08


「随分と話し込んでいたな。扉一枚開けるのに何分かけるのかと思っていたところだ」

暗い部屋に目が慣れるまでは耐えなければと目を凝らして扉を開けると予想外にも寝室は明るかった。さっきは見えなかった色々が情報として頭に流れ込んでくる。滑らかに整えられた石を床に敷き詰めて上品に設えた部屋……大理石か?目利きじゃあないからあんまり分からないけれど。私の視線は次に寝台へ動いて、最後はディオ・ブランドーの上に落ち着いた。ああ、明るいところで見ると不気味なくらいに綺麗、さっきも思ったけど。それに肌が白い、なんなんだろうこの人、引きこもりなのか?テレンスの冗談もなかなか言い得てると思う。犬歯が尖ってたように見えたし。それにしてもこのものの言いようはどうなんだ。だって急がなくていいって言ってたじゃないか。私が肩を竦めると暫定吸血鬼は何故か楽しそうに喉で笑った。いったいなにが可笑しいのか……。ああ、この独特の雰囲気!なんていうか、上司の家に招かれた新入社員……いや、これは例えになってないか。まさに私が置かれている状況だ、多少アブノーマルであるという違いはあれど。なんにしてもこの空気はやりづらい。このひとと一番打ち解けるべきなんだ、私ができる限り早く家に帰るためには。そうそう上手くはいかないだろうけど努力はするべきだ。いつまでも混乱しているわけにはいかない、合理的に行動しなきゃ……あいつみたいに。そうだ、今までずっとあいつの機嫌をとってきたはずだ。できないことじゃあない、ご機嫌取りは慣れてる……。

「……明言したからには」

少し足を進めて安楽椅子の一つに腕を置く。まだ多少恐い。機嫌を損ねたら殺される可能性だって十分すぎるほどあるんだ、ひと呼吸置いて続ける。

「さっき約束したからには、あなたの命令には従うつもりです、ここから逃げ出したりはしない。そこのところは信頼してほしい……というのも、正直言って私はいまあなたのことが結構恐いです、多分この問題はあなたからの信頼を得るかどうかで大きく左右されると思います……用事を聞く前にこんなこと言って申し訳ないけど」
「……積極的だな、なかなか面白いぞ、なまえ」

伸ばしていた足を床におろしてディオ・ブランドーが私のほうを向く。白い腕がサイドテーブルに伸びて尖った爪が音を立てた、ああ、それが癖なのか?長い足を組み直しながら、それを言うならなまえ、と彼が言う。

「その中途半端な敬語を使うのをやめてくれ、こちらも居心地が悪い」
「……」
「お前がヴァニラに要求していたことだ。友人同士で敬語を使う文化があるのか?」
「いや、ない……けど……何でそんなこと知って……」
「丸聞こえだ、分かったな。それとも命令にしてほしいか?」
「…………分かった、善処する……」
「いまはそのくらいで良しとしよう。ところでなまえ、話を聞くところお前は年の割には利口そうだな……一般的に人間関係を構築する上で重要な力はなんだと思う?」
「えっ…………妥協……いや、共感力?」
「そうだ。そこで私に共感してほしいのだが……私がお前を殺して何かメリットがあると思うか?」
「……?……私がなにかあなたにとって気に入らないことをした場合、あなたのストレス解消?精神的満足感……になる」

なにが言いたい?このひと、思ったよりよく喋るな。完全にペースに乗せられてしまってる、なんだか誘導尋問でも受けてる気分だ……。ていうか共感するほどこのひとのことを知らない。誘拐犯に共感しろだなんてそんな無茶な……。

「……まあ間違いとは言い切れんが。つまるところなにが言いたいかと言うと、お前が私を恐れている原因は私の信頼の有無なんかじゃあなく……ただ単にお前の心の問題だ、なまえ」
「…………つまり?」
「お前が現在持っている私との関係観はこうだろう、誘拐犯と、被害者。違うか?」
「……まぁ……遠からず」

的確な指摘だ。ああ、もちろんそれは大前提だ、誘拐犯と被害者。怖くないはずが無い。一時的に仲間になると割り切ったものの、そう簡単にはこの認識は打破できるものじゃあない。それがなんなんだ?

「お前がこれで安心できるかどうかは知らんが、一応言っておいてやろう。万が一お前が私にとって無益であると判断しても、殺すことはない。面倒だが虹村を使って元に戻してやる。あともう一つ、これを信じるかどうかはお前次第だが、私は嘘はつかない」
「…………」
「先程までは確かに誘拐犯と被害者、その認識は正しかった。だがいまは違う。古い認識は捨てろ。なまえ、私はお前と友人になりたいのだ」
「……なんていうか……あなた……、」

なんなんだ、このひとは……。なにを考えてるのかわからないけど、どこか……似てる。語り口?論理展開?根拠のない説得力、或いは、カリスマ性?どこかは分からないけど、いや、もしかしたら似てるところなんてないのかもしれない。私が勝手に関連づけてるだけかも。……だけど、ああ、やっぱり似てる。私の父親にどこか似てる。私がなりたかったもの。私が憧れてたひと。いままで私のすべてだった父親。……まさか誘拐犯から父親を連想するとは思わなかった。

「あなた、おもしろい……すごく。なんか……親近感が湧いた」
「それは良かった。なかなか率直にものを言うな」

ディオ・ブランドーが明るい照明で一層輝く金糸を掻き上げて、重そうな金の腕輪が互いに触れ合い音を出した。あれはたぶん純金だろう、いくらするんだろう……ブルジョワか。見た目から判断するにはまだ二十代半ばなのに、どこからそんな金が湧くんだろう。それから、あの超能力……あのことについても聞きたいことが山ほどあるけど、ああ、そういえば。

「……そういえば、なんて呼べば良いの」
「名乗っただろう、もう忘れたのか?」
「いや、そういうことじゃあなくて……」

つまり、簡単に言えば様をつけるかどうか。だってテレンスもヴァニラもあのエンヤとかいう老婆もみんなこのひとのことをDIO様って呼んでたから、私だけ呼び捨てもどうかと……。でも敬語はやめろってさっき言われたし。

「DIO様?ディオ?それともディオ・ブランドー?」
「……選択肢にフルネームをいれるのはおかしいと思うが」
「じゃあDIO様かディオどっち?ああ、ブランドーってのもありかな」
「……好きにしろ。常識的に考えてだぞ」

暫定吸血鬼があからさまに飽きれた顔をして議論を私に丸投げした。常識的に考えて?それって却って選びにくいんだけど……。さっきの饒舌っぷりを思い返すと、私はとりあえず友人ポジションで決まりらしいから、それなら。

「じゃあ……ディオ、で」
「そうか」

ディオ、は私の選択にどうやら満足したみたいで、僅かに顔を上に反らした。それと一緒に彼の口角も上がるのが見えた。
……もっと知りたい、と思った。偶然にしてはあまりにも似すぎているんだ、ディオとあいつは。私がいままで完璧だと思い続けていたものに、ディオはとても似ている。このひとが世界のなにを見て、なにを考えるのか、このひとの哲学を、もっと知りたいと思った。それにスタンドとかいう力の正体とか、私を連れて来た理由、私がいったいどんなかたちで彼らに有益な存在たり得るのか、聞きたいことはたくさんある。私と友人になりたいだなんて、奇妙な要求をしてきた誘拐犯が考えていることは未だ謎ばかりだけれど、不思議ともう恐ろしくはなかった。