05


目の前の美しい男はそう呟くと白い大きな掌で私の前髪を乱した。それは宛ら愛犬かなにかにするような動きで、不覚にも私はこの男に好意を持たれているのかと錯覚しかけた。実際のところは、ただ私を私利私欲のために利用したいだけなのに。この男は。

「十七年しか生きていないお前にいきなりこのような話を受け入れろという方が無理があるのかも知れぬ。確かにお前は物分りが良いが……ひとつ勘違いをしている」

男の手がそのままするすると滑り落ちて私の喉元で止まった。私の顎を掴むと自分の好いように角度を変える。私とディオ・ブランドーは見つめ合うかたちになったけれど、赤く光る彼の目が怖くて私は男の背後の暗闇を見つめていた。

「そうだ、ひとつ勘違いをしている……私はお前に相談をしているわけではない。なまえ、お前のために役に立つ有益な情報を与えてやろう、至極簡単なことだ……私は私に楯突く者には消えてもらうことにしているのだ」

男の金糸が嘲笑うかのように私の顔を擽る。ああ、こんなわかり易い脅しかた!楽しそうに歪んだ男の唇の間に鋭い牙が隠れているのを目にして私は目を見張った。神の寵愛をその一身に受けたかのような完璧な美を携えたこの男はいったい何なのか。何処もかしこも薄暗いこの館で、この男がうんと言えば私はきっと死んでしまう。どうして私なんかが欲しいのか?わざわざ誘拐までして、私にどんな価値があるっていうんだ?私はまた承太郎に会いたいんだ。あの人と一緒に歩きたい……。そのためには、唖々、生きていなければ!死んでしまったら何もできなくなってしまう。今を生き延びなければ。その先なんてあとから考えれば良い。

「……もしも頷いたら、私は二度と日本に帰れないの?」
「……暫くはこの館に居ることになるだろうが……虹村を呼べば行くことは可能だ」
「…………」
「なぜ日本などに未練があるのか分からんが……私に仕えるというのなら多少の計らいはしてやろう」
「……忠誠を誓うことはできない。忠誠なんて言葉、いま生まれて初めて口にした。だけど私に可能な限りあなたの命令には従う。これで良いの?」
「…………ま、良いだろう。お前に命令することなんぞ殆ど無いと思うがな。スタンドが発動できるようになるまでは私の友人ということにでもしておいてやろう。」

何処からか足音が近付いてくるのが聞こえた気がした。私はひっそりとした陰鬱なこの一室で目の前のディオ・ブランドーと対峙しながら自分が一連の会話をやってのけたことに驚いていた。命がかかっているというのに、いつのまにか敬語を忘れていた。ああ、今頃になって嫌な汗が滲み出てきた。ディオ・ブランドーは漸く掴んでいた私の顎を解放すると、その手を私の目前に差し出した。尖った爪に少し身を引く。先端恐怖症なんだ……不意打ちは止して欲しい。ところでこれはどういう意味なんだ?まさか、跪いて口付けとか、そういった類?いや、それは、まさか、勘弁して欲しい……。

「なんだその目は。日本には握手の習慣が無いのか?」
「えっ…あ、はい…」

握手?以外とまともなことをするんだな。スカートを握りしめていた手を急いで差し出すと、半ば強引に手を握られた。痛い、と口から抗議の言葉が飛び出そうになったもののなんとか飲み込む。ディオ・ブランドーは私の腕に一瞥くれると、やけに無表情に私の腕を投げ出した。どうやら満足したみたいだ。此方に背を向けてベッドのほうに戻って行った。先ほど握手した掌がサイドテーブルに置かれたハードカバーを手に取る。

「話は終わりだ。身の回りのことはテレンスに聞け。用があるときは来い。私はエンヤと話がある」

エンヤ……はこの老婆のことか。ああ、つまり、さっさと出ていけってこと。そりゃあもう、喜んで出ていくとも。少し頭の整理がしたい……。立ち上がって執事を見ると、彼は既に扉を開けて私を待っていた。廊下のほうが多少明るいようで、彼の顔がよく見えた。来たときと同じようにその腕に手を乗せると、背中で扉が閉まるのが分かった。