東西南北 | ナノ



東西南北


あれから1ヶ月が経った。もう梅雨も終わり、夏が始まった7月。
月岡津南が住む長屋も、湿気が溜まりかなり暑かった。湿気が体感温度をさらに上げる。
冴奈は刀を腕に抱き、座っていた。
月岡が長屋の中で執筆活動をしていた。だからその護衛だ。
月岡に割り当てられた部屋の前の入口でずっと座っていた。日陰にいるのに、うっすら額に汗が浮かぶ。この様子では夏本番の8月が思いやられる。

「……暑い」

自分で呟いて、暑さを再確認してしまった。更に汗が噴き出たように感じる。

「…そうか、涼しさを感じないのは風がないからか。建物の間に風が通るように作られていないこの長屋のせいだな。それならば、いっそ月岡殿以外の部屋をぶっこわして…」

「なんだ?嬢ちゃん、物騒な言葉だな」

右を見ると見慣れない男。ここまで近づかれているのに、気配に気づかなかったのは失態だ。
額に赤い鉢巻、逆立った黒い髪、(くわ)えているのは魚の骨か?腹に晒しをして、上に薄汚れた白い物を羽織っている。
姿が怪しく筋肉質なこの男は、月岡の敵か。冴奈は瞬時にそう判断した。

冴奈は男から距離を取り、袋竹刀から剣を覗かせ、柄を握る。

初めての実践的な仕事だ。
月岡の護衛をしても、襲ってくる者はほとんどいなかった。だからこの1ヶ月、冴奈は月岡に付いていくだけだった。

――月岡殿を守り……弱き人々のために。

「名は。どこの手の者だ」
「はぁ?」
「…答えぬのならば、答えさせるのみ!!」

冴奈は、驚き呆れた顔をする男に苛立ち、抜刀する。
すると、男の目が鋭くなる。死闘を潜り抜けてきた者の目。冴奈は直感した。

駆けだす。目標は相手の左切上。冴奈は(すく)うように、剣を振るう。
しかし、男は寸での所でかわした。そして1,2歩距離を取る。

「って!危ねぇな!やっぱり物騒だぜ、嬢ちゃん。
 いつの間に日本もこんなに物騒になったのか… と!!」

男が喋っている間にも冴奈は攻撃を繰り出した。だが、男には避けられた。

「やるな…」

――相手から情報を聞き出す余裕はなさそうだ。…次で仕留める。

冴奈は3歩助走をつけ、飛んだ。
剣心のこと――不殺のことは頭になかった。

-飛天御剣流 龍槌閃-

男の眼は見開かれた。ただ、驚いて初動が遅れた。
彼の右肩に刃が突き刺さる感覚。それが脳に届く前に、男は刃を腕で弾いた。
冴奈が予想していたよりは浅い傷が、彼に、できた。

肉を斬る感覚。なんともいえない柔らかさ。
当り前だが、比古に刀傷を負わせたことはない。
……初めて、人を、刀で、傷、つけた。

冴奈は血を吸った刀を見る。比古から貰ったもの。

――師匠はこの刀の銘を教えてくれなかった。

だが、こいつが。涙を流しているように見えた。
手が、冴奈の手が、微かに震えた。

「どうした?嬢ちゃん。もう飛天御剣流は打ってこないのか?」

流儀の名前を聞き、ハッと自我を取り戻す。
袴を借りに行った時(10)もそうだが、何故飛天御剣流を知っている者が多いのだろう。

「嬢ちゃん。嬢ちゃんには人を斬るなんてこと向いてねぇよ。
 オレに刀が刺さった瞬間、勢いが弱まったぜ」
「………」
「なあ、嬢ちゃん。嬢ちゃんは何で刀を持つ?」

――それは…!それは、

「…私は弱き人々のため、御剣流の理を果たすため、月岡殿を守るために。全てを捨ててでも!!
 貴様を、倒す」

冴奈に"殺す"という言葉は使えなかった。
剣心はこんな苦しみに耐えながら幕末の京都を…
冴奈は知らなかった。あの頃は知らなくてもよかった。
知り得なかったのだ。比古のもとで、何も考えず修行する冴奈には。
狭い世界に生きていた冴奈には。

「おおおおおお!!!!!!!!!」

冴奈が雄たけびを上げながら刀を振り上げる。普通に唐竹を狙った面。御剣流を使う余裕など毛頭なかった。

「(…何故この嬢ちゃんは、泣きながらオレを倒そうとするんだ?)」

彼の知っている飛天御剣流はもっと強かった。弱き人々を守ると言って逆刃刀を持っていた元維新志士。奴にはしっかり芯が通っていた。
……彼女にイマイチ"覚悟"を感じなかった。
だから、反撃しようにも反撃できなかった。親友が、目の色をなくしていた時を思い出した。何のために生きていけばいいか、何のために力を使えばいいか、解らなくなった目。

冴奈は初めて刀で人を傷つけたことによって、迷いを感じていた。

男は冴奈の太刀を避けた。決断しきれない攻撃を避けるのは造作もない。
冴奈は当たらなかった時のことを考えていなかったため、力の操作が上手くできず刀身が土にのめり込んだ。

「冴奈!!?」

額に布を巻きつけた、月岡が長屋から出てきた。冴奈の大声を聞いて、やっと気付いたのだろう。
月岡は剣を抜き動揺している様子の冴奈を見て、それから懐かしい旧友に目を向けた。

「なんだ、左之か」
「なんだ、とはなんだ。克」
「冴奈、こいつはオレのダチだ」
「相楽左之助ってんだヨロシクな。驚いたぜ、この嬢ちゃんが急に飛天御剣流を使って攻撃してきたから」
「そりゃ悪かったな。1ヶ月前程から用心棒として雇いだしたんだ」

――何だ、敵じゃないのか。

冴奈はほっとした。
人を傷つけなくて済むからだ、と冴奈は気付かなかった。
目元に違和感を感じて、袖で拭った。

「…申し訳ないことをした。月岡殿のご友人だと露知らず。是非とも傷の手当てをさせて頂きたい」
「ん?いらねぇよ。これから嬢ちゃん、あ、あんたじゃねぇぜ?別の嬢ちゃんとこ行くからよ」
「だが…その出血では目立つだろう」
「構やしねぇって!」

江戸っ子の粋を感じる。
冴奈は刀を袋に収めながら、思った。

「だが、」
「冴奈、いい。コイツは昔からこういう馬鹿だ。好きなだけ血を流させておけばいい」
「んだと?お前こそ女を玄関に立たせて、家ん中に引きこもるアホのくせに!」
「引きこもってない!オレは今新聞を書いてるんだ!」
「おう。…そうだったな」

相楽は5年前のあの事件を想いだしているのだろう。久し振りに月岡と再開し、内務省を爆破させようとしたところを剣心に止められたこと。

「相楽殿、」
「相楽殿〜!?やめてくれ!!虫唾が走る!!!そんな肩張った呼び方!!!気が滅入る!!」
「は?」
「それにな、あんたみたいな若い女に殿呼ばわりされるような偉ぇ男でもないんでな!
 左之助って呼んでくれ」
「…私は今年27歳だが」

ほんの静寂。

「「にじゅうななあああ!!!!?」」

2人の男が叫んだ。



2012.5.5.


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