03


はっきり言って、この館ではやることがない。誘拐……ではなくて、私がディオ率いる謎の集団の仲間になって始めての朝を迎えた訳である。物事の割り切りが早いのは自負しているので最早この状況にビビる必要はないのだけれど、これといって館を探索したいとも思わないし、唯一私にとって娯楽になり得そうな書庫も、蜘蛛の巣やら埃やらでちょっと入るのに抵抗があるし。しょうがないから二度寝という荒技に挑戦してただいまの時刻午後一時、さっきまたこれが豪華な昼食を頂いたし、これ以上寝るとか流石に私はまだニートになる気はないので、人を尋ねることにする。昨日ヴァニラが一生懸命案内してくれたから大体の間取りは覚えられた。寝室を出て三階へと続く階段を素通りする。……というのも、できればディオといろいろ話をしたいのだけれど、なぜか珍妙なことにディオは夜行性らしく、昼間は専ら寝ているそうだから。テレンスによると太陽光アレルギーらしい。だからこの館は昼間でも窓を閉め切って蝋燭を燻らせているのか。……ってことはやっぱりアルビノなのか?それだったら赤い虹彩の説明もつく。肌とかは普通に色素定着してたけど……まあ夜起きたら聞けばいいか。
取り敢えずヴァニラを探そうと思う。一番普通の人であるというレッテルはテレンスからヴァニラに貼り替えたばかりである。お目当ての扉まで辿り着いて少し強めにノックした。この館の扉は分厚いから聞こえないかもしれないし。私の寝室とほとんど同じ作りであることは昨日案内してもらったときに確認済みだ。

「?……ヴァニラー」

まったく物音がしないので恐る恐る扉を開けると、残念なことに中は蛻の殻だった。どこかに出掛けてるのか?彼は真面目だからなにか仕事があるのかもしれない。話し相手が欲しかったんだけど、いないものはどうしようも無いしなぁ、残念だ。テレンスしかいないか、他には。ああ、よく考えたらテレンスとヴァニラ以外名前も知らないからな……。テレンスはまだ調理場にいるだろうか。さっき別れたときは後片付けがあるとかなんとか言ってたけど。

「テレンスーいますかー」
「はいはい居りますよ。どうされました?」

予想通り、使った食器を洗い終えて磨いている最中のテレンスが右肩越しに私を振り返った。

「暇を持て余してるんですよ」
「……はぁ、然様でございましたか」
「迷惑じゃなかったら相手して欲しいんだけど」
「構いませんけど、私のことを怖がってたじゃあないですか。良いんですか?」
「……ゲームはしないよ」
「ふふ、DIO様のご友人に手を出すなんてそんな恐ろしいこと!……ま、お掛けになったらどうです?」

促されるままにカウンターに腰を下ろす。テレンスと向き合う形になって、今更ながら私はテレンスの顔の縞々について疑問を抱いた。なんなんだこれ、刺青?それともメイク?まぁ、さして興味はないけれど。それに本人に聞くのは野暮ってものだろうから聞かないけれど。

「……あのさ、いろいろと聞きたいことあるんだけど、良い?」
「お答えできるものはお答えしますよ、どうぞ」
「……家族構成は?」
「はい?」

手元の食器を見つめていたテレンスの顔が私の方を向いた。はい?って……。いや、そんな変なことか?普通、これから親しくなりたい人に聞くことじゃないの?兄弟がいるとかいないとか、妹がいるとか、なんかあるでしょ。まさか、コウノトリが運んできたとか言わないで欲しい。いくら超能力が使えるからってそんなことはないはずだ。

「えっ、聞いちゃまずかった?」
「いえ、そういうことじゃあ無くて……あのですね」
「……」
「まさか私個人に対しての質問とは……両親の他に兄がいます。一般的な家庭です」
「お兄ちゃんいるんだ、羨ましい、私ひとりっ子なんだよ」

そんな良いものでもないですよ、と顔を顰めるテレンスが再び少し普通の人に近づいたような気がして私はどこか嬉しくなった。コウノトリ云々ではなくてテレンスも人の子であったという安心感もあるけど。

「いつからディオの下で働いてるの?」
「ああ、そうですね……一年ほどですか」
「へぇ……。ねぇ、あのひとってさ、どんなひとなの?」
「どんな、とは?」
「……なんか普通じゃないでしょ、悪い意味じゃなくて、超能力……スタンド?だっけ?使えたり、働いてる様子ないのにこんな大きい館に住んでたり。それに私、一応誘拐されたわけだし」
「あの方に限って働くということは無いでしょうね、勝手に舞い込んで来るものですから。
…………なまえ様」
「なに?」

頬杖の方向を変えてテレンスを見遣ると、いつのまにか彼はすべてを片付け終えて、シンクからこちらへ少し身を乗り出して私を見ていた。その目はどこか悲しそうで、私はなにか傷付くようなことを彼に言ってしまったのかと不安になったのだけれど、その先を考えるより早くテレンスが次の言葉を口にした。

「御家族は?」
「え……私の?」

拍子抜けした私の言葉にテレンスが頷く。御家族、なんて言うんだから、きっと私の家族構成を聞いてるんだろう。ほんの数秒、私はどう答えようか迷って、結局、誰もいないと一言伝えた。母は死んだし、父は精神病院暮らしで、人格ごと昔の父とは別人だから、と。こんな館でディオに仕えてるテレンスなら、私の身の上ごときに同情するほど薄っぺらで浅い人間ではないだろう、と思ったからだ。無責任な同情ほど、偽善的な侮辱はないことくらい分かっているだろうから。
案の定テレンスはそうですかとだけ呟いて、じゃああの置き手紙は誰に向けて書いたのかと素朴な疑問を投げかけてきた。その辺は言わないでも察して欲しいところだけど。

「私にもそれなりに親しいひとはいるんですよ」
「ははぁ、恋人ですか、人は見かけによりませんね」
「それどういう意味!失礼過ぎる!」
「ああ、いえ、そういう意味じゃあなくて、あまり男性に甘えないだろうという……」
「いい、いい、無理しなくて。私は深く傷付きましたけど」

まったく、執事のくせしてなんて無礼な!許さない。覚えとけ、このやろう!
デザートの一つでも要求してやろうと口を開きかけたとき、ガチャリと扉が開く音がして、例の低音が私の耳を触った。

「私があずかり知らないところで随分と打ち解けているようだな」
「ああ、これは、お早いお目覚めで」

打って変わって礼儀正しい口調に戻ったテレンスが目を向ける方を振り返ると、いかにも気怠い様子を隠す気もないディオが壁に半身を預けて立っていた。外人だからか単にこのひとの習慣なのか上半身が真裸なのを見てなぜか私が居た堪れない気分になってしまった。寝室を出る前に服を着てこいと言いたい。

「なまえの声があまりにも大きくて目が覚めてしまった。責任はとってもらうぞ……何方にせよわたしに聞きたいことがあるのだろう」

状況説明もそこそこに、早く来いとさっさと歩き出してしまったディオの後を目で追いながらテレンスの方を見遣ると、笑顔で手を振ってくれていた。音は出さずにありがとう、と呟いてすぐさま大きい背中を追う。伝わっただろうか?恐らく私に気を使って、わざと恋人の話題触れることで笑わせてくれたテレンスは、やっぱり良い人なんだろう。あとでしっかりお礼を言っておこう。