Episode:3『日課の災難』
 






休日明けの朝。
普段より、少し早めに家を出た春野サクラは、アカデミーに着くなり、先ずロッカー室へ向かった。

ロッカー室は昇降口を入ってから、向かって右の廊下を真っすぐ進んだその突き当たりにある。

背の高いロッカーだけが並ぶ、面白みも何も無い部屋だ。

ロッカー自体に鍵が取り付けられているせいか、部屋の方の鍵はいつも開いている。

サクラはスライド式のドアを横に引き、ロッカー室を覗き見た。

部屋が北向きのせいか、中はぼんやりと薄暗い。ずらりと整列するロッカーには妙な威圧感がある。

いつも見慣れているはずの光景が、一人でいるというだけで不気味に見えるのだから、不思議なものだ。

一歩足を踏み入れると、埃臭い空気が鼻をついた。
休日中は誰も出入りしないせいだろう。
生温い空気が淀んでいる。

サクラは自分のロッカーの前まで足速に赴き、鞄からキーを取り出す。

ロッカーのキーには、桜の花を模した愛いらしいストラップがついていた。先々週くらいに、ついつい衝動買いしてしまった物だ。 

キーを回してドアを開けると、蝶番が耳障りな音をたてる。
これも聞き慣れてはいるが、一人だと酷く不気味に聞こえた。

ロッカーの中はきちんと整頓され、参考書や忍具などが見やすいように並べられている。
整理整頓は女の子の嗜みだ。他人に見られる機会はないが、誰に見せても恥ずかしくないようにしている。
だからサクラがお目当てとする物も、すぐに見つかった。

休日前に借りた、分厚い本。
重くて持ち帰るのが面倒だったため、ロッカーにしまっておいたものだった。


ここ最近、早朝の読書が日課となっている。
朝は静かで空気が澄んでいるし、早起きは何となく気分がいい。

サクラは本を抱え、ロッカーを施錠してから、今の時間帯ならまだ誰もいないはずの教室へと踵を返した。




教室のドアをスライドさせると、予想通り、誰もいなかった。

しかし、東向きの窓からみなぎる光を受けた教室は、ロッカー室のような不気味さを感じさせない。

授業は基本的に自由席のため、サクラは窓際の一番後ろを陣取った。これも早起きの特権の一つだろう。
この席なら大好きなサスケ君の後ろ姿をずっと見ていられる。お気に入りの席だ。 


休日前に図書室から借りた黒表紙の本には、忍者薬草学総論と銀色の文字で印字されている。
活字が苦手な者には、目次を見ただけでも気を滅入らせる効果のある、一種の呪いがかかった本だ。
サクラでなければ、わざわざ借りようとも思わないだろう。
事実、本の一番後ろの頁にある貸し出し記録にはサクラの名前しか乗っていない。


暫く本に集中していると、ガラガラとドアを引く音が響いた。

現在時刻は7時を少し過ぎたばかり。

朝のホームルームが8時ちょうどに始まるため、用事のない生徒は半を過ぎなければ登校してこない。

活字を目で追いながらも、一体誰が登校してきたのか気になったサクラは、「まさか」と自分に都合の良い想像を膨らませた。


(まさか…まさか……もしかして、サスケ君…?)


サスケ君は、学年一人気のある男の子だ。クラスの女子の半分以上が彼に好意を寄せている。勿論、サクラもその中の一人だ。
朝日に照らされた白く爽やかなサスケ君の横顔を想像したサクラは、勝手に恥ずかしくなって本へ顔をうずめた。押し入れの黴のような臭いがした。


(サスケ君だったらどうしよう!なんて声かけたら……。ここはやっぱり、おはようサスケ君。早いんだね。隣座ってもいい?とか言っちゃったりして!?っキャーーーー!!)

「………………うちはサスケじゃないよ。悪いけどね」

「…えっ!?」 


声に出してはいないはずの心の声に返事が来た。驚いたサクラは勢いよく顔を上げた。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、朝日を浴びても古臭い、萎びたケープだった。
そして、それが誰かを認識したサクラは、そうする事が当然のようにしかめ面を作った。

「アンタは・・・」


そこにいたのはクラスメイトの少年だった。
サクラは無意識に立ち上がっていた。
その少年に見下ろされるのは、たまらなく不愉快だった。

少年の名前はうずまき九。

彼は今日もくすんだ金髪を高く結い上げ、今時ありえないような黒縁眼鏡をかけていた。
もやしのようにひょろりとした体つきと、くたびれたよれよれのケープと灰色のズボンが何ともみすぼらしい。

サクラはこのうずまき九が大嫌いだった。

この見すぼらしい少年は、学年一嫌われ者といっても過言ではない。
彼は、そこにいるだけで人の気を損なうのだ。例えるなら、まるで雨が降りだす直前に感じる不安が、服を着て歩いているような人間なのだ。

