02


快適なベッドの中で悪夢をみるときはいつも、堪え難い恐怖に飛び起きた瞬間に夢だと気付くものだ。きっと私だけじゃあないと思うけど。超常現象が起こっても、現実ではあり得ないシチュエーションに置かれていても、そう、例え何が起こっても夢を見ている最中はそれが夢だと分からない。夢じゃあないか?なんて疑うこともしない。中には夢だと認識して好き勝手できる夢があるらしいけど_明晰夢、だったか_生憎私は体験したことがない。できれば近々体験してみたいと思う。もっと言うと、今こそその明晰夢の最中だと思いたい。現実は非情、だとかはこの際忘れよう。

シャワールームにしては妙に広い空間を見渡す。この建物の主はコウモリかなにかなのか?片っ端から灯りをつけても薄暗くっていけない。冷たい水を頭から被っても夢から冷めなかったので、仕方なく自称執事が寄越した洋服に袖を通す。普段豪勢な暮らしをしているわけではないけれど生地の肌触りが良いことくらいは分かる。薄手のベージュのワンピースにそれより少し暗い色で肌理の大きいレース生地のカーデガンが割り当てられている。洗面台の壁一面に貼り付けられた鏡を見て思わず溜息が出てしまった。いったい、私は何をやってるんだろう…。自分の行く末に頭が痛くなって壁に凭れかかってやきもきしていると外からノックされた。はあ……。

「いまあがりました。これで良いですか」
「ええ、ええ、結構です、やはりこのサイズで正しかったようですね。」

執事が両手で揉み手をしながら私の背後を覗き込んだ隙にさっきまで私が寝ていた寝室を見渡す。恐らくキングサイズのベッドにサイドテーブル、その上には黒緑の瓶と小さなグラスが置いてある。シャワールームの向かい側にあるもう一つの扉はなんだろう…。私がシャワーを浴びている間に執事が窓を開けたのか、さっきは微動だにしなかった赤黒いカーテンが揺れていた。なにか役に立つ物はないかとキョロキョロしていると背後から執事が出てきた。私の服は捨てないで下さいねというと片手で制される。まさか、いま捨ててきた?

「DIO様がお待ちです。私がご案内いたしますから、どうぞ」
「だから、ディオって誰なんですか」
「主です。貴女との関連性は存じ上げません。さ、参りますよ」

時間を稼ごうと思ったら、寝室の入り口の扉を開けられてしまった。ああもう、家に帰りたい…。今ごろみんなどうしてるだろう、承太郎は?……あの時あんな別れ方するんじゃなかった。あんな八つ当たり、承太郎はどう思ったんだろう。謝らなきゃ。早く帰らなきゃ。私はいつ帰れるんだろう?誘拐、エジプト…ああ!!

「……テレンス、さん」
「はい?」

機械的に見えたこの男にも一応感情はあったらしい。なかなかディオとやらに会おうとしない私に業を煮やしたらしくこれ見よがしに片眉をつり上げた。誘拐犯の気分は害さないほうが良いのだろうけどそんなこと言ってる余裕はない。私は切羽詰まっている。

「………私、殺されたり…するんですか」

本当は、ディオとやらが誰なのかとか、どうでも良くはないけど、そんなに知りたいことじゃあなかった。誘拐という二文字を意識した瞬間から頭を離れなかったのは、私が生きていられるのかということ。…承太郎にまた会えるのかということ、それだけだった。答えを聞くのが怖くて、執事の目を直視出来ずに彼の細い鼻筋を凝視していたら、ぼんやりと彼の眉が元に戻るのが見えた。唇が何かを言いあぐねているかのように隙間を作っている。私は少し涙ぐんでいたかもしれない。執事が言った。

「DIO様は……」
「………」
「DIO様は訳あって貴女を必要となさっています…貴女が気に病まれていることは、杞憂であると考えます、無理はないと思いますが……」
「………」

腕が伸びてきてかたい掌が背中を数回軽く撫でた。驚いて執事の顔を見上げるとさっさと腕は引っ込んでしまって代わりにもう一方の腕をあてがわれた。体の前で曲げられているところをみると、手を乗せろということなんだろう。幸いその選択は間違っていなかったようで、相変わらず薄暗い廊下へと連れ出された。