この道は、滅多に同級生と出くわさないため重宝していた。
狭い畦のような道。
家からアカデミーまでの通学路としては少し遠回りになるが、あの低能な同級生(特に女子)の悲鳴じみたはしゃぎ声に比べれば、何の苦でもない。
道の周りは殆どが空き地若しくは空き家で、アカデミー前の通りに合流するまではずっと一本道だ。
ぐねぐねと蛇行しているため、見通しは悪く、人とすれ違うことも殆どなかった。
日当たりが悪いせいか、いつも湿った土の臭いに満ちている。
饐えたような生温い風が時折吹き抜けていった。
その小さな背中に家門を背負った少年―――うちはサスケは、精悍な顔をしかめながら、右手にある黒い屋根の家を見上げた。
酷く老朽化が進んでいるのか、家は左斜めに傾き、粗末な石塀は半ば朽ちかけている。
今は黒く見える屋根も、もともとは赤色だったようで、よく見ると剥がれそびれた赤い塗装が、まだ所々に残っていた。
壁は長年の雨や土埃のせいで風化したのか、汚泥のような色に変色し、何の種類かも解らないような黒光りする蔦に覆われていた。
窓の中を覗く。
家の内側は暗闇の掃き溜まりだ。
昼間でも室内を窺い知る事はできない。
まるで、四角い窓の部分にだけ、真っ黒なペンキをぶちまけように暗黒だった。
「…お化け屋敷かよ」
思わず、呟いていた。
もう流石にお化けの類を信じる歳ではないが、あえて形容するならそんな言葉がぴったりだ。
だからこそ、こんな家に住む物好きがいると知った時は、心の底から驚くと同時に、少しだけこの家の住人に同情してしまった。
うずまき九。これが住人の名だ。
いつもボサボサの頭を雑に結い上げ、使い古しのケープを身に纏った少年。
痩せているため、ひょろりと縦に長く見えるが、隣に並んで立ってみると、背は誰よりも低かった。
口許はいつもヘの字に曲がっており、殆ど喋った事はないが、たまに担任教師と会話している所を小耳に挟むと、かなりの皮肉屋なようだ。
顔は鼻先と口許しか認識できない。眼鏡が大きすぎるのだ。
他人の服装に無頓着なサスケでも、あの眼鏡の縁の厚さとレンズの大きさはありえないと思っている。
頻繁にずり落ちてくる眼鏡の位置を直すのは、想像するだけでも煩わしい。
もっと自分の顔の大きさに合う眼鏡を買えばいいものを。まさかあれで顔を隠しているとでもいうのだろうか。
だとしたら失笑ものだ。
一介のアカデミー生がわざわざ顔を隠す意味が解らないし、あれでは逆に目立っている。
サスケは九の顔を思い出して、気に入らないものでも見つけたかのように鼻を鳴らした。
うずまき九はアカデミー一の落ちこぼれだ。
成績はどうあっても下の下。
記述、忍術、体術ともに試験では歴代最高得点(赤点的な意味で)をたたき出している。
アカデミーで常に1番の成績を修めているサスケとは似ても似つかない。むしろ全くの逆だ。
授業態度もいい加減で、努力とは程遠い。
本来なら歯牙にもかけないような、つまらない相手だ。
しかし、サスケはそんな“落ちこぼれ”を気にかけずにはいられなかった。
それは自分と同じように両親がいないから、などという陳腐な理由ではない。
勿論、九に何かしらの好意を抱いているわけでもなければ、ライバル視しているわけでもない。
ただ純粋に、不気味なのだ。
うずまき九には、何かある。
それも得体の知れない何かが………。
サスケは意味もなく唐突に、半年前の事を思い出した。
記憶の中に真っ青な空が浮かび上がる。
その日は、今日と同じようによく晴れており、そして風が強かった。
あれは確か、昼休み前の授業のことだ。
その日は立て続けに校外演習が入っており、室内で行う授業は最初の1時間だけだった。
4時間目の演習は、サスケにとってはかくれんぼにも等しい内容で、酷く億劫だったのを覚えている。
忍びたるもの、基本は気配を消し、隠れるべし。
それを実践から学ぼう、というのがその授業の主旨だった。
演習はふたつの班に分かれて行われた。
ひとつは息を潜めて隠れる班。もうひとつは隠れている生徒を見つける班。
ルールも簡単だった。
隠れる班は一度隠れても、見つかりそうになれば移動してよい。ただし移動中に見つかれば、それは勿論アウトだ。
見つける班は、隠れている生徒を見つけ、その生徒の名前を呼ぶだけだでいい。特に捕まえる必要はない。
見つける班のノルマは二人以上見つけること。
隠れる班のノルマは20分間隠れ続けることとし、そしてもし見つかった場合は、見つける班としてまだ見つかっていない他の生徒を探さなければならない。
