『拝啓 陽春の候、叔父上様におかれましては益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。』

梔子は慣れた手つきで和紙に書き綴った。



四角い窓の外は、麗らかな日差しに包まれている。春と呼ぶには少し遅く、初夏と呼ぶにはまだ霞の抜けきらない季節。
梔子は欠伸をひとつこぼすと、すっかり様変わりした里の景色をぼんやりと眺めて、残念そうに鼻を鳴らした。

梔子の居る所から向かって左側には、川沿いに生える並木が見えていた。
すべて桜の木だ。
梔子の生まれる随分前からそこに生えているので、皆かなりの老木だと聞いている。だが、毎年春になると、美しい薄紅色を拝ませてくれた。

「お花見したかったなぁ…。チクショウ」

きっと、今年も美しい花を咲かせ、そして儚く散らせたのだろう。
花雪が降る桜並木の道の散歩を、まだ雪が降りしきる頃から楽しみにしていた梔子は、その機会を来年の春まで失ったことに不満を感じていた。
梔子は徐に庭先へと視線を移す。家の庭先にある垂れ桜の木も、川沿いの木々と同じように青々とした若葉で覆われている。
聞くところによると、どこの桜もすでに散ってしまっているそうだ。

「…あの看護師長さえいなければ…」

一人で過ごす時間が長いと、不思議と独り言が多くなる。
梔子はそうぼやいて、退院を早めるように頼んだ自分を般若のような顔で叱りつける恐ろしいご婦人を思いだし、ブルリと肩を震わせた。 



梔子は、つい昨日までは病院のベットの住人だった。
とある任務で負傷し、命辛々里へ帰還したのは、赤い椿の首が全て落ちた頃だ。
それから数ヶ月間も真っ白な病室に軟禁され続け、傷は癒えたが、その代わりに重度の病院嫌いを患ってしまった。
湿った薬臭いシーツの臭いが鼻の奥に染み付き、実家に居ても気が休まらない。 

「入院なんてしない。二度と…!」

梔子は固く決意した。



そうして、徒然と下らないことを考えながら暫しを過ごした。
ふと、下を向くと、筆から垂れた墨が真白い和紙に点々と模様を作っている様が眼に入る。

「あ〜〜…またやっちゃった…」

先程から、ぼんやりとしては同じ失態を繰り返していた。
叔父への退院の報告の手紙を書いてしまいたいのだが、今日はどうも身が入らない。
「こりゃ駄目だ」、と諦めた気持ちで和紙を丸め、既に失敗作でいっぱいになっている屑籠へと放った。







外へ出ると、じんわりと頭のてっぺんが温まった。 
息抜きのつもりで出てきたが、この行為は正解だったと感じる。
部屋の中では感じられなかった太陽のぬくもり。柔らかい日差しが素肌に染み入る感覚。芽吹き出した草花の香り。これらは思いの外心地よく梔子を迎えてくれた。
手紙を書くのは今夜にして、このまま散歩でもしようか、と考えながら庭を出る。

思えば、外を自由に歩き回るのも久々だった。
歩む足に重さを感じるのは、体がすっかり鈍っているからだと思うと少しばかりげんなりとするが、それでもスッキリとした解放感の方が勝る。
久々にとても気分が良い。




「あれ?君…、梔子クンじゃない?」

商店街の花屋を過ぎた頃に、後ろから声をかけられて、梔子はゆっくりと振り向いた。
そこには、ラフな格好の男が立っていた。
部屋着のような少し草臥れた服を着ているが、しっかりと首から鼻の頭までを黒い布で隠している。更に、片方の眼を額宛で覆っているため、余計に人相がわかり辛い。

……不審者だ。
こう思った梔子を、誰が咎められるだろう。

「…ああ。カカシさんじゃないですか。ご無沙汰してます」
「あ、こちらこそ」

梔子がペコリと頭わ下げると、カカシもつられて頭を下げる。

「こんな所でフラフラしてていいの?確か退院したばかりじゃなかったっけ?」
「ええ、もう充分休みましたし。そろそろ体を動かさないと、勘が戻らなくなりますから」
「ま、それもそうか」

