04


「随分と仲睦まじいな。あの気難しいテレンスに気に入られる奴は珍しいぞ」
「いや、別にそういうのじゃ……ディオの友人、ってことで気を使ってくれてるんだろうと思うけど」
「……まぁ良い。わたしに聞きたいことがあるのだろう、聞いてやるからさっさと言え」
「あぁ、いろいろと……」

寝室の扉を開け放つディオの大きい背中を何処となく見つめながら、聞きたいことと言われても、いろいろとある、と言おうとした唇はそれ以上動かなかった。ディオの背中から寝室の中の床へと視線を落としたとき、ディオの足下から、白い腕がこちらに向かって投げ出されていたからだ。視線を辿ると女のひとだと分かった、綺麗な首筋に無惨な穴が四つ、生々しく赤黒い傷が残っている。ああ、私にも動物の本能だとか、直感だとかいう第六感は備わっていたらしい。このひとは既に死んでいる、と、そのことが手に取るように分かった。思わず息を呑んで後退る。私の行動に気付いたらしいディオが不思議そうに私を振り向いて、私が凝視するその視線の先を見遣って……なんとも面倒そうに、また苛立った様子で舌打ちをした。
私が再び我に返ったときにはいつのまにかヴァニラがやって来ていて、その女性を、遺体を抱えて外へ出て行くところだった。ヴァニラはちらりと私を気遣うような視線をくれたあと、早々と寝室を出て行ってしまった。私は終始棒立ちのままだったらしくて、顔をあげるとディオが静かに私を見つめていた、というよりはなにかを言いかねているような様子で、彼は腕を組んでつっ立ったままなんとも言えない表情をしていた。私は少し平常心を取り戻して、この如何ともし難い状況の打破の意味も兼ねて口を開いた。

「……さっきの、女のひと……」
「……」
「……殺した、の?」
「そうだ。お前が寝室に入る前にヴァニラが始末するはずだった」
「……そう……理由を聞くのは野暮?」

もしかしたら私もいつかああなるのか?用無しになったら、いつかは。
そう考えると内心穏やかではなかったけれど、なぜだか私は、ディオが私にそんなことはしないだろうという奇妙な確信めいた、不思議な信頼を早くも心のどこかに見つけていたのでまずは理由を聞いてみることにした。それに実際、私が彼に寄せている信頼がまったくの見当違いだったとしても、私ができることなんてなにもない。ディオが私のことを虫けらのように殺すことができたとしても私にはなす術が無い。気に病むだけ無駄というものだ、理屈だけで言うならば。
ディオは私が落ち着いていたことが予想外だったらしく少し目を見張ったあと、組んでいた腕を解いて半ば強引に私を引き寄せた。腕を引かれた私は当然のことながらディオの目の前に移動する。近くで見るディオは、思っていたよりも大きく感じた。顔を見るのにかなり見上げなければいけなかった。また真っ赤な虹彩と視線が絡まって、私が一歩下がろうとしたのを、私の腕をつかんだままのディオが阻んだ。

「どう思う?」
「え?」

私の顔の高さまで頭を屈めてきたディオに思わず身を反らす。彼はしっかりと私を見据えて、聞いた。わけが分からずに聞き返すと彼が続ける。

「……わたしは」
「……」
「なまえ、おまえが信じるかどうかは知らんが……わたしは吸血鬼だ」
「……え」
「百年前の或る日に、人間をやめた。この傷も」

と、ディオが掴んだままにされていた私の掌を自分の首へ持っていった。ひやりと彼の冷たい肌に私の指が触る。承太郎を彷彿とさせる逞しい首筋に、まるで頭と胴体を分けていたかのように生々しい傷跡が横に走っている。赤い目に射抜かれたままの私はなにも言えずにただ立ち尽くすことしかできなかった。ディオの唇が動くのをぼんやりと見つめる。

「百年前にある男の身体を奪った時のものだ。わたしの身体は使い物にならなくなっていたから、殺して、奪ったのだ」
「百年?まさか、ディオ、あなた」
「そうだ、百年前から生きている。そして、この先もだ。太陽の光と引き換えに、わたしは永遠の命を手に入れたのだ」
「ちょっと、待ってよ……疑ったりしない、けど……」

まさか、目の前の男が本当に吸血鬼だなんて、ああ、そんなこと!
自らの主を吸血鬼だと言い切ったときのテレンスのあの顔といったら。あれはまったくもって、冗談なんかじゃなかったんだ。必然的にディオは優に百歳を超えていることになる、世界大戦の遥かまえ……私なんて影も形もなかったころから、ずっと。ああ、いや、そんなことはたったいまは重要じゃない、いま重要なのは、あの女のひとをどうして殺したのか。いや、聞かなくたって分かる。だけど、完全には信じられない私は、その言葉をディオの口から聞くことでしか確信を得られないだろうから。

「ディオ、あのひとの……血を」
「そうだ、腹が減ったからな」
「どこのひとなの」
「さあな、そんなことは知らん。自らの命を差し出す女はいくらでもいるからな」
「自らって……殺されにくるの?」
「物騒な物言いだが……まあそういうことだ」

世の中には奇特なひともいるものだ、あんな痛々しい穴を開けてもらいにわざわざ。でも、ああ、それだけこのひとは、ディオは凄まじいほどのカリスマなのか。食事のためだけに簡単にひとを殺してしまうなんて私は彼に対して一瞬、軽蔑に近い感情を抱きそうになったのだけれど、床に投げ出されていた美しい顔立ちの彼女が望んでディオに心身を捧げたという、その事実で私の心は平穏を取り戻した。
こういう場合意見は別れるものだと思う。殺人そのものが卑しむべき悪であり絶対に許されることではない、と、そう感じる人も多いと思う……私の認識が正しければ、多分承太郎もその部類にはいるんじゃないだろうか。彼は私から見ると自分が居た堪れなくなるほど輝く、正義のひとそのものだから。
そうだ、私は違う。すべての殺人が悪だとは思わない。例えば殺人事件の被害者の遺族が居たとする、犯人の死刑が決定したとして、刑罰の執行は遺族に任せても良いと思う。実際それを望む遺族は多いし、できるだけ痛めつけて嬲り殺しにしたいというのが本音だろう。誰も幸せにならないとか、道徳的に間違っているとか、そんなことははっきり言って、どうでもいいものだと思うのだ。確かに絶対的道徳律は、何物にも優先する概念だとは思うけれど、言わせてもらえば被害者の人権を無視して殺人を犯した犯罪者に人権なんか、在るわけがないのだ。

「恐くなったか?」

束の間、頭の中で思考をめぐらせてもの思いにふけっている私にディオが声をかけてきた。目の前の彼の鋭く通った鼻筋に気がついてまた少し身を引いてしまった。ああ、だってこのひとは綺麗過ぎるんだ、伏せた睫毛が身震いしてしまうくらい神聖なものに見えて。まるで宗教画みたいだった。

「べつに、ただびっくりしただけ……あなたが食い殺した彼女がそれを望んだんなら、その殺人は悪いことじゃないと思うよ、私は遠慮しとくけど」

ゆっくり自分の言っていることを咀嚼しながら、私が呟くあいだにディオの口角がつり上がっていくのを見ると、彼にとって私の意見は好ましいものだったらしい。彼は喉の奥で音を出しながらさも愉快そうに笑った。ちらりと鋭い犬歯がディオの柔らかそうな唇から垣間見えて鈍く光を反射していた。