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"愛が欲しい"だなんてしみったれた言葉は嫌いだ。流行歌の歌詞に有りそうな、それでいてありふれた決まり文句は嫌いだ。"愛は与えるもの"なんていう意味不明な台詞回しもいやだ。どちらか選べと言われたら、後者だけど。でも、私は好きな人には愛されたいし、ひっくり返せば私を愛してくれるひとのことは好きだ。私のことを嫌いな人はたぶんたくさんいるし逆に私も嫌いなひとがいるけど、本音を言えば嫌いなひとにも好かれたい。我ながら汚ない考えかただけど、それが本心。まあ結局、これが"愛が欲しい"ってことになるんだろうな、いつだって理想の自分には程遠い。どうしようもなくなるとひとに頼ってしまうし利用されてるだけだと分かってても何となく助けてしまうし、自分で自分を律することができないままだ、ずっと昔から。
自分以外のなにかに支配されてる状態を嫌悪しつつもどこか心地良くて甘んじてしまうんだからいけない。昔もいまも。だからこんな風な私になってしまったんだろう。こんな姿父親に見せられない。……彼はいま、どうしてるだろうか。十年以上私を良くも悪くも支配した彼と、同じく十年以上幼馴染として、それからは恋人として私を支えてくれた彼は。
父親に感謝していないと言えば嘘になる。だけど側に居たいわけでもない、生きている、ただそれだけでいい。もう二度と話すことはなくても構わない、もう欲しいもの、彼の哲学のうちの見習うべき部分は全部受け取ったから。それを生かすも殺すも私次第なのも分かってる、今のところ半分は生かして、半分は殺してしまってるけれど。"最善を尽くせ"、"結果がすべて"、あのひとはそんなことばかり言っていた。小さい頃から完璧を求められた私は息苦しくて、辛くて自分の家が大嫌いでそれでも父親に気に入られたくていい顔をして、大きくなるにつれて気が付いた。父親が愛してるのは"私"じゃなくて"自分の言う通りに思い通りに動く都合のいい娘"で、私の人格とか感情とかは彼にとっては邪魔なものでしかないんだと。だけどそれで構わなかった、無償の愛ではなくても、父親から愛されさえすれば。へらへら笑って彼の思い通りに行動している時には私は満たされてたんだと思う。それが私の役割で唯一の居場所だったし、母親は人並み以上に私を愛してくれていたから。だからべつにあの頃を振り返っても、確かにすこし貧乏くじ引いたなあとは思うけど不幸だとは思わない、だっていま、こうして生きている。
大好きだった母親が亡くなった時のことは、物心ついて間もない頃だったからはっきりとは思い出せない。家が火事になって、母親だけが逃げ出せなかったんだと聞かされた。父親は仕事でいなかったから、私は一人で逃げ出したのか、もしかしたら、母親が逃がしてくれたのかもしれない。推測の域を出ることはないけれど。たしかにそれはすごく悲しいことだけど、その後の生活が大変で残念ながらそれ以上の感想はない。さすがに父親も応えたみたいで暫くして病気になったのだ。それからは、なるようになったとしか言えない。"完璧"だと思っていた父親も、所詮ただのちっぽけな人間に過ぎなかったってだけのことだ。
こころに大きな穴が空いたような気がした。それまでの私がいったいなんだったのか分からなくなって、手を差し伸べてくれた承太郎の掌を掴んだ。彼のことはほかの誰よりも好きだったけどそれまで男として見たことはなかったから、利用した、のかもしれない。後にも先にも一度きり、火事のあとに私を抱き締めてくれた父親を、帰宅途中私を抱きすくめて夕陽に目を細めながらキスをしてきた承太郎に見出したのかもしれない。彼のことは恋人として好きだけど、始まりは分からない。彼に頼りきれない私を助けるために頼りやすい"居場所"に無理矢理持ってきてくれたんじゃないかと疑ってたこともある。承太郎の正義感なら、そのくらいのことはやり通すんじゃないかと。

ああ、こんなことを考えていてもきりがない。確かなことは私が承太郎を好きだってことだ、彼に会いたいってこと。悪いことを考え出すと止まらなくなっていけない、目をつむっていたのに、意識が冴えてきてしまった。
すこし眠って腫れが引いた瞼を開けると、ディオが私に腕枕をして寝息をたてていた。私が寝てからしてくれたんだろうか。あんなに悲しそうな声を出すなんて知らなかった、あんなに苦しそうな顔を。
……そんなに、愛していたんだろうか。私に似た女のひとを。百年も前のことが忘れられずにそのひとの代わりに私を愛してるんだね、あなたは。なんて、かわいそうなひと。ほんとうにこのひとを知っているひとはみんな死んでしまったんだろう、なにせ、百年も生きてるんだから。

「あなた私の父親と似てるよ」

耳の良いこの人なら私の呟きで起きてしまうかとも思ったけれど、予想を反して寝室は静かなままだった。起きて欲しいとも、起きないで欲しいとも思わなかった。ただ、口から滑り出ただけだった。
私の父親も、目の前で私を逃がさないとでも言うように腕を回して眠っているこのひとも、私ではなく、思い通りになにかを見出せるツールとしての私を愛している。
でもまあ、お互い様か。私は私でこのひとに見出しているものがある。べつにそれで構わない、と思った。どこか冷めた愛でも、それに安心できる私がいるから。

腰に回された腕をディオが起きないようにどけて寝室から抜け出した。ひやりと冷たい廊下を歩きだしたものの行く宛が思い当たらずに、結局気は進まないものの、例の書庫へと足を向ける。あの蜘蛛の巣を潜り抜けるのは難儀そうだけれど、それが済めば暇潰しには困らないだろう。