「夜風が冷たい…」


そう呟いた監察役は、真ん丸な月が影を落とす林の中、闇に溶け込むように佇んでいた。
イタチは音もたてずに、監察役へと近づく。


「あ、遅いよイタチ。待ちくたびれた」

「…すみません、梔子先輩」


抑揚のない謝罪とともに軽く頭を下げる。
そんなイタチを、梔子はにこやかな笑顔で迎えた。


「まァ仕方ないか。取り敢えずお疲れ様!これからどうするの?あ、お疲れ様でしたパーティーでもしちゃう?」

「…いえ、そんな時間はないので」

「後輩の癖につれないなー」

「…すみません」


イタチは眼を伏せて、強ばっていた肩の力を抜いた。
場違いなほど明るく笑う梔子に対して、こんな時にと憤る気持ちもあったが、まだ安堵する気持ちの方が上回っていた。
いつもと変わらない態度に、肺の奥で凝り固まっていた何かがほぐれる。呼吸が楽になる。

……少しだけ、救われた気がした。


「俺は予定通り…里を抜けます」


梔子の眼を見て、はっきりと告げる。
青みの強い灰色の瞳は穏やかに凪いだままだ。何を思ってイタチを見つめ返しているのか、わからなかった。
そんなところが、忍として尊敬できた。


「そっか…」


少し間を置いて、吐息のように呟いた梔子はイタチの頭に掌を乗せた。
イタチの方が年下だからか、梔子は時折こうして頭を撫ぜてくれる。

こんな風に子供扱いされると、妙なむず痒さがイタチの胸に沸き起こる。
優秀すぎるイタチを子供扱いする年上などそうそういなかったからだ。
その点からすると、梔子はとても良い先輩だったのかもしれない。

――梔子はイタチにとって、かつてないほど不思議な人間だった。
いくら言葉を交わしても、いくら背中を預けあっても、――イタチの写輪眼をもってしも、何を考えているのか読めない人だったのだ。

悲しんでいるかと思えば、次の瞬間には笑っている。怒るかと思えば、あっさりと受け入れる。情に厚いかと思えば、非情な振る舞いも平然と行う。
梔子はそんな相反したものが同居しているような人だった。

正直なところ、イタチはそんな梔子が少し苦手だったかもしれない……。

しかし、そんな不思議かつ奇妙な先輩とも、今をもってお別れだ。
もう二度と会うことはないだろう。
もし、まみえる機会があるとしても、それは敵同士でなければならない。


「…もう、行かなくてはなりません」


イタチは絡み付く郷愁を断ち切るように瞳をとじた。


「そう…。残念だなァ」

「はい…」


梔子は本当に残念そうに眉尻を下げた。
監察役として、今日の惨劇を目の当たりにした者の言葉や表情としては少し軽かったが、イタチはそれでも嬉しかった。

風向きが変わり、血の赤い臭いが鼻の奥を擽る。
一族の流した血が、イタチの身体にべっとりと粘りつくようだった。

イタチは気を失わせたまま置いてきたサスケの事を思い、唇を噛む。これから火影のもとへ向かい、弟の保護を頼み込まなければならない。


「…では」


頭に置かれたままの腕にそっと触れて、イタチは呟いた。
梔子は口許に笑みを浮かべてイタチの頭から手を退けた。
そして、その手でイタチの肩に触れる。


「ねぇ、イタチ」


いきなり、猫なで声で言った。
梔子はイタチに顔をグッと寄せ、口の端を吊り上げる。にこりというよりはにんまりという表現が似合う。


「…なんですか」


不穏な気配を悟ったイタチは、半歩身を下げた。
だがその後を追うように、三日月のように細められた眼が迫る。

イタチの眼を覗き込んだ梔子は、ゆっくりと口を開き、そっと囁いた。


「…まだ弟君が残ってるじゃない。行かせるわけにはいかないよ」

「そ、れは!」


イタチは、気づけば梔子の腕を払いのけていた。
バシンという音が余韻を残す。


「何故、サスケを生かしたことがわかったんですか…」


イタチは深く息を吐き、冷静な面持ちで梔子を見た。

サスケとのやり取りを、梔子は目撃していない。
予定では、まだ幼いサスケですらも葬ることになっていた。だから梔子に嘘をついて、先にこの林へ誘った。
殺意があると見せかけるために、サスケに惨たらしい万華鏡写輪眼まで使って。


「やだなァ…、監察役だよ、俺は。そんな簡単に誤魔化されないって」


払われた腕をヒラヒラと振りながら、梔子は食えない笑みを浮かべた。
素晴らしい洞察力だと褒める余裕もなく、イタチはギリと奥歯を噛み締める。


「火影様の許可はきっと得ます。…サスケは、なにも知らないただの子供だ。まだアカデミーすら使卒業していない…。だから…!」

「だから、今のうちに、なにも知らないうちに、殺してやるのが優しさなんじゃないの?一族の全てを実の兄に鏖された少年が、楽に生きていける世の中ではないんだよ?」

「それ、は…、しかしそれでも…」

「…いや、いいよ。さすがにこれ以上君に酷なことはさせたくないし。君か殺せないっていうなら俺が代わりに弟君を」

「やめろッ!!」


イタチは後方へ飛び退く。
冷静さを欠いた頭で梔子を睨み付ける。眼が熱い。

梔子の瞳が、鏡のようにイタチを映していた。
宵闇でも爛々と輝いて映る紅い目玉。――写輪眼だ。


「興奮するなよ。それに、俺との交戦は里への明確な裏切りだ」


対する梔子は、余裕の表情を崩さない。薄笑いを浮かべたまま、満月を背に立っている。
その事にイタチは少しばかり動揺した。
……過去に、この写輪眼を見て臨戦態勢に入らなかった忍はいただろうか。


「だとしても、俺はサスケを守ります。……弟なんです、たった一人の…!」


しかし、勝てない相手ではない。梔子の戦法はよく知っている。

――最悪、梔子を倒した後に、上層部へ釘を刺して里を抜ける。
イタチは里の機密情報を持っている。サスケに手を出せばその情報を漏洩すると、上層部を脅せばいい。それでサスケの身は安泰になるはずだ。

梔子を倒し、イタチが生き残ればサスケも生き残る。


「…まー写輪眼相手には部が悪いし、俺も君と交戦する気は更々ないんだけどさぁ…」


梔子は腕を組ながら気の抜けたような声で言った。どこまでも読めない人間だ。


「なら、見逃して下さい…。俺も先輩を手にかけたくはない」


イタチは背負っていた刀を音もなく抜き取る。
両親を殺めた白刃が、月に照らされて生白く光っている。今にも赤い染みが浮き出てきそうだ。
イタチは刀を握る指先に、ありったけの力を籠めた。


 

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