04


「よく眠ったようだな」
「……はい、まぁ。」
「虹村が物騒な薬品を嗅がせたようだ。体に障りがないと良いが」
「………」
「ま、ないなら良い。座れ」

後ろから執事の咳払いが聞こえて、振り向くと設えの好い安楽椅子が二脚用意されていた。そんなもの何時の間に取り出したのか。一つには既に老婆が座っていたので、私はもう片方に座るべきか。折角の椅子なのに空気のせいで胃が痛い。

「私はDIOだ。……ディオ…ブランドー。お前の名前を聞かせてくれ」

どうして自分の名前でどもるのかが分からないけれど、ひどく心地好い重低音を私は聞いていた。薄暗闇のなか彼の赤い虹彩だけが不思議と爛々と光を反射している。あの色は突然変異だろうか。赤い虹彩なんて、重度のアルビノにしか見たことがない…彼は一見正常な色素定着能力を持っているみたいだけど。

「…みょうじなまえです」
「そうだな。ではなまえ、お前は物分りが良いほうか?」
「えっ?…どうでしょうか…そういうことは第三者が判断すべきだと思いますけど、そうですね…まぁ悪くはないかと思います」

ディオ、という男はほんの一瞬動きを止めたものの、次の瞬間にはどこか嬉しそうにふうん、と鼻で笑った。彼の指先に叩かれたサイドテーブルがカツカツと音をだす。黒いマニキュアに覆われた爪は長くて鋭い。

「なかなか肝が据わっているようだ、そのほうが此方もやり易い。お前を極東から連れてこさせたのは訳があるのだ。」
「……」
「お前に私の役にたって欲しいのだ、どうだ、なまえ。…代わりにお前の欲しいものをやろう」
「……役にたつ…?…私がどんな役に……」
「それは色々あるな。差し当たっては…お前はスタンドが見えるな?」
「…スタンド?…」

何だそれは?そんなものは知らない、スタンド?立つ?それとも机上に置く灯りのことか?…いや、そんな当たり前に見えるものを、わざわざ見えるか、なんて聞くはずがない。そんな聞き方するからには一般には見えないもの、不可視物…。待てよ、そういえばごく最近この言い回しを聞いた覚えがあるな、いつだっけ……。

「見えると報告を受けたが。スタンドというのは……いや、聞かせるより出して見せたほうが手っ取り早いな」
「なに、どういう……」

どういうこと、と言おうとしたのに言い切る前に私は口を閉じることになってしまった。かすかな音が耳に届いた瞬間に彼の身体から半透明のシルエットが現れ、瞬き一つで質量が見て取れるまではっきりと浮かび上がる。ああ、思い出した、あの夜。鍵をかけようと扉を閉めかけたとき白い何かが扉を止めた。思えばあれもニジムラの身体から現れたものなんだろうか?あれといま見えているものとは、ずいぶん形が違うけれど…。あれよりずっと大きいし、顔も人間的だった。その威圧感に思わず身を引く。

「見えているではないか。百聞は一見に如かずと言ったところか?……なまえ、知らないだろうから教えてやろう。私はこれをスタンド、と呼んでいる。精神的エネルギーが具象化したもので、それぞれに能力が異なるのだ」

彼がベッドから立ち上がってこちらに近付いてきた。想像以上にこの男は良い体格をしている、承太郎みたいだ…。いや、もっと大きいかもしれない、見上げると、男が続ける。

「虹村のスタンドは見たのだろう?あれは便利な代物でな、訪れたことのある場所なら何処でも瞬時にテレポートできるのだ。だからお前をあれに連れてこさせた」
「…は…?……テレポ…なに…?」
「分からないなら理解しなくても良い。今はまだな」

分からないんじゃあない、テレポートの意味くらい知ってる!ただ理解したくないだけだ、どう考えてもおかしい、なんで私はそんなものが見えるの?いままで生きてきて一度も目にしたことはないのに。少なくともニジムラに会うまでは。

「エンヤ婆が先日水晶玉の中にお前を見たのだ」
「………」
「エンヤ婆が言うからにはお前は私の役にたつに違いない、直にスタンドも手に入れるだろう」
「…つまり私は……。私にどうして欲しいんですか」
「簡単なことだ……過去を捨て私に忠誠を誓うのだ、見返りは惜しまん」
「なっ……」

なにを言ってるんだこの男は!忠誠を誓う?過去を捨てろだって?そんなこと、考える余地もない、冗談じゃあない!私は帰りたいんだ、早く家に…。承太郎に謝りたい。一緒に学校に行きたい。こんな訳の分からない連中と、こんなに強引に。見返りなんて要らない、私が欲しいのは物じゃあないんだから。だから……。

「…家に帰して…お願い……私…」
「………」
「あなたたちが思ってるような価値なんて…ないから、だから……帰して下さい、お願いします…元に戻して…!」

汗ばんだ指先でスカートの裾を握りしめた。力をいれていないと声が震えてしまいそうだったから。もう訳の分からないことはたくさんだ、帰れるなら何だってする、いくらでも諂うから放っておいてほしい。ああ、私がいったい何をしたっていうのか。

「…そう言うと思っていた、なまえ」