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暫くの間冷たささえ感じる静寂が私たちの間を支配した、先程までの頭痛は何処へやら、私の頭の中は寧ろ普段よりも爽やかな状態に落ち着いていた。私に見えるのは、驚いた様子で目を見張っているディオと、なぜか苦しそうな表情で膝をついてしまったテレンスとその腕を握り締めたままの私の左腕、妙に軽くなった片腕だった。もう空気を吸えば普段通りに酸素を取り込める、それでも未だ混乱したままの頭で、もしかしたらテレンスは私が腕を握り締めたから今こうして苦しそうな様子をしているんじゃないかとふと思って慌てて手を離した。しかしながらテレンスは苦しそうに眉を潜めたまま、どこか信じられないような面持ちで顔を上げた。そうだ、いま私が腕を握り締めた瞬間に、このひとのスタンドが……

「……なまえ、今なにをした」

なにをした、って聞かれても事実なにもしてないんだから答えようがない、首を横に振ることしかできない私をディオは再びベッドに貼り付けて、テレンスを一瞥する。

「テレンス、何が起こったのだ」
「ディ、ディオ様……有り得ません、こんなことは……こんなことが」
「……テレンス」
「何かが……喋りました、私に……一言囁いて……消えてしまった、私の……私のスタンドが、出すことができない、そんな、」

なにい、とディオが喉の奥で絞り出す声が聞こえる、ちらりと私を見遣ったあと、前後なく取り乱してしまっているテレンスの目の前にディオのスタンドが姿を表した。彼と同じように逞しい腕を持ったそれがテレンスの顔めがけて拳を振り下ろす、私が声をあげるより前にテレンスの顔面と僅かな距離をあけてピタリと止まった。ところがどうしたことかテレンスはなんの反応も示さずに片手で口元を覆って譫言を繰り返すだけだった、なんだこれは、どういうことだ、まさか、まさか。

「私の頭のなかで声が……ディオ様、声がしたのです……一言、寄越せ、と……」
「テレンス、お前まさか……見えていないのか」

憔悴しきったいまのテレンスにはディオのその言葉さえも聞こえていないようだった、代わりにそれは私の耳に決定的な打撃を与えた。スタンド使いだったはずの、そうだ、数秒前までスタンドを発現させていたはずのテレンスには、ディオのスタンドが見えていないのだ、有り得ないことだ、彼自身言っていたように。この冷えた空気が漂う寝室には私とディオとテレンスしかいないのだから、テレンス以外、ディオか私のなんらかの力によって彼のスタンドは消えたんだと考えるのが妥当だろう、一時的か、永久的かは分からないけれど。ああ、そうだ、さっきディオは私に"何をしたのか"と聞かなかったか?つまりは彼がこの事態に関する原因ではないということ?私が原因だということか?まさか、そんな、よしんば私にスタンドを使いこなすだけの素質があったのだとしても、この状況を見る限り他人のスタンドを消す能力、ということになる。そんな馬鹿な話があるわけがないんだ、後だしじゃんけんのようなものだ……自分以外にスタンド使いがいることを大前提とした能力だ、そんなことは有り得ないはずだ。

「……なまえ」
「……なに」
「どう考えてもお前の能力だ、自覚はないようだが」
「……」

ちがう、とも言い切れない。ディオは漸く私を解放して、混乱するテレンスを他所目に一歩下がった。何時に無く真面目な顔の頬に片手を添えて考え込んでいる様子だった。

「……お前のスタンドは見えなかった……見えたのはお前がテレンスの腕を掴んだことくらいか。触って発動するのか……」
「ちょっと、待ってよ……私、してない。なにも」
「……危機が迫った時無意識にスタンドを発動させるのは珍しいことではない。もしもそれがスタンド使いの自覚がない者であっても」
「……」
「兎に角、だ。テレンスのスタンドの行方を確かめる必要がある。なまえ、奴のスタンドは消失したのか?それともお前が奪い取っただけなのか?自覚がないところを見るとお前のスタンドは自立型だ。ただ単に制御出来ていないだけかも知れんが……お前のスタンドだ、聞いてみろ」
「聞いてみろ、って……」

そんなこと言われたって、できないものはできない。まず自立型ってなんなんだ、私の意思とは関係なく動くってことか?そりゃあ、あの優しいテレンスをあんな風にしたいだなんて望んでなかった。さっきはただ、ディオの詰問から逃れたいと、承太郎を守りたいと。……。
ああ、もう、やるしかないのか。テレンスをいつものように戻してあげたい。彼を苦しめたくないんだ……もしもこれが私のスタンドが原因だったとしたなら、スタンドとやら、私に分からないお前のことを教えろ、いますぐに。




『一体何が分からないというのか』

無理か、と思って目を伏せた瞬間、頭のなかに酷く無機質な声が木霊した、確かに女の声なのだけれどなんだか酷く、機械然としている。驚いてディオを見上げると彼も驚いた顔をしていたのでどうやら彼にも聞こえているらしい。続けろ、と言うディオに従う。

「……お前は私の、スタンドなのか」
『そう』
「…………」
『もう一度問う。一体何が分からないというのか。私はみょうじなまえで、みょうじなまえは私であるのに』
「テレンスのスタンドはどうなったの」
『奴のスタンドは私が奪った。みょうじなまえが望んだこと』
「……それは返せるの」
『返すことはできる。みょうじなまえが望むのなら』

じゃあいますぐに返せ、と心の中で悪態をつくと、ベッドの脇で震えていたテレンスが再び咳き込んだ。弱々しく立ち上がると、彼は夢でも見ていたかのような顔つきで私を見た。少しの不安と、少しの畏怖で。ごめんなさいもうしないからと言うと、彼はいえ、と小さく呟いただけだった、多分まだ、状況が掴めていないんだろう。ねえ、と私の無愛想なスタンドとやらに話しかける。

「お前はなにができるの」
『みょうじなまえが欲したものを、同時にいくつでも奪い取ることができる。しかしそれはその物体若しくは生物に直に触れなければならない。今回のように奪い取ったものがスタンド能力だった場合、その能力を使用することはできない。奪い取ったものを維持し続けるには意識が覚醒していなければならない。なにかを奪った状態で眠ったり失神したり死亡した場合は、奪い取ったものは消滅する。そして何より、みょうじなまえが真に望まなければ奪い取れない』