それに、劣等生だ。
優等生と言われるサクラは、何の努力もせず、ただ来てただ帰るだけの九が、自分と同じように進級していることが許せないでいた。
本当に、一時だって同じ空気を吸っていたくない。 
しかし敵意を走らせているのはサクラだけだった。
九はサクラのことを何とも思っていないのだ。
好きでもないし、嫌いでもない。居てもいいし、居なくてもいい。
常にそんな態度をとっており、それを隠しもしないのだ。



九はのろのろとした足取りでいつもの定位置(最も廊下側の後ろから二番目)に向かい、これまたのろのろと腰を降ろした。
そして、手に持っていた刀を机の脇に立てかける。

サクラはそれを見て、小さく鼻で笑った。
使えもしない刀を持ってきて、何を格好つけているのだろうか。サクラの眼には滑稽に映っていた。


「うずまき九!」

「・・・・なぁに?」


バンと音を立てて本を閉じた。
今日こそは言ってやろう。そう思ったのだ。


「アンタ何のためにここに来てるのよ!」

「・・・どうしたの急に」

「どうもこうもないわよ!私たちは真面目に勉強しに来てるの!アンタみたいなやる気もなくて愛想もなくて、おまけに格好もダサくて性格も悪い奴がいると空気が悪くなるでしょ!」 


サクラは言葉を発するたびに感情的になった。
何故こんなにイライラしているのか、自分でもわからなかった。そしてそれすらも九のせいにしていた。

その時の九は、サクラからはバカみたいな顔で自分を見上げているように見えていた。

しっかり勉強しないから、顔にもそれが滲み出ているのだ。
親がいないからろくに叱られることもなく、身勝手に暮らしている証拠だ。
この際だから、この九の腐った性根を叩き直してやろう。
サクラは、そんな使命感のようなものを感じた。


「やる気がないならここに来ないでよ!どうせアンタの成績じゃ卒業できるかも怪しいんだから!みんな思ってるのよ、アンタはいない方がいいって!」

「ふーん、そう」


九は気の無い声をだした。サクラの話は右から左に流れていったようだ。
サクラは顔が熱くなった。怒りで興奮しているのだ。


「いい加減にして!!そうやって人の事を馬鹿にして何が面白いのよ!人の気持ちとか、もっとちゃんと考えなさいよ!真面目になりなさいよ!しゃんとしなさいよ!もっとまともになりなさいよ!それができないなら、いっそお前なんか消えちまえ!!」


言い終わって、肩で息をしている事に気付いた。
本当にどうして、自分はこんなにも怒っているのだろう。少しだけ冷静な自分が思っていた。しかしそんな疑問は、腹の底からふつふつと湧き上がる熱いものに掻き消された。


「・・・君って、そんな風に育ててもらったんだね」

「はぁ?」


九は、漸くボヤけていたピントが合ったかのような目でサクラを見た。


「人の気持ちを考えなさい。真面目にしなさい。しゃんとしなさい。まともな大人になりなさい。・・・大事に育ててもらえてよかったねぇ」


九は頬杖をついた。


「君の親が君を叱るのは君に愛情があるからだ。君のことを思ってのことだ。でも、今君がおれに怒鳴ったのはただの鬱憤晴らしだよねぇ。君は自分のためにおれを怒鳴りつけたんだよねぇ。だから言い返させてもらうよ。そもそも、誰もおれの気持ちを慮ってくれないのに、どうしておれが他人の気持ちを考えてあげなきゃならないの?」


まさかこんな風に言い返されるとは、思ってもみなかった。サクラは虚をつかれたように口ごもる。 


「は、なんでアンタの気持ちなんか、私たちが考えてやらなきゃならないのよ」

「おれだって君と同じように、なんで君たちの気持ちなんか考えてあげなきゃならないのさ、と思うんだよね」

「それは・・・」


サクラは何とか答えようと口を開くが、言葉は続かなかった。
あんなに燃え盛っていた怒りの炎が、冷水を浴びせられたように消えていった。残った煙も呼吸をすればたちまちかき消えた。

それを感じ取ったのか、九は呆れたように背もたれにもたれた。


「・・・おれも時々消えたくなるけど、人間は氷みたいに溶けてなくなりはしないんだ。残念ながら、俺が物理的に消えることはないよ。でも、君が意識的に俺を消すことは可能だろう?俺が嫌いなら関わらなければいいじゃない。無視して、視界に入れないで、存在してないものとして扱えばいいんだ。多くの人がそうしているように、君もおれを消してしまっていいんだよ?」


九は穏やかな声で、サクラを宥めるように言った。初めて見せた優しさのようなものだった。

それに、サクラはゾッとした。


「だからもう、つまらない事は言いっこなしだよ?」


笑っているように見えるその顔は、ただの能面だった。


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