08


アテが外れた。というか、予想が外れた。思いのほかディオとホルホースは長話をしているみたいだ。風が通るくらいに開けられた窓の外が白んできたので、それを閉めてブラインドを下ろしてからカーテンを引いておく。入ってきたディオが日光にダメージを喰らうのはちょっと見たくない。さっきの様子だとディオが帰ってきたらなんか怒られるんだろうなあ……。いやだな。まあ、それだけか。あんまり遅いからちょっと廊下を覗こうと扉までそろそろと歩いて取っ手に掌をかけたとき、向こう側から強い力で扉が押し開けられた。かたい板が額に当たってごつんと音を立てる。い、いたい。一歩下がって見上げると案の定そこにはディオがいて、今まで見たこと無いくらい眉間に皺を寄せてわたしを見下ろしていた。彼に始めて会ったとき感じた恐怖とは質の違うそれが背中を走る、思わず、もう一歩下がる。そんなに怒るほど私、悪いことしたか?

「……待っていろと言っただろう、座れ」

私が恐る恐る安楽椅子に腰を下ろすのを見るなり、そこじゃない、とベッドを指差す、そんなことにまで苛つかなくたって移動するのに、それすらもディオはまどろっこしいとでも言うようにいつもより乱暴に私を抱え上げて半ば投げ出すようにそこに下ろした。なんなんだよ、あなた、なんでそんなに冷たい目で見るんだよ。そんな目は好きじゃない。

「……」
「良い機会だ、と思うべきか?今一度はっきりとさせておいた方が良いようだな」
「なんの……」

なんのこと、と言おうとした私の顎を片手で掴んでディオが私を背後に沈める、ぐ、と息が詰まる。あのフェミニストが腰に手を回したくらいでこんなに怒ることないじゃないかと私の眉根も顰められた。思春期の子供じゃあるまいし、なにをこんな下らないことで、

「……なあ、なまえ、いつでも、どうにでも出来るんだ」
「……なにを言ってるのか分からない、言いたいことがあるなら簡潔に言ってよ」
「おまえのことなどどうにでも出来るんだと言っている。わたしを苛つかせるようならな」
「……だから、なにに、苛ついたのか分からない。ホルホースのことなら、」

私には悪気なんてこれっぽっちも無かったんだ、謝るなんて不本意だったけれど弁解しようとすると、喉の奥から絞り出すようにディオが黙れ、と呟いて両膝をベッドの上に乗せた。柔らかいそこが彼の体重で沈む。私の膝を割って彼の大きな身体が入り込んでくる、押し返そうにも彼の腹筋は強靭すぎて諦めざるを得なかった。

「あの男のことなどどうでも良い。わたしのものである以上忘れるな、わたしの機嫌を損ねたらどうなるのか」

首筋をなぞる鋭い牙の感触に原始的な恐怖が湧き上がる。しかしながら次の瞬間に服の内側に滑り込んできた冷たい掌にそれは直ぐさま塗り替えられた、確実に肌を暴いていく普段は見せない熱を孕んだ指に一瞬思考が凍った、

「い、いやだ、止め、」
「止めろと言われて止めると思うか?このDIOが」

顎に据えられた手を解こうと手をかけると却ってその力は強まって、ほとんど同時に閉じた唇にぬるりと何かが触れた、それがなんなのか頭で理解するよりもまえに目の前にあったディオの頬を自由なほうの掌で殴っていた。
ああ、平手打ちしてしまった、と気付いたときにはディオの更に冷たい瞳が私を見下ろしていた。この体勢にしても状況にしても、非常に悪い展開に陥りつつあった。どうしてこんなことになってしまってるんだ、こんな、

「ふん……良い度胸だな、なまえ。
……父親にされたときも同じように殴ったのか?それとも"神"の欲望は素直に受け入れたのか?」



好き勝手に蹂躙するような下品な彼の瞳に、私の時間が、止まった。
ながいことながいこと、それでもディオの顔がまったく見えなくなるまで時間はかからなかった、重力に従って生暖かい液体がベッドに向かって流れている。こころの奥底にしまいこんで二度と出すつもりはなかった呪縛が、再び恐るべき強さと早さで私に絡みついて行くのがわかった、喉がしゃくりあげて息ができなくなる、いくら口から鼻から空気を取り入れても、生きるために必要なはずのそれは明らかな悪意を持ってわたしを窒息させつつあった。

「やはり図星か。なまえ、答えてみせろ、おまえの"神"とやらはどんな風に触った?それにどんな風に応えたのだ?」

見えない視界の中でディオが私の涙を舌で舐めとるのが分かった。怒りのままに私を壊さんとする彼に私は、酸欠でとうとう痺れ始めた指先で縋り付くことしかできずにいた。

「その可愛らしい唇でおまえはなにをしてきたのだ、え?
父親が使い物にならなくなったあとは例の小僧にでも股を広げたのか、ジョウタロウとかいう餓鬼に?」

もうやめて、おねがいだから、もうそれ以上私を壊さないで、こんな、こんな……

「……っディ、……う……ッ」
「ああ、そうだ、おまえに聞きたいことがある。大切なことだ、おまえにとっては、の話だが。

ある一族を根絶やしにする必要に迫られているのだ、ジョースターという……。その末の者が空条承太郎、とかいう小僧なんだがな、もしやとは思うがおまえの想い人ではないか?必ず息の根を止めなくなはならないのだ……」



おまえのためにも他人であることを願うが、どうだ?

これっぽっちも哀れみを持たないディオの瞳に、私は再び時間が止まる瞬間を体験した。
殺す、根絶やし、ああ、そんな、そんなことって、どうして彼が。大切なものから順に掌から滑り落ちて行ってしまうのか、また私の生きていく理由が消えて行ってしまう。
私が伸ばした震える指先をその冷たい掌で絡め取って、ディオは恐ろしいくらいに綺麗に笑っていた。