11


ねえ、どう思う?

主の珍しく騒々しいお声とテレンスの慌しい足音に気を揉んでいた私には幾分か、処理しきれない容量を持った話であるように思われた。しかしながらディオ様のご友人であるなまえが、何時ものようにへにゃりと笑って居る様子はどう見ても表面上強がっているだけだと云うことは至極明白な事実であって、私に意見を求められたと云うことはそれを聞くことで何かしら精神的に安定すると彼女は考えて居るのだろう。飄々と私の自室を訪ねて来た彼女の手首には恐らくディオ様のものであると思われる指の痕が赤く残留しており、首筋には同じく赤い模様が転々と存在していたから若しくは、ただ単にディオ様の寝室に居座りたくないと云う理由だけなのかも知れない、と思った。私は答えた。

「私には総ては分かり兼ねるが……強力なスタンドだと思う。テレンスのスタンドを一時的に奪ってしまったことについても、なまえが気に病むことではない、スタンドとの邂逅なんてそんなものだ」
「……でも、やっぱり悪いことしちゃったんだよ、テレンスったら、すっかり動転しちゃって……私が、そうさせたんだけど」

スタンド、と云うものは即ち俗に言う超能力であり、能力に差はあれどそれを持つものはごく限られた者のみである。持たぬ者には見えない能力を隠し続けるのは一見簡単なようで難しく、二次的に力を垣間見た持たぬ者はスタンド使いを時に崇め、時に哀れみ、そして恐怖する。窮鼠猫を噛むとはよく言ったもので、出る杭は打たれる原理と同じく我々スタンド使いは持たぬ者によって虐げられることも珍しくない。しかし、否それ故にスタンド使いにとってのスタンドとは自らの一部であり分かち難い自我の欠片であり、自らの能力を受け入れられないと云うことは即ち自分自身を否定することに帰結する。心が壊れるか自決するか、なまえのそんな結末は見たくはないと思った。

「気にするな。奴も良く弁えているさ。私が初めてスタンドを発動させた時は__確か四、五人の男にナイフを突きつけられていたように思うが__気が付いた時には全員の上半身を呑み込んでしまった後だった。私は別に後悔はして居ないぞ」
「……ふふ、そっか」

優しいねヴァニラ、と、なまえが初めて悲しそうな面持ちを見せた。ねえ、本当に欲しいものじゃないと奪えない、ってどういうことだと思う?と。
私は些か考え込んで、首を捻らざるを得なかった。本当に欲しいものとは即ち彼女にとって有益なものであるということなのか、それとも無益、とんで不利益なものであっても真に願えば手に入れることができるということなのか。

「ねえヴァニラ、私ね、最近分からないの」
「……なにが?」
「……自分が欲しいのはなんなのか、分からなくなっちゃったの、勿論日本には帰りたいし向こうの人たちに会いたいのは間違ってないんだけどね、私、ここでの生活も」
「……分かってる」
「ね、ヴァニラ、私、ディオが」

絡まった毛糸玉を躍起になって解いているかのようななまえに私が一歩近付くと、なまえは、俄かにわっと泣き出してしまった。唖々、この娘には、遥か彼方の極東にも生活が在るのだ、想い人が居るのだ。今までさして意識したことはなかったが、私は漠然と、なまえは当然"此方側"の者であるように思っていた、が、そうではないのだ。否それどころか、元元根元は"彼方側"に居るべき者なのだ。敵としてこの館に足を踏み入れることになっていたかも知れない、本来ならば私となまえは殺し合っていたのかも知れないのだ。其れが今やなまえはこの館の主をはじめテレンスや私を慈しみ、主は勿論今回スタンドを奪われたテレンスも私も、なまえを尊んでいる。今私が摩ってやっている小さな背中を、また違う未来では私は消し飛ばしていたかも知れないのに。その次元の私はこの私がなまえを慈しむ感情を知らず、ただディオ様の為だけに邪魔な女を消し去るのだ。若しくははたまた違う未来でなまえは私に対する親愛の情を持たずして、私の命をも奪っていたかもしれない。
恐しい、恐しい。今を仕組んだのは神か悪魔か、何にせよ感謝する他在るまい。運命の悪戯で今ここになまえが居るという事実は偶然かそれとも必然か計り知る術などないが、なまえはここに居て、そしてだからこそ悲しんでいるのだ。熟れた林檎が樹からぽとりと落ちるように、なまえの心が完全に此方に向くことをどこかで望む私は、果たしてどれほど罪深いのだろうか。