09


そのとき初めてディオの赤い虹彩がなにかに揺らぐのを私は見た。彼について知らないことは山ほどあって私が彼に抱いている印象はまったく見当違いなものなのかもしれないけれど、ディオはどこまでも自信に溢れていて、なにものにも不動な、そんなひとかと思ってた。簡単に言ってしまうならカリスマで、私なんかじゃ彼の心の中は汲み取れないんじゃないかと。
なにかおかしなことを言ってしまったかと私が不安になり始めたころ、ディオの掌が私の手首を掴んで枕元へと引き寄せられた。あれ、この感触、どこかで……。ああ、でも、いや、気のせいか?それにしてもあなたはどうしてそんなにも悲しそうな顔をするんだ、あなたが悲しむようなことは私、言ってないと思うけど。

「……どうしたの?ディオ、痛いよ」
「……」
「私なにか変なこと言った?」
「……ああ」

ああ、って言われても。もしかして私に、あなたは最低だとかなんとか罵って欲しかったのか?そういうこと?いや、でも実際なんとも思わないんだからしょうがないじゃないか。私にとってのディオ・ブランドーはいまここで私の手首を握りしめてもの思いに耽ってるあなたであって、養父を殺したなんていう事実は付箋で貼り付けられている予備知識ぐらいの印象しかないんだから。
私の手の甲を見つめていたディオはなにを思ったのかくるっと捻じって私の掌のほうを上にした。視線を動かして肘あたりを見遣ったかと思ったら、一言、ほくろ、と。……ほくろがどうした?

「……え、まぁ、ほくろはあるけどさ、ねえちょっと、大丈夫?なんか変だよ」
「……わたしはお前を誘拐させて、このエジプトへ連れてきた」
「ん……そうだね」
「エンヤがお前を見つけたのだ、必ず私の役に立つだろうと。あれの水晶のなかにお前が写っているのを見た」
「うん……それがどうしたの?」

聞くとディオは暫くのあいだ黙り込んでから、スタンドは身についたか、と言った。スタンド?ああ、あの超能力のことか。そんなもの簡単に身につくわけがない!そもそも私にその素質があるのかも疑わしいのに。答えるとディオは自分が聞いたくせにどうでも良いとでも言いたげな顔をした。もう、なんなんだ、やっぱり変だ。

「お前はよく分からん」
「それはどうも。……もしかして悪い意味だった?」
「……どちらでもない。なまえ、」
「な、」

なに、と言おうとしたのに、ディオの掌が頬の上に滑り込んできて、上手く唇が動かなかった。驚きと恥じらいで体を支えていた肘から力が抜けてしまって、体勢が崩れる。前屈みに倒れこんでディオとの距離が縮まった。やっぱりディオはどこか悲しそうな顔のままで、私はどうして彼がそんな顔をするのか皆目検討もつかない。やけに冷たい掌を、前から知っているような気がした。この手、この感触。言葉を失っていると、ディオがぼそりと呟く。

「一体誰なのだ……お前なのか、なまえ」
「……なんのこと……?」
「お前を知っている」
「ディオ?」
「……お前を」

頬にあった冷たい掌がいつのまにか後頭部まで移動して、引き寄せられたのが分かった。私が反射的に腕を突っ張ると、ディオは一瞬、我に返ったような顔をして、まるでなにかに弾かれたみたいに唐突にベッドから立ち上がって扉のほうへと歩いていってしまった。扉が閉められる直前、寝ろとかなんとか聞こえたけれど冗談じゃない、寝たくても寝られるはずがない。いったいどうしたっていうんだ?なにか悪いものでも食べた?あんなディオ、初めて見た。普段寝ているときだってあんな無防備な顔はしてないんだから。
ああ、それよりも、あの掌は。あの感触は。私は前から知っていたんだ、気のせいなんかじゃないと、さっき分かってしまった。殆ど同じ掌を私は知っている。唯一異なるのは暖かさ、ディオの掌は冷たかったけれど、彼は、承太郎の掌は暖かかった。そうだ、あの掌だ。私はあの掌に包まれて、抱き締められて。
どうしてあなたが承太郎と同じ掌を持ってるんだ。人種も国籍も、生まれた時代も違うあなたが?
枕に顔を埋めて必死に考えを巡らせてもディオの匂いに気が散るばかりで、要はなにも、分からないままだった。