02


私の思い込みなんじゃないか、という考えが頭の中をぐるぐると旋回しながら消えては現れて、もうこれでいったい何度目だったっけ、それすらもう覚えてないくらい同じことを考えている。心では最初から答えは決まっているのだけれど、頭の整理のほうは未だなんの目処も立っていない。結論から言うと、どう考えても、ディオの掌はどこまでも承太郎のそれと同じなんだ。肌の質とか、分厚さとか、指の長さと太さ、爪の形、とにかく全部。暖かさが違っているだけ。何故かは分からないけれど、それだけは分かる。小一時間してからディオがのっそりと寝室に舞い戻ってきた時も、私はずっとそのことを考えていた。

「……おかえり」
「ああ」

返事もそこそこにディオは分厚い本と万年筆を手にベッドに身を投げ出した。反動で私の体もバウンドする。私は完全に横になってたから、上半身を起こしたディオの顔を見るには体を捻らなければいけなかった。何事も無かったかのように背表紙を開いてパラパラと紙を捲り始めたディオから生臭い鉄の匂いがした。ああ、

「血の臭いがするよ」
「……嫌か」
「ああ、いや、別にそういうことじゃないんだけど」

血の臭い、と聞いてデスクに移動しようとするディオを急いで引き止める。なんなんだ、あなたはそんな気を使うような人じゃないはずなのに。人を簡単に殺せるような人なのに。……今もまた、誰かの命を食べてきたんだろう、何の感情もなく……あなたはそういう生き物であるはずなのに。
どうして私を側に置くんだ。血を飲むわけでもない、ずば抜けて気が合うわけでもない、女としての価値も、恐らくディオは私に求めていない。彼にとって重要な存在?私はスタンドなんて持ってないし、今後手にするかどうかなんて誰にもわからない。何の根拠もない。どうしてだ。どうして私と他の人間との間に線を引くんだ。百年も生きてきた、吸血鬼が。あなたにとっての私ってなんなんだ。ただの気まぐれか?飽きたら、捨てるのか。所詮その程度か。

「ねえ、私ってなんなの」

どうやら読書ではなく文をしたためているらしいディオに向かって呟く。ああ、聞こえないふりをしないでよ、ねえ。答えたくないのか。それとも答えられないことなのか。

「ね……私だめなんだよ、こういうの」

腕に力をいれて上半身を起こす。これで真正面からディオの顔が見える。彼は私の顔を見ようとはしていないけど。
無視するなよ、話してるんだから……ああ、やっぱりだめなんだよ、こういうのは。やっぱりもたなかった。私には彼が。

「誰かの、なにかでないと……私が生きる上での、確実な居場所がないと、だめなんだよ。こんな風に、宙ぶらりんじゃだめなんだ」

長い間、私はずっと父親のもので、彼のために、彼に認められるために生きてきた。彼がすべてだった。"完璧な"父親のために生きる"私"には生きていくに足る理由があった。誰になにをされても怖くなかった。だって私は父親のために最善の選択をしたんだから、なに一つ間違っていないと思えたんだ。父親がいなくなってからの私は承太郎のもので、彼の掌が私のそれを繋ぎ止めてくれることだけで安心できた。わたしには少なからず彼に愛されているという自覚があったから、自分が生きていくための"居場所"を、彼に見出すことができていた。明白な理由がそこにはあった。でもいまは、

「矢を刺してさっさとスタンドの素質があるかどうか確かめれば良いのに。それで死んだとしても損はないでしょ、あなたにとって私はそういう存在なんだから」

ディオが必要としてるのは私自身じゃなくて私のスタンドであって、私がいま生きていくに足る理由にはなり得ない。だから私はこうして、寄り添ってくれる"彼"を……。
混乱した頭を抱えて私が息を吸い込もうと口を止めたとき、ディオが本を閉じて私を見た。無言で伸ばしてきた手を、私から掴む。ああ、やっぱり、同じだ。どうして、とか、そんなことはこの際どうだって良い。私が生きていく居場所を与えてくれる承太郎の痕跡を追って、ゆっくりと指を滑らせた。少しでも安定を取り戻したい。こんな不安定な、自分以外に支配されてしまっている自分に嫌気が差していた。
なまえ、と彼が口を開く。私は思わず目を閉じる。承太郎を見つけたい、出来るだけ近くに。私の指が彼の肩を通り過ぎる頃も彼は承太郎のままで、私が前に乗り出すとディオはまた私の名前を読んだ。瞼の裏に承太郎を描きながら私が彼の首元に縋りつこうとした瞬間、指先に歪な窪みを感じて私の意識は弾かれた。ああ、ここから、承太郎じゃない。別の人だ、首から先は……。
漸く我に返って潤んだ目を開けた瞬間、ぼやけた視界からディオがいなくなった。抱きすくめられていると自覚したのは瞬きを三回したあとで、頬にディオの冷たい首筋を感じながら私は頭の中では承太郎を見ていた。
ああ、これで良い、生きていくための居場所が、私を必要としてくれる"彼"がここにいる。これで良いんだ、首から下、承太郎が抱き締めてくれれば。
筋肉質な背中に指を遣る、確かに同じ、同じだ。それでもなまえ、と私の名前を呼ぶ声は見知った吸血鬼のもので、そんなことは最初から分かってた。ああ、私はいったい、……。