07


電気のスイッチが見当たらずに仕方なしに灯した燭台の上の蝋燭が風圧にその身を揺らした。椅子の位置に従って必然的に私は扉に背を向けて座っていたので、いったい誰が書庫に入ってきたのか、その時点では確証はなかったのだけれど、まあ十中八九ディオだろうなぁと思っていた。私が知っている限りではこの館にいるひとの中で本を読むような要員は、彼くらいしかいなかったから。だから膨大な書物の中から適当に一つを選んで何の気なしにページを捲っていた私が振り返って彼を目にした時に、驚いたと言うか、面食らったのは無理からぬことであって。結論から言うとそれはディオではなかったのだ。そこに立っていたのは、テンガロンハット(と言うのか定かじゃないけど)を被った、宛ら西部劇に登場するカウボーイのような風貌の男だった。偏見かもしれないけれど馬に乗って先っぽが輪っかになったロープをぶん投げそうな、リボルバーで一騎討ちかましそうな、そんな男がライター片手に私と同じく面食らった様子で扉の前に突っ立っていた。一種気不味いとも言える空気が私と彼の間に漂う。だから、この状況で適切かどうかは置いておいて、私は、初めまして、と言うしかなかったのだ。



「ホルホース?さんですか。何しにここへ?」
「いやあ、ディオの野郎……今のは聞かなかったことにしといてくれ、ディオ様を探しにきたんたがよ」
「べつにちくったりしませんから気にしなくていいですよ」

そうかぁ?なんて言いながらホルホースと名乗った男は多少緊張がほぐれたようで私の向かい側の椅子で大きな体を左右に揺らした。出会ってそうそう「餌の女か?」なんて聞くあたりこのひとも御多分に洩れず普通の神経は持ち合わせていないんだろうけど、なんだか悪いひとではないような気がする。悪の組織なんて言いながら今のところ私が理解できないレベルの悪人はいないんだから、ちょっとよく分からないなあ。

「で、お嬢ちゃんディオとどういう関係なんだ?スタンド使いなのか?」
「いや、まだ違います。まだって言うのは……見えるけど、自分では使えないってこと」
「ンンー、じゃあどうしてここに居るんだ?見たところ、東洋人だろう?」
「そこがちょっとややこしくて……誘拐されてきたんですけど」

さして気にかけずに私が言うと、ホルホースはすかさず、はあ?と大振りのジェスチャーと一緒に返してきた。ああ、確かにしれっと言うことじゃあないけどさ……そこは今更、って感じなんだよなあ。説明しにくいけど。

「いやあの、監禁されてるとかじゃなくて……あれ、そうなのか?まあいいや、命の危険があるとかじゃないです。」
「お嬢ちゃん変わってるな……俺はてっきり、ジョースターの血筋なのかと……」
「え?なに?」
「いいやこっちの話だ、お嬢ちゃんがあんまりべっぴんだから緊張しちまってるのさ」

こいつ……。まあ悪口言われたわけじゃないから好意的に受け取っておこう。絶対いろんな女のひと転がしてるだろ、この軟派が。ホルホースから一本頂戴した煙草を灰皿に押し付ける。灰皿があるってことはディオも喫煙するんだろうか。

「あんまり引き止めてしまっても悪いですから、そろそろ行きましょう?ディオなら寝室で寝てると思いますよ」
「ああ、そうだ、そうだ、ディオに会いに来たんだった」

案内してくれるかい、なんて言ってさりげなく回してきた腕はそのままにしておく。ここで振りほどいても感じ悪いしなあ、このひと良いひとそうだから仲良くなりたいし。外国人はこれが普通なのか?フェミニストか。案内するって言っても歩いて一分とかからないけど。

「なあ、なまえちゃん、ディオには気を付けろよ」
「え?」
「とって喰われないように、ってことさ」

それはいったいどちらの意味なのか。ああ、そうだよな、いくらディオの想い人に似てるからって、私はただの小娘でしかないんだ、いつかあのひとがそのことに気が付いたら、私はそのひとの代わりにはなれないって悟ったら、私は……

「……ん、そうですよね」

何故か鼻の奥がつんとして思わず少しだけ俯いた。零れるほど涙は出ていないけれど、ここでフェミニストのホルホースに気付かれて慰められるなんてごめんだ。初対面のひとにそんな弱みを曝け出すのは嫌だった。
ああ、もう既に私はディオの愛情を失いたくないと思ってるのか。それがほんとうの意味で私を愛してるわけではなくても、どこか冷めた愛でも、私は。いいや、今だけ、きっと今だけだ。承太郎と遠く離れてこころの拠り所がないからこんなことを思ってるだけだ。大丈夫だ、私には、承太郎がいるんだから。
廊下を抜けて寝室の扉をノックする。私だけなら別にノックする必要はないのだけれど、いまはホルホースがいるから、一応だ。返事がないってことはまだ寝てるのか、起こすのは悪いけど致し方ない。しかしながら寝室には誰も居なかった。ベッドには誰も横たわっていない。と言うことは起きたのか?

「……ディオ?」
「何か用か、ホルホース?随分と親し気だな、わたしのなまえと?」

ひゅっ、と私の頭上でホルホースが息を飲む音が聞こえた。私は寝室の外からディオの声が聞こえたことに混乱して辺りを見回す、ホルホースが手にしているライターの明かりだけでは足元しか見えなくて、ディオがどこにいるのか皆目検討もつかなかった。ホルホースの腕が腰から消えたかと思うと、直ぐさま暗闇から生えてきた別の腕がその場所に回って私は暗闇に引っ張られた。思わず身が固まる。

「いつの間にそんなに親しくなったのか知らんが……わたしのものには手を出さない方が身のためだと思うがな」
「そんな、恐れ多いことは……ちょうどなまえさんも寝室に行かれるって言うんで、送り届けただけですよ」

ふん、とディオが不満気に鼻を鳴らすのが聞こえる。何をそんなに怒っているのか。用事があるならさっさとしろ、とホルホースに言い放って私を寝室に引っ張って行く。力で叶うわけがないので目で抗議しようとするとあの赤い瞳で一蹴されてしまった。暗闇の中で彼の虹彩はやけに鈍く光っていた。何故か私一人を寝室に押し込んでディオは扉を閉める。なんなんだ、いったい。
今出て行ってもまた押し込まれるのは目に見えているので、大人しく待ってるしかないだろう。立ち話なら直ぐに終わるだろうけど、さも私が悪いことをしたかのような空気の中で待っているのは頭が痛くなってくる。ああ、もうじき日が上るっていうのに。