの妖狐のことだ、彼らに向かっていくことは安易に想像がつく。
自分の膝には今剣の頭が乗っており、甘えている彼を起き上がらせて行ったとして成果が得られなければ意味はない。

ふと湯飲みの横に置いた茶菓子に目が行く。
彼ら付喪神には大変失礼なことを思いついてしまうが、今剣を見ている限りではもしや彼らも人の子と同じなのでは。
物は試しだ、と桜花は再び視線を二人に向けた。
既に彼ら二人はこちらを見ていたようで、また目が合った。
一応周囲に視線を巡らせてから、桜花はそっと彼らに向かって手招きをしてみれば二人のうちの一人、茶色い髪を切り揃えた彼がひくりと反応した。

(可愛い…)

そう思っている時点で大分失礼か、と思いながらもう一度微笑みながら手招きする。
反応を見せた彼がちらりと横にいる彼を見る。
何かを言われたようで、言葉を返しているのが見てわかった。
引き止められてしまったか、と桜花が残念に思っているとじゃり、と石を踏む音が聞こえた。
見ると茶色い髪の彼がそっとこちらに歩んでこようとしていた。
思わず驚いて身体を動かしてしまい、膝にいた今剣が不思議そうにこちらを見上げた。

「あるじさま?」
「っああ、ごめんなさい今剣」

今剣に笑いかけ、その背を撫でてやる。
ふにゃりと笑った今剣が再び膝に頭を戻そうとしたが、こちらにやってくる彼に気が付いたようで跳ね上がるように起き上がった。
そのまま今剣は桜花の横に座った。
可愛らしい姿に思わずその頭を撫でてしまうと、今剣は少しだけ頬を緩ませた。

やってきた彼だったが、やはり警戒しているのか会話するには些か遠い位置で足を止めた。
表情もぎこちなく固い彼に、桜花は微笑みかけた。

「こんにちは」
「っこんにちは…」

おっかなびっくり返ってきた言葉に笑みが深まる。
良く見れば今剣と違い洋服を身に付けている。
ひらり、と彼の肩に掛かるケープが揺れた。

「初めまして。この本丸の審神者になった、紅華と申します」
「っ僕、は…」
「無理に名乗らずとも良いですよ。貴方が、私を主と思ったその時に教えて下さい」

姿勢を真っ直ぐに保つ彼の性格を予想して先にそう伝える。
彼のきりっとした目尻が少しだけ赤くなった。
桜花はおもむろに縁側に置いた盆の上にある皿を持ち上げると、それを彼に差し出した。

「良いお天気ですね。…お裾分けです」

漆塗りの皿の上には品の良い、色とりどりの茶菓子が幾つか乗っている。

「あちらにいる彼と、一緒にどうぞ」

こちらをじっと見つめたままの黒髪の彼を示し、桜花は再び目の前の彼に茶菓子を勧めた。
彼は驚いたように桜花と茶菓子を交互に見つめている。

「ですが…」

小さく拒否する言葉が聞こえたが、桜花は退かなかった。

「美味しいものは、皆に分けたくなるものですよ」
「……」
「薄紅色の、この菓子が私のお勧めです」

そう付け加えてから、そっと立ち上がる。
ゆっくりと彼との距離を縮めていくと、彼はこちらを見上げていた。

「さぁ、落とさないように気を付けて」

そっと屈んで彼の前に皿を差し出した。
少し間を置いて、目の前の彼はおそるおそる両手を出した。
その小さな手にそっと皿を乗せてやった。
ふわりと香る甘い匂いに気付いたのか、目の前の彼が小さく笑った。
そして桜花を真っ直ぐ見上げると、皿を落とさないようにゆっくりと頭を下げた。

「ありがとうございます」

はっきりとそう言った彼は、静かに来た道を引き返した。
その後ろ姿を見送り、桜花はそっと縁側に戻る。

「あるじさま、うれしそうですね」
「ふふ」

それから少しの間は笑みを止めることができなかった。






両手に皿を持った彼、前田藤四郎が戻ってくると黒髪の彼、薬研藤四郎は呆れたようにため息を吐いた。

「前田。」
「すみません、薬研兄さん。…でも、少しだけ話ができました」

あの人がこの本丸に来たその日。
知らない気配を感じ、その姿を見に行った。

新しい審神者。
その姿を目にしたとき、そこで漸く自分達が棄てられたのだと覚った。
末永くお仕えします、と主に言ったあの言葉を嘘にはしたくなくて彼女を認めることはできないと思っていた。
けれど、刀に貫かれたあの細い身体を見たときはやはり動揺した。
棄てた主の代わりに来てくれたあの人が、死んでしまうのではないかと。
しかしその瞬間に見た姿には更に衝撃を受けた。

(とても、綺麗だと思った)

周囲に走る強い力と、白銀に輝く髪と、黄金色の瞳。
すべてが今までに見た何よりも綺麗なものだった。
そんな綺麗な人がこの廃れた本丸を守ってくれた。
その後すぐに今剣が彼女を助けに走って、今では「主」と呼んで慕っていて。
そして彼女に撫でられているのが羨ましいと思った。

「僕達を棄てた主と、あの方と…僕が『主君』と呼べるのはどちらなのか、迷っています」

けれども、先程自分に向けられた温かい神気にも似た力と、優しい微笑みが頭から離れない。

「だから…あの方のことを、もっと知りたいと思いました」

心配そうにこちらを見る薬研に、前田ははっきりとそう告げた。
薬研はそれ以上何も言わず、ただ小さく笑っていた。
その手が、彼女がしているように頭を撫でてくれて嬉しくなった。

