東西南北 | ナノ



東西南北


神谷道場の門をくぐる。
掛け声と竹刀の音が、この道場に色を(もたら)している。数年前では考えられなかった光景だ。
冴奈は道場ではなく、裏庭の方に足を向ける。

「冴奈さん?道場に行かないんですか?」
「道場には剣心はいない。薫と門下生が打ち合ってるんだ。剣心はこの時間帯なら、家の掃除か洗濯物を洗ってる」
「そうなんですか」

何の疑問も持たずに、ニコニコと瀬田は冴奈の後を付いていく。幼少期、国盗りを目論(もくろ)んでいた男と放浪れていた時のように。
この時代、亭主が家事をしているのは可笑しいと考えられていた。男なら家ではドンっと構えておけ、という要領である。しかし、瀬田は可笑しいと思わない。

「剣心ー!」
「おろー!?冴奈でござるかー!?」

冴奈が剣心を呼んだところ、返事は家の中から返ってきた。掃除を行っているのだ。
彼女は適当な縁側で草鞋(わらじ)を脱ぎ、家にお邪魔する。

「お前に客だ!」
「そうでござるか!今行くから、客間に通しておいてくれ!」

部屋の奥の方から声がする。手が離せないのだろう。
冴奈は瀬田に、家の中に入れ、と手招きをする。

「お邪魔します」
「客間はこっちだ」
「ありがとうございます、冴奈さん」
「構うな」

慣れたように進んでいく冴奈。我がもの顔。自分の家のようだ。
瀬田は若干キョロキョロしながら、笑顔で冴奈の背中を追う。

「ほら、座れ。客用の座布団だ」
「何から何までありがとうございます」
「お茶を持ってくるな」

冴奈は少し高級な座布団を瀬田に渡し、更に家の中程に進んで行った。
瀬田は受け取った座布団に座り、大人しくする。もちろん笑顔だ。彼の顔が崩れることはない。
生活感のある客間。端に汚く座布団が積み上げられている。クズ箱には日めくりの暦が捨ててある。少しだけ目線を上げる。1883(明治16)年7月13日。今日は13日であると暦が告げている。

「……もう、明治16年なんだ」

包帯を巻いた、長年慕い続けていた男を思い出す。あの時はただ、紅い瞳の持論が自分を助けてくれた。ずっとそれを支えに生きてきた。だが今はそんな答え解らない。他人の答えではなくて、自分自身の真実の答えは。

「…………もう5年も経つんですね、志々雄さん」

5年。流浪(なが)れると決めた10年の半分。半分が過ぎた。真実の答えは未だ解らないけど、5年の旅の中で答えの端だけは見えた気がする。
だから瀬田は態々東京に戻り、旅の契機を与えてくれた男に逢いに来たのだ。優しくて厳しい人。別に彼を追いかけているわけではない。人を傷つけるのではなく、人を殺すのではなく、もっと他の生き方がある。真実がある。答えがある。それを教えてくれた男に逢って、己の真実の答えの先端が合ってるかどうか、確かめるのだ。

「お待たせしたでござ…っ!宗次郎!!?」
「お久し振りです、緋村さん。急にお邪魔してすみません」

庭の縁側の方から剣心がやって来た。肩より上でバッサリ切った髪と、薄くなってきている頬の十字傷。今まで袖を括っていた紐を手に握っている。腰に逆刃刀はない。
驚きからすぐに解放され、剣心は瀬田の前に座る。

「久し振りでござるなぁ!元気でござったか?」
「はい、お陰さまで。東日本は制覇しました」
「おお。ということは、蝦夷地にも行ってきたのか。あそこは寒いでござるよ」
「寒いですよねぇ。死にかけました」
「ハハハ!楽しい旅だったようでござるな」
「はい。たくさんの人にも出逢いました」

道中で知り合った多くの人。瀬田が助けられなかった人もいれば、助けることができ瀬田を感謝している人もいる。

「おお。剣心」
「冴奈」
「ちょっと台所借りたぞ」
「ああ」

冴奈がお盆の上に2つお茶を持って帰って来た。冷たいお茶に結露して、湯のみに水滴がついている。
彼女は手頃な場所に座り、瀬田にお茶を差し出す。

「ありがとうございます」
「気にするな」

残った方のお茶を飲む冴奈。ごく自然な流れだった。

「…冴奈、もしかして」
「聞かぬとも解るだろう。お前の茶など、用意してない」
「やっぱりな。冴奈に期待した拙者が愚かだった」
「何だ、よく解ってるじゃないか」

剣心は諦めたように首を振り、席を立つ。

「お茶を注いでくる。宗次郎はゆっくりしていてくれ」
「はい、ありがとうございます」
「自分の家だと思っていいぞ」
「冴奈の台詞じゃないでござる」

瀬田は剣心を笑顔で送り出す。冴奈は感情を表に出さず、お茶を飲む。
そんな冴奈に瀬田は疑問を持ち、問う。

「冴奈さん、楽しいんですか?」
「は?」
「いや、何か嬉しそうだなーって」
「…そうだな。嬉しいよ。剣心とは20年ほど逢ってなかったんだ」
「20年!?」
「ああ。奴が師匠の元を離れて行った時以来だ。またこうやって、笑いあえるのが嬉しくて」
「笑いあう…。どっちかというと、冴奈さんが緋村さんをからかってますよね」
「そうか?」
「緋村さんって凄い剣客なのに、全然そんなの感じさせませんよね」
「今は剣を持ってないよ。剣心は剣を託したんだ」
「託す?」
「ああ。弥彦に」
「弥彦…さん、ですか?」
「なんだ、知らないのか?この道場の師範代だよ。剣はまあまあ達者だ」
「そうなんですか。だから緋村さんの腰に木刀が刺さっていたんですね」

瀬田も伊達にあの紅い瞳の側近をやっていたわけではない。闘うつもりはないが、相手の得物をきちんと把握している。
冴奈は静かに湯のみを置いた。

「何でお前は剣を持ってないんだ?」
「え?」
「剣心に刀を壊された、と言っていたが、その後剣を持とうとは思わなかったのか?」
「…何度もありますよ、そりゃあ。だって今まで僕は剣で自分の命を守ってきました。他の方法が解らなかったんです。でも、今は別に剣なんていらないかなって思ってます」
「何故?」
「日本各地を回って、剣以外の生き方に触れました。だから、僕にも他の生き方ができるような気がしてきたんです」
「そうか…」
「そういう冴奈さんは、剣を手放したりしないんですか?」
「今私にできるのは飛天御剣流で月岡殿を守ることだけだ。私は剣以外の道を知らない」
「他の道を知りたくないんですか?」
「いや、私は…無理だ。こんな年になって、今更生き方を変えるなんて」
「何言ってるんですか、冴奈さん、若いじゃないですか」
「……私は27歳だぞ」
「………え、ニジュウナナ、歳?」



2012.8.31./.9.1.


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