Episode:7『狡猾な落ちこぼれ』
 






「よしてくれよ。背筋が凍りそうだ」


背後から聞こえた声に、心臓が妙な音を立てた。
そして同時に、右側の鎖骨の付け根辺りがカッと熱くなる。


「あなたが来る必要はなかったんだ。勿論、そんな怪我をする必要もね」


背後の声は、冷ややかにそう告げた。

自分の視線の先にいる同僚は、狐に摘まれたように、目を見開いたまま動かない。


「先生ともあろうお人が、この痴れ者に踊らされたなァ。おれは禁術書なんて持ち出しちゃァいませんよ。他人の口車に乗るほど、おれは人間ってものを信用してない」


諭すような言葉は、冷や水のように背中を這っていった。
また心臓が妙な音をたてる。

まさか…有り得ない。はったりだ…。

そんな言葉が頭の中でぐるぐると回った。

自分の計画を根底から覆すその台詞に、氷のような汗が流れ落ちる。 


「う、嘘をつくな…!」


情けない声が口をすり抜け、外へ出ていった。

背後に立つ、この人間は誰だ。
本当にうずまき九なのだろうか。

いや、有り得ない。

うずまき九は気配もろくに消せないような落ちこぼれだ。

そんな奴に背中を取られるなど、有り得ない。


「残念でしたね、ミズキせんせい。下らない謀、ご苦労様です。暇潰しにもなりませんでしたけどね」


背後で、笑う気配。


「ッ……!!」


その冷笑を聞いたとたん、冷や汗を流していた身体が一瞬で沸騰した。

腹の底でふつふつと煮え立つ怒り。
馬鹿にされていると感じた頭に、赤い血がほとばしる。


「このッ…ぐッ!!」


しかし、アクションを起こそうとした身体は、痛烈な痛みに悲鳴を上げた。

心臓が引き攣るほどの激痛に、額から脂汗が滲む。
先程熱を感じた場所が、今では驚くほど冷たく感じられた。



ミズキは、恐る恐る視線を下げた。

右鎖骨の付け根の下から、血の色が滲んだ鋭い刃が生えている。

……刀だ。 

鈍色にぎらぎらと輝きながら、ミズキの血を吸っている。


「そうそう。大動脈弓から分岐する動脈のひとつに、腕頭動脈というものがあるのをご存知ですか?この血管はさらに右鎖骨下動脈と総頚動脈へ分かれていましてね…。つまりそれは、傷がついたら大変だって意味なんですよ」


背後の声の主―――うずまき九は、ふと思い出したかような口ぶりで言った。


「こーんな風に、さ」


ミズキに突き刺さっていた刃が、再び肉を切り裂きながら後退していく。

ミズキは呻きながら、膝をついた。

刀が抜けると痛みが倍になったような気がした。

掌で負傷部位を押さえるが、栓をなくした傷口からはとめどなく血が溢れる。

止まらない。

血液は指の間を心臓の拍動と同じリズムで流れ落ちていった。


「クソッ…!」


九の言葉から察すると、刀は腕頭動脈を貫いたに違いない。

腕頭動脈から分岐する総頚動脈は、頭部や頚部に血液を送り込む主要な血管だ。

その血管から出血しているのであれば、すぐに脳虚血状態に陥る事は明らかだった。 

月明かりに照らされた剥き出しの大地に、生命の赤が滴り、命の刻限を刻んでいくように見えた。


「大変だよミズキせんせい!その傷は重傷だ!はやく病院にいかないと!」


わざとらしい台詞を吐く九の声が、急速に遠退いてゆく。

視界はコマ送りのように点滅し、上下左右が曖昧になっていった。

何事かを話すイルカの声が聞こえたが、見ている光景と聞いている音とが噛み合わない。

ゆっくりと世界から切り離されるような感覚。

視界は閉ざされ、聴覚だけが必死にしがみついていた。

しかし、それも長くは持たない。


ミズキはこの時になって、漸く自分の過ちに気づかされていた。

うずまき九は、落ちこぼれなどではなかったと、やっと思い至ったのだ。

能ある鷹は爪を隠すという言葉通り、この少年は鋭い爪を隠し持っていた。
そうでなければ、背後から一瞬で急所をつけるわけがない。


「…‥そうか。落ちこぼれを演じていれば…淘汰されずに、済むもんなァ…」


生命の危機に直面しているせいか、意識が沈んでゆく反面、妙に頭は冴えている。 

ミズキは納得できる答えを見つけて、苦虫を噛み潰したように笑った。


そう。
歴史を紐解いてみれば解ることだ。いつの世でも、危険は淘汰される。

もし、化け狐を抱えた子供がその身にそぐわないほどの力を振りかざせば、それはたちまち除されるだろう。

ただでさえ九は嫌悪の象徴。生かしておく事に危険が伴うと解れば、誰も迷わない。

だからこそ、九は落ちこぼれとして生きてきた。
落ちこぼれというレッテルが、最大の盾とる事をよく理解し、狡猾に利用していたのだ。


「お前はまさしく…狐だったって、わけ、か…」


「褒め言葉だよ。ありがとう」


九がせせら笑った。

だがミズキは、その皮肉に言い返す事もできない。

瞼の裏で小さな光がパチパチと弾け、固い地面がリアルさを失う。

ミズキの意識は空中に溶けるように、呆気なく霧散していった―――。 





ミズキの謀略はなんとも幼稚なものだったが、本人はそれが成功すると信じて疑わなかった。

里の嫌われ者に、甘言を吐く。ただそれだけで、全てが上手くいく。

そう信じ込んでいた。

まさか自分が、重大な見落としをしている事など気づきもせずに。



ミズキにとってのうずまき九は、ただの落ちこぼれに過ぎなかった。

たとえ腹の中で妖狐を飼っていようと、その力を使えるわけでもなく、うちはサスケのように才能があるわけでもない。

アカデミーでは、記述体術忍術のどれを取っても、平均以上の成績を取ったことはなかったはずだ。 

どの教師が見ても、落ちこぼれと貶す生徒。

今回の卒業試験に合格した事でさえ、ほとんど奇跡だったのだ。


「君にとっておきの秘密を教えよう」


ミズキは、九を利用する事に決めた。


「その巻物に書かれている術が使えるようになれば、きっと皆も認めてくれるよ。もう誰も君を悪く言わない。君は英雄になれる」


火影邸へ出入りできる九なら、巻物を盗む事も簡単だろう。


「もう独りぼっちは嫌だろう?」


そして、殺す。
全ての罪を被せて。

化け狐は巻物を盗み、姿を眩ませた。
里の人間にはそう思い込ませて、自分は巻物を手に入れる。

誰もが憎んでいる化け狐は死に、自分は欲しい物が手に入る。決して悪い事ばかりではないはずだ。


うずまき九は、12年前に里を襲った妖狐。何人もの同胞を喰い殺した化け物なのだ。

……だから、死んで当然。


自分の甘言に僅かに頷いた九を、ミズキは心底馬鹿にした目で見つめていた。


そんな思いが見透かされているなど、夢にも思わずに。


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