07


過ぎたるは及ばざるが如し、とは少し意味が違うけれど、なんというか、人は恐怖でも笑う。もっと言うと痛過ぎても笑えてくるし、今現在この状況、私は余りに受け入れがたいもののために口角が上がるのを抑えられずにいる。私の心のうちを察したのか洋服のかかったハンガーを高く掲げて口元を隠すテレンスはやっぱり、多分良い人だと思う……。いやそうじゃなくて、この場合私に否はないと思うのだけれどどうだろう。だって成人した、しかも筋肉隆々の男性が、ブルマを着用するって少なくとも私の中ではあり得ないことなんだ。さっきせっかく思い立った心の準備も残念ながらまったくの無意味だった。そんな風に私が狼狽を隠せずにいると、優雅にウェーブした柔らかそうな猫毛を背中まで伸ばしたやたら露出とハートマークを主張するその男が、こともすると執事のテレンスよりも低姿勢且つ丁寧に私に自己紹介をした。ヴァニラ・アイス。……うーん、狙ったとしか思えない……筋肉隆々なのに、少女趣味なのか?この人?もしかして、そっちのほうの……?ま、私に実害はないから良いや。

「……ヴァニラ、さん、ですか」
「敬称など必要ありません。私はDIO様の下僕であり手脚、ご友人の貴女に対しても、先程DIO様の御前で忠誠を誓って参りました」
「えっ」

ブルマ男はその大きな体を最大限小さくたたんで私に首を垂れた。そんな急に傅かれても困る、そもそも私あの人の友人じゃあないし。あれはただの建前じゃあないのか?友人ポジションで決まりなの?……それよりもなんなんだこの人、いったい私になにを求めてるんだ!てゆうかそんな格好で片膝なんか立てたら危ない。絵面が。……目のやりどころに困ってテレンスを見遣ると、期待したとおりに彼が助け舟を出してくれた。

「あなたはまたいきなりそんなことを……。なまえ様が困っていますよ。それよりもヴァニラ、何の用があったんです?」
「ああ、そうでしたなまえ様、DIO様がお呼びになっていらっしゃいました。急ぎの用ではないので一段落ついてからで良いとのことです」
「えええ……」
「ほら、申し上げたとおりでしょう?することも無いんですし、さっさと行っておしまいなさい」
「だってさっき呼ばれたばっかり、なんなの、話すことないじゃん!私一人で行くの?」
「私はベビーシッターじゃあありませんよ。とって食われたりしませんから、さ、ヴァニラ、お連れして下さい」
「え、いい、いいってば、一人で行ける……」

ブルマ男に全力で残念そうな顏された。そんな顔されても、つい十分前にこの部屋に戻ったばかりなんだから、さすがにまだ道を忘れちゃいない。外見はともかく中身は一般人に近いテレンスが来てくれるなら嬉しいけれど、初対面の私に対して輝いた目を向けてくるブルマ男と二人きりにはなりたくない。忠誠を誓ってもらってしまってなんだが、飼い犬が主人を見るような目つきが擽ったい。明らかに私よりも年上なのに。……自分より年下の小娘に忠誠を誓うなんて、ファッションセンスだけじゃあなくて中身もなかなか……。

「それは良いことですね。御用がおありでしたらお呼びください、私はキッチンか自室におりますから」
「……キッチンの場所もあなたの部屋の場所も分からないんだけど」
「それなら私がご案内しましょう、DIO様のお部屋の前でお待ちしております」
「えっ」

ブルマ男が身を乗り出して嬉しそうに私に提案をした。それは提案というよりも寧ろ一種の決定事項かのような印象を私は受けたので、当然断れるはずもなく……今度ばかりはテレンスも我関せずという面持ちで部屋を出て行ってしまった。残された私は必然的に目の前の男とディオ・ブランドーの寝室の前までは一緒に歩かなければいけないことに気が付いて眉根を顰めていたのだけれど、大きな体を見上げると対してヴァニラは嬉しそうな顔をしていた。満面の笑みとかそういうのではない、比較的無表情なんだけど、筋肉質な体と対象的なガラス玉のような瞳が一層爛々と輝いていた。ていうかゆっくり歩いても一分とかからないんだから、そう重荷に感じることもない、はずだ。当たり障りのない会話をしていれば良い。悪い人ではないような気がするし。案外この謎の集団には良い人が多いのかも知れない。誘拐犯には変わりないけど。なんだか予想以上にテレンスとも打ち解けてしまった……なんだかなぁ……。調子狂うな……。



「テレンスのやつがご無礼を……申し訳ありません」
「……えっ?いや、そんな私、気になりませんでした……けど」

ディオ・ブランドーの部屋まであと二十歩、というところで彼が思い出したように口を開いた。無礼?テレンスが?……終始丁寧な姿勢を崩さなかったと思うけど。この人にとってはあれが無礼にあたるのか?ていうかさっきこの人テレンスのことフルシカトしてたけど、もしかして仲悪い?

「ですからなまえ様、私なんぞに敬語など……」
「そのことなんだけど」

そうだ、どいつもこいつも私より年上のくせに腰が低いから却ってこちらが居心地が悪いんだ。なんか友人ポジションで落ち着いてしまってるみたいだけど私からしたらここは誘拐された先で、テレンスもヴァニラも誘拐犯の一味で……。なんで知らない間に誘拐犯から忠誠を誓われてしまってるのかも甚だ疑問なんだ。私が扉の前で足を止めると、彼も立ち止まった。髪の毛先から視線をあげて行って顔で止める。しっかり彼の目を見た。

「あなたが言うなら敬語はやめる。でも一つお願いがあるから聞いてほしい。テレンスにも言ったんだけど、私に敬語使うのはやめてくれないかな。なんていうか、あなたたちとは仲良くやりたい……出来れば対等に話してほしいんだけど」

ヴァニラの唇が一瞬きゅっと締まったあと、困ったように小さな動きを繰り返した。瞬きの回数が増えている。きっと私がこんなことを言うなんて予想だにしていなかったんだろう。

「……しかし……そんな恐れ多い……」
「お願い。むり?」
「……分かりました……」
「……それ敬語じゃない?」
「……わ、分かった…これで良いのだろうか」

小さな声で呟いたあとヴァニラはさも恐ろしいことを言ったかのように大きい手のひらで自分の口を覆った。私はそれを見て可笑しく思ったのだけれどなんだか嬉しくて、そう、ありがとう、と何度も頷きながらヴァニラのもう片方の掌をひっ掴んでしまった。握手だ、握手。彼は恥ずかしそうにしながらも私の手を握り返してくれる。

「じゃあ、終わったらこの館の間取りを教えてもらっても良い?」
「もちろん、ここでお待ち……待っておく」

ああ、この人テレンスよりも素直だ。やっぱり対等に話せるのが良い、やっと違和感がなくなった。きっとヴァニラは第一印象とはかけ離れたひとだろう。きっと素直で実直で、一般的にどうかは知らないけれど、現時点で私にとっては有益なひと。私の用事が済むまで一人眈々と部屋の前で、敬語を使わないための訓練をするくらいのことはやってのけそうな気がしたけれど、生憎いまは賭けをする相手がいないのであくまで私の予想の域を出ることはない。テレンスがいれば良かったけれど、少し残念だ。