そして20分経ったら、始めに決めた班をそれぞれ交換し、また同じ事をする。
忍術及び忍具の使用は禁止。
範囲は演習場全て。
忍術や忍具を使わなければ、演習場内にあるものは何を利用してもよいとの事だった。
これを聞いて、サスケは楽勝だと思った。
一人でも全員見つけられる自信があったし、一人でも隠れきれる自信があった。
そして笛の合図とともに演習が始まった。
はじめ、サスケは隠れる班で、九は見つける班だった。
サスケは与えられた5分の時間内で、瞬時に目星をつけた一角から、枝が多く、かつ背の高い木を選んでよじ登った。
その木からは演習場が見渡せる。
八分目ほど登った所で、細く長い枝を何本か折る。
それを不自然にならない程度に編み、足場とした。
念のため、足場には毟った葉を散らしておく。
こうしておけばまず下からは見えない。
しっかりとした足場を確保するのは、枝を揺らさない為だ。
これでこの20分間は暇だろう。
アカデミー生相手に気配を気取らるような、間抜けはしない。
自分の実力は、他のどの生徒よりも飛び抜けている。
そう自負した所で、それは過信ではないはずだった。
しかし。
結論からいうと、サスケを見つけたのはうずまき九だった。
やる気なく、のんびりとした歩調で歩いてきた九は、サスケに気づく事なくサスケが隠れている木の側に歩み寄った。
背中を丸め、への字口で歩むその姿は溜め息ものだ。教師の憂いが垣間見える。
サスケは木の幹に背中を預けたまま、九をじっと観察した。
その行為には、特に理由はなかったが、他にする事もなかったのだ。
木の葉がひらりと舞い、九の足元へ落ちる。
そしてその瞬間、九の青い目がサスケとかち合った。
ほんの一瞬だった。
しかし、それを偶然と思うほど、サスケは愚かではない。
それははじめからサスケがそこにいる事を知っていたような仕種だったのだ。
サスケはその視線を受けた瞬間、言い知れぬ不安のようなものが、胸の中でとぐろ巻いた事に気づいた。
絶対に見つかってはいけない。
そんな相手に見つかった時のような、焦燥と悪寒が入り混じり催吐するような、極めて異質な感覚だった。
しかし、九と目が合ったのはその一度きりで、その後彼はサスケの名前を呼ぶ事もせず、そのまま何事もなかったかのように通りすぎて行った。
あの時からだ。
サスケが九を意識しはじめたのは。
あの時の強烈な感覚は、いまだにサスケの中でとぐろを巻いている。
静かに。
まるで、噛みつく機会を窺っているように………。
強い風に、雑草のがざわめいた。サスケは、はっとする。
ほんの数秒だが、周囲の情報が頭に入らなくなるほど考え込んでいたようだ。
忍としては大失態だ、と溜め息をつく。
今日も、九の家からは人の気配がしない。
何時に登校しているのか知らないが、朝にこの道で九を見かけることは、いまだかつてなかった。
ばったり出くわしても気まずいだけなので、それは有り難いのだが。
枯れ草が風に舞って、窓を掠めた。今日は風が強い。
サスケはまたわけも無く溜め息をつくと、再び歩み始めた。
うずまき九は、実力を隠している。
それはまず間違いないだろう。
しかしどうして実力を隠しているのか。
またその本当の実力はどれほどのものなのか。
力を追い求めるサスケにとって、その疑問は日に日に大きくなってゆく。ほんの少しの不安と期待をともなって。
いつか、暴いてやりたい。
そして、少し歩いた頃だった。
九の家の方から微かな視線を感じた。
ぎょっとして、反射的に振り返る。
何故だろうか、悪寒が背中を走り抜けた。
サスケは一瞬、呼吸することを忘れた。体中の汗腺から冷たい汗がふき出る。
これ以上ここにいてはいけないと、本能が警告を発しているようだった。
九の家に、変化は見られない。相変わらず人気もない。
だが、明らかに空気は変わっていた。
得体の知れない何かが、この辺りを覆い尽くしている。
サスケは一瞬だけ、九の家の中に、何者かの姿を見たような気がした。
それは何本も手があるように見えた。捕まえた獲物を貪る醜悪な顎から、とめどなく滴り落ちているあれは・・・血だ。
見境のない殺意に眼を爛々と光らせ、見るもの触れるもの全てを食い殺している。
それは、化け物だった。
しかし、あり得ない幻想だ。
サスケ乾いた唇をひと嘗めすると、まるで追われるように、足速にそこを去った。
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