「皆でお菓子をいただきましょう。…この薄紅色のは僕のですよ」

甘い菓子の香りがより一層強く感じた。






一日の疲れを癒してくれるのはやはりこの時間だ。

「掛け流しなんて贅沢…」

浴室があるのは知っていたが、まさか温泉だとは知らなかった。
掃除も楽だと思ったのは、恐らく刀剣の誰かが普段からしているのだろう。
すっかり夜も更け星が輝く空を見ながら熱い湯船に浸かり、桜花はほうと息を吐いた。
掃除も片付けもがんばったし、今日は良く眠れそうだ。
しかしそう思ったのも束の間のこと。

上せる前に手早く上がり、部屋までの道のりを静かに歩いていれば前方から何かの気配がした。
ぴたり、と足を止めれば背後からも気配がした。
ここは一本の廊下で、左右は壁だった。

(囲まれた…)

一緒に行くと言っていた九尾と今剣は、今頃二人気まずく部屋で待っていることだろう。
拒否した少し前の自分を恨めしく思いつつ、桜花は着物の併せをきつく締め直す。
持っていた着替えの包みを抱え直し、桜花は壁を背にして左右を確認する。
気配が徐々に近付いてくるのがわかった。

「―――何か御用でしょうか」

一番近い気配のする、背後だった方の廊下に向かって桜花は声をかけた。
すると想像を反して明るい声が聞こえた。

「こんな所に一人たぁ、随分と肝の据わった女じゃねぇか」

薄暗い廊下とはいえ、廊下の先から差す月明かりでその姿はぼんやりと見えた。
見えたのは赤い着物と、腰に差した刀の柄に掛かる腕。
掛かっているのが左手だから抜くつもりではないと判断し、桜花はそっと彼に向き合った。

すっと音もなくこちらに歩み寄った彼は不敵な笑みをその口元に浮かべていた。
今まで出会った刀剣男士達が一見子どものような出で立ちだった為、正直ここは皆が皆ああいう姿をしているのかと思いそうになっていたが、まさかこのような青年もいるとは。
そんなことを考えていると、目の前の彼はこれまたずいっと近寄ってきて桜花は少しばかり身を引いた。

「新しい主殿。あんたに頼みがある」
「頼み…?」

桜花が小さく返せば、彼の右手がそっと顎にかかった。
ひやりとした人差し指でくいっと引かれ、彼の空色の瞳と目が合った。

「オレを、出陣させてくれねぇか」

思わぬ内容に桜花が言葉を失っていると、後ろから別の声が聞こえた。

「駄目だよ兼さん。女性にそんな乱暴しちゃ」
「あー? 乱暴になんかしてねぇだろう」

彼は唇を尖らせて不服そうに桜花の後ろに視線をやった。
倣って桜花も振り向けば、自分と同じくらいの身長の青年がそこに立っていた。
同じく空色の瞳が申し訳なさそうにこちらを見た。

「兼さんが突然失礼しました」

そう言って頭を下げた後、彼は続けた。

「初めまして主さん。僕は堀川国広。よろしく」

すると今度は目の前の彼がぐっと背筋を伸ばした。

「オレは和泉守兼定。かっこ良くて強い! 最近流行りの―――」
「先日怪我を負ったと聞きました。その後は大丈夫ですか?」

心配そうに桜花に近寄る堀川が、和泉守の言葉を遮ってそう声をかけてきた。
困ったように視線を彷徨わせたが、すぐにそれを堀川に向けた。

「ありがとう。大丈夫です」
「くーにーひーろー! てめぇオレが名乗ってるってぇのに遮りやがって…!!」

聞いてんのか、と食ってかかる和泉守を無視するように堀川は続けた。

「僕達は最近ずっと、主さんのことを見てきました。ご存知でしたよね」
「…ええ」

向けられていた視線のことならとっくに気が付いていた。
その中には彼らも含まれていたのだろう。

「あなたが、僕の主に相応しいか…見ていたんです」
「……」
「以前の主…あの人は僕達に無頓着な人でしたから、こうして目を合わせることもほとんどありませんでした」

ふと桜花から視線を外した堀川の目には、前の主が映っているのだろうか。

「僕達の存在する意味とは、と…考えてしまうくらい」
「オレは戦場に行きてぇ。けどそれは審神者であるあんたにしかできねぇことだ」

諦めたのか、気を取り直した和泉守が割って入ってきた。

「前の主がどうだとか、今の主がどうだとか…正直どうでもいい。けど、あんたがオレを使ってくれるってんなら、そう呼んでやる」
「それが、僕達の存在する意味だから」

彼らが戦場にその身を置きたがっているのが伝わってきた。
そしてそれができるのは審神者である自分だけだから、彼らはこうして自分を「主」と呼ぶのだ。

「…わかりました」

桜花は二人に視線を向け、はっきりとそう口にした。

「私を主と呼ぶというのなら…和泉守、堀川。貴方達を上手く使ってみせましょう。この私が」

口元に笑みを浮かべ、強い眼差しを彼らに送る。

「いいぜ。そういう顔は好きだ」

和泉守が嬉しそうに笑った。






―――続

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