そう言って、カカシは納得したようなそうでないような微妙な顔で、頭をカリカリと掻いた。

「そう言やァ、上忍になったんだってネ。おめでとう」
「はい、ありがとうございます」

忍相手では、情報の伝わる速度が桁違いに速い。
梔子は困ったように笑う。

「その年で上忍とはね…。久々里家の三男はホント優秀だねェ…」
「いえ、そんなことは……」
「またまたァ。活躍はよーく聞いてるよ」

カカシは陽気に笑い、梔子の頭を軽く小突いた。
梔子は、また困ったように笑う。

「俺の力だけで昇格したわけじゃないですから……」

梔子は今年で10歳になる。戦争も無いこの時期に、この歳で上忍に就任するのは、異例の出世と言って良いかもしれない。
そのため、周囲の反応は様々だった。
ある人は「親の七光り」と詰り、またある人は「仲間の犠牲でのし上がった」と蔑んだ。
だが梔子は、そのどちらも否定する気はない。まったくその通りだと思うからだ。

「あ、俺先輩として何か奢るべき?」

カカシは思い付いたように言う。退院祝いも兼ねて、と気を遣ってくれるようだ。
しかし梔子は直ぐ様首を左右に振った。

「いえ、お気持ちだけで十分です」
「お前ね……」

すっかり大人な対応が身に付いている梔子に、カカシは感心を通り越して呆れた。

「子供が遠慮するもんじゃないの。ホラ、ちょうどそこに甘味屋あるし、寄っていこうか」

そう言って、カカシは足早に甘味処と書かれた暖簾をくぐってしまった。
梔子は本気で困った。今は一人でぶらぶらしたい気分であることもひとつの理由だが、それ以上に、今は里の知り合いと話すのは気が退ける時期なのだ。

「…あーー、でも、目上の人の好意は無下にできないよな…」

梔子は小さな声で呟くと、大人しく後に続いた。 

入った甘味屋は今が掻き入れ時のようだ。
店内を見渡すと、席はほぼ埋まっているように見える。
愛想よく寄って来た店員に「二人なんですけど、空いてます?」と聞くカカシの姿は、妙な笑いを誘った。つくづく、こういった店が似合わない。

「なーに笑ってんの」
「いえ、甘味処とカカシさんがミスマッチだったものだから…。すみません」
「いや、いいよ。そんな風に笑えるなら良かった」

四人がけの席に案内されたカカシと梔子は、先ずそんな言葉を交わし合った。

「ところで、カカシさん」
「んーー?」
「カカシさんは、ダイコク先生とは親しかったのでしょうか?」

カカシから手渡されたメニュー表を見ながら、梔子は何気なく問うた。
するとカカシは微かに眼を細めて、悼ましそうな顔を垣間見せる。

ダイコク先生とは、梔子の師であり、木の葉の優秀な上忍でもあった。

今年の始めに、惜しくも亡くなった。

「まぁ、大事な仲間だし、…陽気で楽しい人だったから…。俺は個人的に好きだったよ。そう思ってる人は多いんじゃない?」
「そうかもしれません…」

梔子は微かに微笑む。師が良く想われているのは素直に嬉しい。

「あ。俺、このコーヒーセットで」

メニュー表に載っている文字を指で示すと、カカシはそれを覗き込んで、渋く唸った。

「もっとさぁ、こう、お子さまっぽいもの頼みなよ。まだ九つでしょ?このクマさんのとかいいんじゃない?」

カカシがイメージ写真つきのメニューを指差す。
それは三枚のパンケーキが生クリームやチョコレートソース、さくらんぼなどで可愛らしくデコレーションされている、いかにもお子さま向けのメニューだった。
写真の横には『森のクマさんのパンケーキ』と銘記されているが、本当にこれをクマさんと呼んで良いのか疑問になる写真で、梔子は色々な意味を込めて「うーん…」と唸る。
写真のクマさんは、どう見たって夢の国の某黒ネズミにしか見えなかった。

「そうですね……。じゃあ、カカシさん用に頼みましょう。すみませーん!」
「え!いや、ちょ、…!」
「はい!ご注文をどうぞ!」

声をかけられた店員は、カカシが抵抗する間もなく、迅速にやって来た。

「コーヒーセットとこのクマのさんパンケーキを…」
「ち、違いますよ店員さん…!俺はパンケーキじゃなくてコーヒーを……」
「ええ?クマさんのパンケーキが食べたいって言ったじゃないですか」
「言ってない!」

梔子が面白半分で言ったことを、カカシは身ぶり手振りを加えながら精一杯否定する。かなり恥ずかしいようだ。
何も言わず黙っていれば、店員はクマさんのパンケーキを頼んだのは梔子の方だと勝手に思ってくれただろう。
そんなことにも頭が回らなくなっている里の誉を見て、梔子は久しぶりに声を上げて笑った。



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