08


自分が短い間ではあるけれど息を止めていたことに気付いたのは、ディオが私の名前を呼んだときだった。私は眉を潜めていたんだと思う。出会ってからの数日間で私はディオに対して良い印象を持っていたから、殊更衝撃は大きかった。実際のところ私は彼が食欲を満たすためだけに女性をあっさり殺しているところも目にしたし、彼にとって人の命と言うものはそれほど重いものじゃないことは分かっているのだ。もちろんその行為は法律云々以前に道徳的に間違っていることもはっきり理解しているのだけれど、私はなぜか、ディオは吸血鬼だからなのか、スタンドとかいう超能力が使えるからなのか、それがなんなのかは不明瞭ではあるけれど彼は"特別"な生き物であるかのような気がして、特別なものを"持っている"彼に限っては善悪の尺度なんて取るに足らないものなんじゃないかと思い込んでいたんだろう。いいや、そんなことがあるわけがない。道徳律は絶対であって、何人たりともそれを超えることはない。そうでなくちゃいけない。それが私の哲学だ。つまりディオは、

「……ん、驚いただけ。それで、遺産は受け取ったの?その良い子ちゃんの……なんだっけ、ジョナサン?はどうなったの」
「いや、わたしは養父の毒殺を試みたがわたしとしたことがその計画がジョナサンに悟られてしまったのだ。結果的にわたしは窮地に追い込まれ、屋敷を警察隊が取り囲んだ。わたしの手には石仮面があり_元々は養父のものだったのだが、偶然わたしはその仮面の異常な効果に気が付いたのだ、顔に被った状態で血を浴びるといまのわたしのような吸血鬼になるという俄かには信じ難いものだった_わたしは人間をやめる覚悟を決め、それを被った。ジョナサンの血を使おうとナイフを振りかぶったわたしが警官隊の銃撃を受ける直前、刹那垣間見えたのは息子の身代わりになった養父の姿だった。わたしは養父の血を被り……いまのような吸血鬼になった」

話しながらディオが逞しい首筋の痛々しい傷を指でなぞった。石仮面、吸血鬼、不死身。百年も昔のおよそ現実離れした話の数々に私の頭が追いつけていないのは明らかだった。はっきりと分かることは、ディオが常軌を逸した、類い稀な悪人であること。そう、紛うことなく悪人なんだ、一般的に、常識的に見るならば。身寄りのない自分を七年間ものあいだ養ってくれた養父を遺産にありつくためだけに殺害する男なんて、悪以外の何物でもない。法に従えば裁かれるだろう。
いろいろな方向に寄り道していく意識を取り戻して、視線をディオのほうに向ける。彼はぼんやりと私を見つめていた。ああ、あなた、そんな表情もするのか。あなたが吸血鬼だっていう事実は話を聞くたびに確かなものになっていくけど、同時に人間らしい側面もたくさん……。私が口を開こうとすると、一息先にディオが口火を切った。

「順番だ、なまえ」
「ん……そうだね」
「お前に質問したいことがある。わたしは包み隠さず答えた。お前にもそうして欲しいのだが」
「もちろん。さ、どうぞ」

ディオが体を回転させて私のほうを向く。下になったほうの腕で頬杖をして、気持ち首を傾げながら言った。

「いまの話を聞いてどう感じた?大抵の人間は嫌悪か恐怖のどちらかだが」
「ああ、そのこと……ちょうど言おうと思ってたことだよ。なんて言えばいいかな、私はね……。ねえディオ、私は常識ってものが嫌いなんだ。なんていうか、良いことと悪いこと、正しいことと間違ってること、その全部を深く考えもせずに区分しようとする浅はかさが大嫌いだよ。自分と同じ立場の人間なんて一人として居るわけないのに、常識ではこうだからって理由だけで善とか悪とか……そういうのがすごく嫌だ。社会全体に共通する価値観なんて在りはしないのにね。常識常識って喚く人間に限って、常識さえ守れば良いと思ってる。ルールさえ守っていれば、それが正しいことだと思ってる。そういう人間はただの馬鹿だ、と私は思う。自分の選択ではないことにも気付かずに、自分は正しい選択をしたと自己満足に浸ってる。
常識的に見ればあなたは悪人だよ、救いようもない。いままで何人殺したかも覚えてないだろうね。だけどね、私は常識なんて大嫌いだ。何事も自分の頭で考えて自分の立場から判断するべきだと思う。
前置きが長くなっちゃったけどあなたの質問に対しては、どうも思わないってのが本音かな。百年前の話でリアリティを持てないっていうのもあるけど、なんていうか私、あなたのこと嫌いじゃないし、何よりもあなたはいまのところ私にとって有益な存在だから」