06


恐怖で膝が笑うだなんて生まれて初めて経験したかも知れない。陰鬱な空間から連れ出されて背後で扉が閉められたのを確認した瞬間に私は執事の腕に、不本意ながら、しがみついてしまった。ああ、膝がふにゃふにゃだなぁ、だなんて私自身どこか冷めた感覚でそれを見つめていたのだけれど、隣の執事はありがたいことに至極真面目に、それでいてたぶん本心から私を心配してくれた。やっぱりこの男は良い人なのかも知れない。ああ、誘拐された被害者が犯人に好意を抱くようになる心理的現象をなんていうんだっけ?なんとかシンドローム、私はいまその状態なのか?そうじゃあないといいけど。この男が本当に良い人だったらいいな。

「……よく頑張りましたね。何も話せないかと心配しましたよ」
「ん…ありがとう…。ちょっと足が笑っちゃう、部屋まで腕借りても?」
「もちろん。……いえ、いいか?ではなく貸せ、と仰ってください。貴女はDIO様のご友人で、私は執事でございますから」

隣の男は私の頭の高さまで屈みこんでゆっくりと言い聞かせるように呟くと、私の背中を支えながら階段へと導く。まさかとは思っていたけれど本当に執事なのか。このご時世、執事なんてはじめて見た。しかもディオ・ブランドーの仲間になることは承諾したもののほとんど初対面の私にとんでもないことを要求している。もともとから分かってたことだけど、ここの連中が考えることはちょっと意味が分からない……。

「……テレンスさん」
「テレンス、で結構です」
「……テレンス、私はいま十七歳なんだけど、当然あなたのほうが年上だよね」
「?ええ、その通りでございますが」
「年上のあなたにそんな口のききかたするのは居心地が悪い……いまこうして敬語を使わないのも結構な違和感があるんだけど」
「……」
「出来れば対等に話してほしい。なんていうか、私の中でいまのところあなたが一番理解できるっていうか……あなたが一番、普通っぽいから、だから」
「光栄ですね、ほら、足下をしっかりご覧になってください、転びますよ」
「……」

たしかに階段ではお喋りしないほうが良さそうだ、薄暗い上に回り込んでるからよく見てないと踏み外してしまいそう……。テレンスの腕を握りしめたままふと後ろに気配を感じて振り返ると、さっきまでいたディオ・ブランドーの寝室の扉の前にやたら足を露出したでかい人影がちらりと見えた。もしかしたら、さっきの足音はあの人かも知れない。男?女か?大きさから想像するには男だろうけど、男がブルマは……ないだろう……さすがに。だとしたらかなりごつい女だな……。長髪だったし。女、だと思うけど……いや、男にしても女にしても受け入れがたい事実だ。こわい。心の準備をしておこう。


「…さ、先程はなんと仰られていましたっけ、ああ、私が一番普通そうだと」

部屋につくなりテレンスは私をベッドに座らせると、徐にシャワールームの向かい側の扉を開けた。私も思わず覗き込むと、なにやらそこには、服、服、服……。なるほど衣装部屋か。私拉致られてきたばっかりなのにもうそんなに用意してあるのか……?いや、そんなことはいいんだ。

「……だから、必要以上にへりくだらないでほしいんだけども」
「ふむ……ま、考えておきましょう」

衣装部屋から何着か服を引っ張り出してきたらしいテレンスの顔を見るとあまり考えておく気は無いような気がしたものの、目を覚ましたときよりは格段と人間らしい表情を見せる彼に少し安心した。この男だって人間なんだ、あの、ディオ・ブランドーだって。日本に帰れるまでは、ここから出るまでは、上手くやらなきゃいけない。どうせなら、仲良くなれるものなら、仲良くなりたい。敵対心は相手に伝わる。穏便に過ごしたいなら、まず相手に共感するべきなんだ。

「私の予想ではまたすぐにお呼びがかかるかと思いますが、お召し替えをなさる場合はこちらのものがよろしいかと。衣装部屋はあちらです」
「えっ、また呼ばれるの?あの人怖いからいやだ……あの人、なんなの?」
「DIO様です。あと人ではありませんよ、吸血鬼であらせられます、貴女は飲み込みが早そうなのでこの際申し上げておきますが」
「……は?」

またまた、冗談ぬかすぐらい打ち解けてくれるなんて、この男なかなかフレンドリーだな、やりおる……。内心嬉しく思いながらテレンスを振り返って肩を竦めたところであてがわれた寝室の扉が開いた。